鬼道父と鬼道と俺






「あー……天野、突然だがこれから俺の家で夕食を食べないか」

いつもの部活が終了し、源田の作ったレモンの蜂蜜漬けが恋しくなっていると突然携帯電話を片手に持った鬼道がそう言った。
鬼道との関係は既に数か月を迎えているが、俺は鬼道の家を見たことが無い。
そもそも学校以外の場所で鬼道といたことは『一度だって』無いのだ。

だからこのプライベートな誘いに少し動揺していた。

「えっ……? これから?」

「まあ、突然だから無理だろう? 分かってるさ。全く父さんは一体何を考えているのか……」

「待て待て! 父さん、って鬼道のお父さんがこの話を?」

「ああ。さっき電話で突然な。断っておくから安心し、」

「行きます!」

鬼道財閥トップ直々の食事会、辞退できるわけがない!



・・・・



「旦那様から聞いております。お客様、こちらへ」

「えっ? どこにですか? えっ? き、鬼道ーーーー!」


鬼道がいいというのでジャージのまま黒塗りの車に乗り込んで、そして鬼道邸に着くなり執事らしき男に連行された。
遠くなっていく鬼道は何故か親指を立てており、これから何が起こるのかという不安を俺の中に芽生えさせた。

気付けば俺は、大浴場の湯船で身を清めていた。
ジャージのままでいいって、こういうことか。

「ライオンの口からお湯が……」

壁のタイルに取り付けられた黄金の獅子は、口から温かい湯をこれでもかと吐き出している。
出てくる湯の滝に手を差し込んで水圧を感じるのは、私の頃からずっとやめられない癖。
つい、手が出ないかな?

「これが本物のお金持ちか……すげえや……」

脱衣所に上がると、入る前には無かった白いシャツと黒いスラックスが用意されていた。
どう見ても新品の輝きを放つ衣服だが、着るか、着ないか。しかし俺の元の衣服は消えている。

「あっ!! 下着まで新しくなってる!? ……ヘッグシュン!!」

ぶるりと震えてくしゃみが一発とくれば、もう選択肢は一つしかなかった。



・・・・


鬼道有人の養父であるその男は、執事の袴田に風呂へ連れていかれた天野の背中を覗き見た。

「有人くんは今、一人の人間を育てようとしています。これが将来指導者としての良い経験に繋がるよう、あなたも是非応援してほしい」

息子共々世話になっている影山の言葉を反芻する。
聞くところによれば、育てようとしているその少年は、入学試験で息子を押さえて首位に坐した者らしい。
その時のことを思い出すと、未だに負の感情が顔を出す。
この養父は負けることを何よりも嫌っているのだから。

成績で負けているというのに育てる? 始めはそう疑ったが、恐らく彼は成績が良くとも上に立つ器ではないのだろう。
影山からの助言があったので、成績がこれ以上落ちない限り見守ることにしていた。
いつか彼と話をしてみたいものだ。

そして数か月経った今日。久しぶりにゆっくりとした時間が取れることになり、天野を夕食に誘ったのだ。

部屋の外から息子と少年の話し声が聞こえる。袴田に目測で用意させた服は問題なかっただろうか。少年の生活レベルを考えれば驚かせてしまったかもしれない。
だがこの後の食事会は、実りのあるものに違いない。

権力を象徴する長いテーブルに座り二人を待つ。
影山と、そして自ら選び抜いた息子を信じながら。




・・・・



「見れる姿になったな、天野」

「心臓が強くなった気がする……」

「驚かせたようで悪かった。この後の食事の味は保障するから、許してくれ」

鬼道は別の場所で入浴を済ませたらしく、既に身形は整えられていた。
普段から鬼道は独特なオーラを出していたが、この豪華な鬼道邸、そして正装をカジュアルダウンしたような服装も相まっていかにもお金持ちですといった風格だ。
ハンカチが万札だったりするんじゃないか?

「さあ、食堂だ」

この鬼道邸の中で最も広いのではないかと思うこの空間。なるべく心を静めながら見れば、長い長いテーブルの向こう、真正面に一人の男が座っていた。
あれが鬼道の父。
見かけだけで言えば似ているとはいえなかった。しかしぞくりと震えてしまうほどのオーラを見て、鬼道は確かにこの人の下で育ったのだと理解できる。

「君が天野君か。いつも有人が世話になっているようだな」

「い――いえ、私こそ有人君にはお世話になっております」

「礼儀正しくて結構だ。しかし、そこまで畏まらなくてもいい。普段通りにしてくれないか」

思わず必要以上に畏まってしまった。
その後鬼道のお父さんから促され、俺と鬼道はお父さんを間に向かい合って座ることになった。

見下ろす机の上には白い布が三角に立てられている。
――テーブルマナーが要求されている。
……落ち着け、恐らく高レベルなものじゃない。
料理は既に執事の人がワゴンに載せて待機している、いつでも布を広げていいタイミングだ。しかししばらく待ち、やがてお父さん、そして鬼道も広げ始めたので俺も倣う。

俺をじっと観察するように見ていたお父さんがふてぶてしく笑ったことにより、食事会は始まった。




結果から言えば大した話はしていない。
学校や部活での鬼道の様子を聞かれたり、俺自身の、例えば好きな教科という他愛のない話だった。
そしてお父さんは鬼道が俺にサッカーを教えていたことを知っており、陰で応援してくれたらしい。鬼道は少し嬉しそうだった。
随分と身構えてしまったが、これならば無事終わるだろう。俺は最後の一口を頬張り余裕を持って味わっていた。

「味は気に入ってもらえたかな」

「はい、とっても! 呼んでいただきありがとうございます」

「土産もある。有人、取りに行きなさい。場所は袴田が知っている」

「はい、父さん」

鬼道は執事、袴田さんと共に部屋を出ていった。
お父さんと二人きりか、良い人だと分かっているけれど緊張する。
話しかける言葉がすぐには思いつかず、部屋がしんとする。

「ところで、天野君」

「はい」

「君は入学試験の時からずっと首席だそうだな」

「そうですね、ありがたいことに」

「恥ずかしいことに有人は君に追い付けないようだ。うちの教育は確かなものだと自信を持っていたが、いや、天野君はすごい」

……。
返す言葉が一つも思いつかない。
お父さんの質問の仕方は含みがあり、一挙一動を見逃さないというような視線は鋭かった。



「……有人は、頭の良い君に、きちんと教えられているか?」



住む世界がまるで違う人が主催する食事会に意図が無いなどあり得ない。
この人は、十三歳のしがない中学生の本性を見極めようとしているんだ。

「もちろんです。むしろ尊敬しています」

「……尊敬?」

まずは結論から。
言葉を飾っても通用しないと理解した上で、俺の本心を確実に拾って伝えなければいけない。

「俺は周りよりできることの多い人間でしたが、極めたものは何一つありません」

「ほう」

俺は適当に生きるつもりだった。
確かに自分の力を過信して天狗になっていたが、それでも平凡な人生を覚えている。誇れるものが無い生き方を知っているからこそ、この身体の凄さを確かに実感していた。
認められたいという欲求をある程度満たしたら、それこそ以前のように自分に期待をせず生きようと思っていた。

「……有人くんは、その薄っぺらさをはっきりと見抜いてくれました」

未だにはっきりと思い出せる。尻もちをつき、見上げた鬼道の表情はがっかりとして、そして怒っていた。
本気で何かに取り組んでいる人間だけが出せる感情だった。

「彼はその上で俺の才能を肯定しました。伸ばすことを提案してくれたのも有人君です」

入部する前は部活終了後に練習をしたが、そのせいで自己研鑽の時間を削ってしまっただろう。
それでも鬼道は面倒になるどころか、技を覚えていく俺を見て面白いと一層力を入れた。

「おかげで俺は今までとは違う自分になれました」

鬼道は俺以上に俺を理解し、才能を信じてくれている。
応えないでどうするんだ。

「だから俺は、有人君を尊敬しているんです」

「……そうか」

いつの間にかお父さんはテーブルに肘をついて俺の話を聞いていた。そして終わったことを察すると椅子に背中を預け、俺ではない違う場所を見ていた。

鬼道のお父さんがどこか満足げな表情をして――鬼道家での食事会は終わった。



・・・・


最後、お土産と一緒に俺が着ていた服を渡された。汚れていたはずなのにそれは綺麗に乾燥まで済まされていて驚きを隠せない。着ている服は貰っていいらしい。マジか……。
玄関先に黒い車が止まっており、自動的に開いたので鬼道の次に乗り込んだ。

「今日は呼んでくれてありがとうな、鬼道」

「いや、こちらこそ礼を言う」

「料理めちゃくちゃ美味しかった! さすが鬼道邸の料理人!」

「袴田に言っておいてやる」

「え、あの人執事だよね……? 料理もやるのか?」

「あいつは何でもできるんだ。すごいだろう?」

どうやら鬼道は袴田さんをたいそう気に入っているらしい。
さりげなく自慢をしているが、おそらく無意識だろうな。
俺は笑いをこらえながら言葉を繋いだ。

「すごいといえば、鬼道のお父さんもすごい雰囲気だったよ。鬼道そっくり」

「そっくりか。……天野、実は養父なんだ」

自慢気な顔から一転、鬼道は眉尻を下げながら突然言った。
言葉が止まる。
驚いたが、確かに二人は外見が似ておらず、すぐに納得してしまった。

「昔は孤児院にいたんだ」

「それは……親は?」

「飛行機事故で亡くなった」

吐き出すようにして、少し苦しそうに話す鬼道に、なんと言えばいいか分からない。
けれど遠い昔のこと――私の両親は、私の時にどんな表情だったのだろうと、つい考えてしまう。
いくら考えても答えは出ないのだ。しかし皮肉なことに出ないからこそずっと自分の中でくすぶり続けている。

「妹も一緒だったから一人きりじゃなかったけどな。妹は――いや、なんでもない。少し話し過ぎた」

「妹!? 鬼道、妹いるの!?」

「この話はまた今度だ」

突然降って湧いた興味深い情報につい身を乗り出した。しかし額を手のひらで押し戻され俺はしぶしぶ座席に腰を落ち着ける。
妹にも同じようなことをするのかよ。

「それよりも、最近二年生の動きが悪いと思わないか」

「ああー、そうだな。一年に押されている人が多いと思う」

「今年の大会で無敗記録40年になったというのに、ここで途切れたら笑えないぞ。俺が思うに新キャプテンである先輩の練習メニューは甘い。俺だったら――」

鬼道の考察は、しばらく続く。



・・・・



「あ、ここだ」

「止めろ」

鬼道の合図とともに車がゆっくりと減速を始める。
停車位置は少しずれたが正解も同然。俺は鬼道に再度礼を言ってから車を降りる。

「天野……電気が」

「え? なに?」

「……いや。今日は早く寝ろよ。明日からまた厳しくいくからな」

「軽くこなしてやるから見てろよ」

「水を求めてさ迷ってるゾンビが何を言っている。じゃあな」

黒い車が闇に紛れて去っていく。赤いランプが見えなくなってから、俺は玄関に鍵を差し込み家に入る。
物音一つもしない室内は暗闇だ。電気を一つ点ければぱっと光に包まれた。

玄関に靴は無い。あの人たちは今日も頑張っている。

「お土産ってなんだろ……あ、カツサンド!」





2017.11.11

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