平凡少女が円堂に恋する0






忘れられない温度がある。
私の左手を掴み無遠慮に引っ張りまわしたあの人の右手。その高い体温に胸を焼かれたせいで、私の幼い青春は他の人を選ぶことができなかった。

0.入学式

本日は雷門中学校入学式だ。真新しい制服に着られながら私は校門をくぐる。
朝から憂鬱な気持ちだった。
部活動が盛んな学校で過ごしてほしいと両親に言われるがままこの私立を選んだが、やはり間違いだったかもしれない。雷門中学校は生徒数千人を超えるマンモス校で、同じ小学校を卒業した子もそれなりも人数がここに来ているものの姿は見えない。母数が大きすぎるのだ。
どうかクラスメイトが優しい人だけで構成されていますように。

「でも、弱気なままじゃだめだよね。よし、形だけでも元気出せ私……」

気合を入れるようにして「やるぞお!」と腕を振り上げた瞬間だった。
背中から全身に衝撃がはしった。

「うおあっ!」
「いったあ!?」

同時に男の子の悲鳴が上がる。私は何も反応できず、衝撃のまま前に倒れた。
真っ先に膝小僧が痛み、反射的に前に出た腕が地面に擦れる。擦りむいたことが分かってしまうぐらいに激しかった。
どうやら人と衝突してしまったらしい。突然腕なんか振り上げるからだ。私が原因だと慌てて身体を起こした。

「ご、ごめん! よく前見てなかった! おい、立てるか?」
「え? わっ」

しかし私が男の子の顔を見るよりも先に、左手首を掴まれそのまま引っ張り起こされた。
体温が高いらしく、その熱さに男の子に腕を掴まれていると意識してしまう。
同じぐらいの高さに現れた顔、その中心にある目が私とかち合った。すぐに視線は外れ、今度は私の腕をじっと見つめ、しまったという顔になる。オレンジのバンダナから飛び出た髪がひょこひょこ揺れているのがちょっとかわいい。

「血が出てる! ほっほっ」
「ほっ?」
「保健室行くぞ!!」

突然ぐいんと全身が引っ張られ、そのまま走り出していた。足を動かすたびに膝小僧が痛いが、男の子……名前わからないから取り合えずバンダナくん。彼に捕まれた左手だけを支えに必死についていく。
ついていってはいるけど未だに理解はできていなかった。周囲の視線が向いているのが分かりつっかかりながら声を上げた。

「ねえっ人が見てる! 見てるからあ!」
「なんか言ったか!!?」
「だから人が、」
「すみません保健室どっちですか!!」
「聞いて?!」

私の言葉にロクに耳も貸さないまま、何事かとこちらをうかがう上級生に質問をする。
走る速度がゆっくりになってきたのでやっと止まれると思ったのも束の間、「えっと、向こうの校舎の一階だよ。」上級生の答えを聞いてまた大股開きで走り出したのだ。
西側の校舎に入るとバンダナくんがは靴のまま上がろうとしたので慌てて止めた。

「上履き履かなきゃだめだよ!」
「いっけね」

慌ててばたばたと靴を脱ぎ捨て上履きを取り出す。もうここまで来てしまったのだから止めるのもなあ、そう諦めた私は大人しくついていくことにしていた。でも、走るのはよしてほしい。彼は聞いていないけれど。
ようやく保健室に辿り着くとバンダナくんがノックをして扉を開ける。そこはちゃんとしているんだ。
開けた先には廊下を走る音が聞こえていたのか、何事かとこちらを見つめる女の先生がいた。
「おれがぶつかって怪我させちゃったんです、見てください!」
ようやく手を離されると、手首にひやっとした空気が触れつい手首をさすった。触れられていた場所が少し汗ばんでいる。
先生が私に視線を合わせ、私に問いかけた。

「あら、そうなの。手首と足首は痛い?」
「あ、痛くないです。その、血は出てますけど……ただの擦り傷です」
「そうみたいね」

どうやらバンダナくんが大げさだったということに先生も気付いたようで少し可笑しそうに笑った。
バンダナくんが私の顔を心配そうにのぞき込んでくる。丸い大きな瞳が揺れていた。

「大丈夫なのか? 本当にごめんな。おれ、今日すっげー楽しみにしてて、つい」
「えっ、いや、でも私が突然手を上げたりなんかしたから……」

なんだかうまく言葉が出てこず、突っかかりながら返す。
バンダナくんとちゃんと会話をしたのはこれが初めてだからろうか。

「後からおかしくなったら言ってくれよな」
「そんな、ちょっと大げさだよ」
「大げさなもんか、こんなの当たり前だろ!」

その言葉に少しばかり驚き、心臓が跳ねる。
私も先生も大げさだと思っているのにこんなにも心配してくれているバンダナくんにむず痒い気持ちになる。あの爆走もその気持ちからだったんだ。困ったけれど嬉しくないと言ったらうそになるだろう。

「あの、ありがとう!」
「おう!!」
「さあ、これから治療するから早く教室に行きなさい。すぐ入学式なんだから。」
「はい!」

バンダナくんは最後に私に視線を寄越し、にっかりと笑ってから保健室を後にした。
オレンジのバンダナは太陽だ。ふとそんな感想を抱いた。少し日に焼けた肌によく映える。反対に目が細められた時に現れた歯は白くて、ちょっと、かわいい。でも掴まれた手は男の子だった。身長は同じぐらいだったのにな。

「……あら、あらあらあら」

先生がどこか演技の入った声をあげた。バンダナくんが消えた扉から目を離し先生を見るとにやけている。

「あなた、顔赤い」
「えっ?」

言われてみればなんだか顔がやけに熱い。
頬に触れてみると手のひらがじっとりしていて驚いた。

「えっ、えっ」

頭の中に現れるのはバンダナくん、思い返すと喉の少し下あたりが苦しくなる。
この反応はなんだか、覚えが、ある。

「そ……そんなんじゃないです! 違います! 心配してもらえたのが嬉しかっただけで!」
「うんうん」
「確かにかわいい顔してるし目も大きいけど、手はしっかりしてて、初対面なのにあんなに全力で助けるのを当たり前だって言ったり……して……」
「うんうんうん」
「……すごいかっこよかった……です」
「そうね〜12歳で異性にあそこまでできるなんてなかなか無いわね!」

とってもいい子! 口の両端を上げた先生はとても面白くてたまらないという表情をしていた。
まだはっきりとはしていないけれど、私はバンダナくんに感謝だけでなく恋のような気持ちを抱いてしまった。そう分かった途端汗がぶわりと吹き出た。春なのに。まだ春なのに!
先生のからかう視線が恥ずかしくて、傷はたいして痛くもないのに痛がる素振りを見せた。

「もう、手当てしてください。結構痛いんです」
「ふふふ。同じクラスになれるといいわね」

同じクラスになれたら、私はバンダナくんにひとつ謝りたい。バンダナくんもよそ見をしていたのだろうけど、ぶつかったことは私が手を振り上げたことも原因だろう。あの子だけが悪いわけじゃない。
保健室を出て校舎出口に向かうと、私の靴が履きやすいように向きが変わっていた。雑で慌てん坊な性格なのかなと思ったけど、意外にも繊細だ。
もう一度会ったときちゃんと話せるかな。話せるといいな。

――しかし、私とバンダナくんは同じクラスにはなれなかった。それどころか会話すらしていなかった。
人数が多いこの学校だから単純に姿が見えなかったのもあるが、いざ向かおうとするも何を言えばいいか分からなかったのだ。
小学校から中学校に移り変わった生活はなかなか慣れず、自分のことに必死でもあった。
その中でバンダナくんは円堂守というとても似合っている名前であることを知り、それ以来心の中で円堂くんと呼んでいる。
この頃には完全に恋だった。

そうして時間だけが過ぎていき、時々円堂くんがサッカー部再建のために走り回っていたり、そのうち黒髪のかわいい女の子と一緒にいるようになったのを何もせず見ていた。
遠くから眺める円堂くんは入学式に見たあの日から変わっていなかった。まっすぐな性格は人を引きつけ、増えたサッカー部員と共に最強と謳われる(らしい)帝国学園にサッカーで点を取るにまで至った。

順調に大会を勝ち進んでいく円堂くんを応援したくて、試合を見に行ったこともあった。
やっぱりかっこいいな、勝てたね、すごい、おめでとう。色々な言葉が溢れるけれど、いつも誰かに囲まれている円堂くんには少し近寄れなかった。この時点で入学式から一年以上過ぎているから、円堂くんもあまり覚えていないんじゃないかと思ったのだ。
それだけ長い時間、円堂くんに何もできなかった自分とも向き合いたくなかった。

そして。
気が付けば三年生を迎えようとしていた。
思えばあったという間に過ぎた二年間。部活の引退はまだだけど最後に向けて準備をしなければいけない。悔いの無いように、過ぎていく青春を大切にしなければ。
恋に関しては正直円堂くんしか見えていなかったので進展は無い。好きな人はいるけれど何もしていない恋の青春は棒に振ったも同然だ。

桜が舞う校庭を歩きながら二年前を思い出していた。
およそあのあたりで円堂くんに衝突され、無理矢理保健室まで爆走させられた。
その必要性がある怪我ではないと思っていたけれど、実はあの時の擦り傷は随分と長い間じくじくと膿んで、私の手足に痕を残してしまった。
もし円堂くんが覚えていたらこのことは絶対に言えないな。

「おはよう」
「おはよー、クラス発表楽しみだね」

後ろから声をかけてきた友名にそう返す。ショートヘアが可愛らしい彼女は一年生の時にできた友達で、昨年まで同じクラスだった。今年もなれるといいが、なにせこの人数だ、どうなるだろうか。

「名前、今年も手分けして探そう。あたし右からね」
「オッケー、左からいく」

張り出された紙は混雑を予想しているため数か所ある。そのうちのひとつを二人で反対側から攻めていくことにした。
順番に上から眺めていくが中々見つからない。円堂くんのおかげで覚えることになったサッカー部のメンバーがちらほら見え、ふーんそうなんだと訳知り顔になる。関わりなんて無いのにね。
そしてようやく名前を見つけたが、私は固まってしまう。

「名前の名前だけ見つからないー! ついに離れ離れだね〜〜……」
「う……うう……」
「……どうしたの?」

友名の問いかけに唇が震える。
期待していなかったわけじゃない。でも行動を起こす気は無かったし、もう終わるだけだと思っていた。とっくに私の恋は止まっていると。

「……円堂くんと同じクラスっ……!」

同じ表の中に私と円堂くんの名前が刻み込まれているのを見て、心の止まっていた部分が動いた。




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