年上に失恋する




円堂→主人公。失恋。




「あっ名前さん!」
「守くんおはよー」

清々しい朝、六時半。
私は昔なじみの円堂守くんとの挨拶が日課だった。
守くんは朝の練習で私は自主学習のため。雷門中学校へ向かう彼と二駅先の高校へ向かう私はこんな早い時間にすれ違うのである。
今日も太陽みたいな明るい笑顔で手を振ってくる守くんはとてもかわいい。

「もうすぐ決勝戦だね。えーっと、確かフットボールフロンティア!」
「そうなんだ! でも、必殺技が完成しなくて……オレがキャプテンなのに情けないよな」

笑顔から一転し覇気を失った守くんを見ていると、側頭部から飛び出た髪の毛がうなだれた耳のように見えてしまい胸が締め付けられた。
彼の落ち込んだ姿は昔から心臓に悪く、放っておけなくなるのだ。

「はい、守くん。わしわしわし〜」
「おわっ」

衝動のまま頭を撫で繰りまわし、驚きの声が上がっても無視して続けた。
はじめは私の手を軽く叩いて抗議していた守くんだが私との長い付き合いの中で分かっているのか、諦めたように頭を差し出してくれる。
それを見計らって今度は丸い頬を両手で包んで顔を上げさせると、恥ずかしさで顔が赤くなっていた。呆れたような目が私を見るが、やはり真っ赤な顔では迫力がない。
こうして見ると改めて守くんが私よりも小さな子どもだと分かる。
まだまだ子どもだけど、チームをまとめ上げるキャプテンとして、最後の砦のゴールキーパーとして、その責務を全うしようと頑張っている。本当に立派な子だ。

だからこそ、私は年上として、この子の背中を見守る存在でありたいんだ。

「守くん、私はサッカーのアドバイスは何一つできないけど、絶対に味方だから。何があっても応援するし、力になる」
「名前さん、オレは」
「辛くて悔しくて、でもみんなに言えないこともきっとあったよね。それを乗り越えてここまで来たんだから絶対大丈夫」

私はずっと支えてる。背中を押す私の手を覚えていて。
少しでも立ち続けるための力になればと気持ちを込め、守くんを見つめた。
少しだけ守くんの瞳が潤んだが、ぐっと目をつぶって次に開いたときにはいつも通りの輝きがそこにあった。

「ありがとう名前さん。いつも本当に、助けられてるよ」
「お姉さんですからね、任せなさい。泣きたくなったらここにどーんと来てもいいんだからね!」

両手を広げて迎え入れるような仕草をすれば守くんはすこしばかり照れくさそうに頬をかいた。普通の年頃の子なら微妙な反応必至だが守くんは笑ってくれるのを私は知っている。

「じゃあ、そろそろ行くよ!」
「決勝戦行けなくて本当にごめんね。あ、そうだこれ! 受け取って」

渡すものがあったことを思い出し、慌てて守くんの手に握らせた。出先で見つけたサッカーボールのストラップ。
安直だし定番のお守りではないけど、このシンプルに、サッカー!という表現が私は好きだった。

「大好きな守くんのために買ったから!」
「名前さん、オレなんでもできそうだよ!」

太陽みたいな笑顔を残し円堂君は走っていた。
さて、私も行かなかなければ。少しばかり見送った後、彼の進む道と反対方向へ足を進めた。

「……あー! 今日も名前さんと話せた!!」

――そして名前の見えない曲がり角。そこで円堂は飛び上がり声を上げたのだった。



――守くんは元気だろうか。
フットボールフロンティアが終了してから、そして守くんが姿を現さなくなってからどれぐらい経っただろうか。
以前なら毎日あいさつを交わしていた場所で私はひとりだった。便りが無いのは元気な証拠だとは言うが、あの笑顔に毎日力を貰えていた所があったのだ。早く帰ってきてほしい、遠くにいる守くんを考えて私は朝の空を見上げた。
その時鞄の中の携帯電話が震え始めた。

きた!

私の心臓が一気に鼓動を速くした。震える手で取り出し確認すればやはり望んだ人の名で、嬉々として電話に出た。

「もしもし、××くん?」

――最近出来たばかりの、お付き合いしている人。
耳から聞こえた優し気な声に私は身体の芯まで幸せな気分になった。

「おはよう……まだ電車に乗ってはいないけど、ちゃんと起きてるよ!」

寝坊していないかを確認してくる彼に私は拗ねた声色で答える。
もともとこの時間に起きていると言ったはずなのに、この人はこういうことをよく忘れるんだ。

「うん……うん……朝の勉強、頑張ろうね。……えっ? 言うの? もう……私も、好きだよ」

もうだめ恥ずかしい!
足先からのぼる羞恥に耐え切れず挨拶もそこそこに通話を切り、顔を覆った。熱くなった顔を必死に冷まし、ようやく歩けるかなと進行方向へ向き直った時私は思わず悲鳴をあげた。

「守くん!」

数メートル先に懐かしい守くんが立っていた。驚いたけれど、しばらく姿が見えなくて心配していた私はうれしくなったが、彼はなぜか無表情だった。
口を真一文字に結び、その目は私を見ているが、動きがない。近づきがたくなり駆け寄ろうとした足をそのまま引いた。

「――あ、……えっと、今の電話、誰?」

不意に守くんが意識を取り戻したような、何かに気付いたような表情をして話し出した。
私は息を止めていたようでふっと入り込んできた空気を取り込んで努めて普段通りで答えた。

「今のは……」

普段通り、とは到底言えるものではなかった。それは守くんの初めて見た表情のせいもあるし、初めての彼氏を報告するという気恥ずかしさもあった。

「誰なの?」
「その……実は、今付き合ってる人なの」

言葉を重ねた守くんの勢いに負けて言葉がこぼれる。そのまま私は顔を伏せてしまった。
実はもなにも、秘密にしていたわけではないのだがつい秘匿するもののように扱ってしまった。

「そっか。いつから?」
「数日前かな。今年同じクラスになった人で、朝の勉強でたまに一緒だったんだ」
「ふーん」

伏せていた顔を上げてみると、守くんは私をしっかりと見ていた。
その目を見ていると、何か言わなくてはいけない気持ちになる。
でも何を言えばいい? 今の守くんには何が正解なんだろう?

「あ、オレそろそろいかなきゃ。じゃあね」
「え、まも、守くん――」

走り出した守くんはあっという間に曲がり角へ消えた。
何か、何かがおかしかった。何を話しても不正解のような空気感が酷く肌に痛かった。
守くんが帰ってきたらおかえりと言うはずだったのに、どうして。


――円堂は歯ぎしりした。
頭に浮かぶのは名前の声。電話の向こう側へ届けていたあの言葉。

好きだよ。

彼女の声で再生される夢のような言葉によって、それまで堪えていたものが迫り上がり円堂の両目からあふれ出た。
今よりもずっと幼いころから名前を見て、知りうる限りでは異性の中では一番親しい間柄だと思っていた。事実親しいというのは決して間違いではないだろう、けれども唯一絶対の立場はすでに別の男の手に渡ってしまった。
決勝戦のあの時から辛く苦しい戦いを乗り越えようやく帰ることができ、名前との日々が戻るんだと大喜びしていた自分が悲しかった。
本当は朝の練習に行かなきゃいけないのに円堂はそのまま学校へ向かうことができず、鉄塔広場へと走る。
喉の奥が震えている。堪えがたい感情が暴れているのだ。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!」

名前が憎いような、顔も知らぬ男が羨ましいような、やはり彼女の対象範囲外でしかいられなかった自分が情けないような。由来を断言するには難しい感情の数々が円堂を突き動かし、やがて広場へ辿り着いた。
この場所は、町並みを見渡せるほどに高いこの場所は、自分のちっぽけさを実感するには十分すぎた。

「オレには大好きだって言ったのに! 絶対に味方だって言ったのに!」

町並みに吠えた。吠えれば吠えるほど涙があふれた。

だったのに、と子どもの駄々でしかない言葉が口をついて出る。
こんな気持ち誰に言えばいいというんだ、絶対の味方はもういない、円堂一人でどうにかしなければいけないのだ。
名前の言う味方というのは、彼氏ができた今でこそ嘘ではない。けれども彼女はその男のものなのだと思ってしまうと、また彼女の唯一の存在もその男なのだと思うと、どうしても受け入れがたかった。

好きだった。
年上で、優しくて、茶目っ気があり、努力家で、笑った顔も怒った顔もかわいい、いつだって自分を応援してきてくれたあの人がどうしようもなく好きだった。
恋人になってもらうために奮闘はしなかった。ただ今の関係が心地よくて、サッカーの時間も大切にしたくて、甘んじてしまったのだ。そしたらいつの間にか。

幅広い意味を持つ好意の、その中のたったひとつだけを手に入れたかった。

気が付けば最後に会った日に貰ったストラップを握りしめていた。
あの日からずっと身に着けていたこのストラップは円堂をよく支えてくれた。弱音を吐けない時、任せなさいと言ってくれた名前を思い出して奮い立ってきたのだ。

処理のしがたい激流のような感情は未だ収まらない。
円堂はしばらくの間、鉄塔広場を動くことができなかった。




2017.8.27

- 3 -

*前次#


ページ: