豪炎寺修也の人生に入れない少女






 あれは私が一年生の時。
 私は自分から話しかけられないようなとても臆病な性格で、入学式の後着々と出来上がっていくグループに入れずにいた。
 だから移動教室の直前にトイレに行っても待っていてくれる友達なんていなくて、誰もいなくなった教室から教材を引っ掴み慌てて向かうことになってしまった。
 一人だけど、別にいじめられている訳じゃない。ただ気に掛けてくれる人がいないだけなんだ。

「あっ」

 臆病で、あまつさえドジなばかりに廊下で盛大に転んでしまった。教科書が落ち、衝撃で筆箱の中身が散乱する。更に膝を擦ったのか、ひりついて痛みにうめいた。
 一人が惨めだった。転んだことを笑ってくれたり、心配してくれたり、感情や出来事を共有できる、そんな友達が欲しかった。

「帰りたい……」

 声に出すと一層悲しい気持ちが大きくなった気がした。じわじわと目の奥が熱くなっていくのを感じながら散らばった教科書に手を伸ばすと、寸前で消えてしまった。

「大丈夫か」

 私よりもずっと低い声が降ってくる。見てみるといつの間にか同じように屈んだ男の子が、私の教科書を手にしていた。
 少し目が鋭くて、立ち上がった髪の毛は温かみの無い白色。この人が誰なのか友達のいない私にも分かった。

「豪炎寺くん」

 彼は違うクラスの人で、話したことは無いけれどそのサッカーの腕で地域でちょっとした有名人だった。更にはその整った顔も女子にはよく騒がれていたが、目が恐いから私は苦手だ。彼も私のような鈍くさい女は好きじゃないだろう。
 そんな彼に転んで教材をばら撒いた所を見られたと思うと一気に羞恥心が湧いてきた。
 絶対にドジで間抜けな女だと思われている。こんな所で一人で転び、助け起こしてくれる友達もいない女なんて変に思うに違いない!
 顔を見られたくなくて慌てて下を向くと、豪炎寺くんは何も言わず落ちたものを拾い始めた。

「えっ!」
「移動だったのか? 早くしないと遅れるぞ」 
「やだごめん! いいよ自分で拾うから!」

 慌てて私も手を伸ばすが豪炎寺くんはとても早くて、もう全て拾ってくれていた。何でもないような顔で一式を差し出し、受け取りながら罪悪感に死んでしまいたかった。
 豪炎寺くんが拾ってくれているのに、私は侮辱されるんじゃないかということに怯えるばかりだった。大丈夫かと言ってくれたのに返事もせず、自分の醜態を隠すことだけに意識を傾けてしまっていたのだ。

「拾ってもらっちゃってごめん」
「別にいい」

 こういう時はありがとうぐらい言えば良いのに、豪炎寺くんはやっぱり何も言わない。
 そして懐を探ると何かを差し出された。

「膝痛いだろ」

 豪炎寺くんが手にしていたのは絆創膏だった。

「あ、ありがとう」

 まごつきながら受け取ると、私は絆創膏を見て驚いた。なんとピンク色のキャラクターものの絆創膏だったのだ。
 豪炎寺くんが持つにはあまりにも可愛すぎるので、じっと見つめていると慌てるような「あっ」という声が聞こえてきた。

「それは、間違えたというか、あー、妹にあげてるやつなんだ。よく転ぶから……」

 弁解する豪炎寺くんの頬は少し赤い。

「この絆創膏なら女の子は喜ぶね」
「……そうなのか」

 妹用に絆創膏を準備しているなんて、ちょっと、可愛いと思った。自然と胸が温かくなって笑みがこぼれた。私の肯定の言葉にどこか安堵した表情の豪炎寺くんは、少し目尻を下げていた。
あ、なんだ、私この人のこと誤解してたんだな。
 その時、休み時間終了を知らせるチャイムが鳴った。移動中だということをつい忘れていて二人揃って焦った顔になる。

「じゅ、授業! 豪炎寺くんほんとありがとう!」
「今度は転ぶなよ」
「出来れば忘れてほしいんだけど……!」
「まあそのうちだな」

 私は豪炎寺くんのからかうような声を聞き届けてから走り出した。
 豪炎寺くんは優しかった。話したことも無い女子の荷物を拾い、絆創膏まで差し出してくれる。しかもその柄は妹のために用意したもの。私が勝手に抱いていたイメージとはかけ離れた優しい人だった。
 私も彼のように優しい人になりたい。自分のことばかりじゃなくて、目の前の人に優しい言葉をかけられるような人に。
 豪炎寺くんに助けられた後、私は席に座るとき勇気を振り絞って声をかけてみた。

「隣空いて、……ますか」
「いや何で敬語なの? うける。座って座って!」

 私の挙動不審さを笑った後、彼女は快く迎え入れてくれた。授業中も、終わった後も彼女は頻繁に声をかけてくれて、私は今までの不安がどんどん無くなっていくのを実感していた。
 ……そんな彼女と友達になり、一年以上。相変わらず臆病だけど、それでも何かが変わったのだろう、鬱屈した悩みはもう無い。
 豪炎寺くんにも変化があった。昨年、夏休みが明けたと思ったら豪炎寺くんがサッカーを辞めていたのだ。
 こっそり覗き見た時、教室でいろんな人が豪炎寺くんに理由を聞いていたが、彼は冷たい表情と言葉でそれらを跳ね除けていて、私は混乱してしまった。
 誤解していたけど豪炎寺くんは確かに優しい人だ。柄物の絆創膏なんて選んでしまうような人だった。
 とても信じられなかったが、それを裏付けるように少しずつ豪炎寺くんを囲む人が減っていく。その姿はいつの日かの私に重なった。優しい豪炎寺くんを私に重ねるなんて失礼かもしれないけど、どうしてもそう思ってしまう。
 そんな彼に私は話しかけることすらできなかった。豪炎寺くんのおかげで今を楽しく過ごせているのに、彼が落ち込んでいる時に何もできない。
 言葉を選べるほど、私は豪炎寺くんを知らない。
 そして学年が上がり、ほどなくして転校していった。

    *

「豪炎寺くんが試合に出てるんだって」

 友達がこぼしたその一言で、私は炎天下のアスファルトを必死に駆けていた。
 豪炎寺くんは雷門中学校という木戸川清修中学から離れた所に転校したようだった。今更それが分かったのは、かの有名なフットボールフロンティア地区予選で雷門中という学校がすごいと噂になったからだ。
 一年前サッカーを辞め、頑なに周囲を拒んだ彼がどうして。一体雷門中で何があったというのか。
 しかも直近の試合日が今日だというのだから、私は彼女に謝り倒してここにやってきた。電車を乗り継げばもう試合は始まっている時間だ。全力で会場まで走るが、日差しがとても強く、汗がどんどん流れていく。
 暑い。でも、豪炎寺くんが、戻ってきたんだと期待してしまうから止まれない。周囲を寄せ付けなくなってしまった彼が、再びサッカーに戻り、頑張っているのだと思うとどうしても会いたくなる。
 スタジアムに入り観客席までの階段を駆け上がれば、離れていた歓声がどんどん大きくなる。蛍光灯の灯りだけの通路を走り抜けて、太陽が差し込む場所に出た途端。

「……ファイアトルネード!」

 お腹の底から出る叫び。見たことの無いユニフォームの男の子が高く飛び、炎を打ち落とす。
 割れんばかりの歓声。試合終了のアナウンス。
 私が意識を取り戻したのは、大粒の汗が首筋を流れていった時だった。圧巻の光景に足が震え、階段の手すりに寄り掛かる。
 豪炎寺くんだ。
 彼はシュートを決めた喜びを仲間と抱き合い分かち合っていた。顔がよく見えずとも、その表情は、一年前私に見せてくれた優しい笑みを思い出させてくれるに違いない。

「豪炎寺くんって、こんなサッカーをするんだね」

 ふっと、なんだか嬉しくて笑みがこぼれる。
 私は臆病だ。彼から大きな恩を受け取っても、それを返すことができなかった。これが、心残りだ。
 こんな私では、一生豪炎寺くんを励ますことなんてできないだろう。ようやく彼に憧れのような恋のような感情を抱いていたことに気付いても、今後彼の人生に入り込むことは無いだろう。
 そんな私だけれど、豪炎寺くんが笑顔で進める道を歩み始めたことを見届けられて幸せだと、胸を張って言えるのだ。



2018.09.24
8/26レベコン無配ペーパー



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