円堂守と手のひらを返さない少女





「円堂のやつ、ちょっと大会で成績残したからって調子に乗ってるよね」
「えー? でも全国大会出場でしょ? フツーにすごくない?」
「暑苦しいけど、やるじゃんって思ったー。豪炎寺くんかっこいいしー」

 友達の言葉に私は思わず机を叩いて立ち上がった。少し前まで馬鹿にしていたくせに。自発的に見下す言葉ばかり使ってたくせに。
 私の奇行に空気がしんと静まる。「トイレ」とだけ呟いて背を向ければ引き攣った「いってらっしゃい」が余計に私を走らせた。
 苛立たしい。簡単に手のひらを反すやつもサッカーを好きなやつも全員揃って嫌いだ。そして何よりも、こんな私が、嫌いだ。

 何年前だろうか。私が守と一緒に泥だらけになりながらボールを追いかけていたあの頃。少しずつ男の子と女の子の境目が露呈していったあの年頃。
 彼よりも上手くなるために練習したかったが私はボールを持っていなかった。すると守は「練習に使っていいぜ! 特別だかんな!」とたった一つしかないボールを私に貸し与えてくれた。
 嬉しくて嬉しくて、ボールを蹴りながら帰っていた私を一人の男の子が待ち伏せしていた。彼は学年でも意地悪だと名高く、私は怖がった。

「いつも二人でサッカーしてて、お前ら付き合ってんのかよ」

 にやつきながら言われ、私は否定したが彼は何度も繰り返してきた。ボールを取り上げて遠くに投げるから私は必死に取りに行ったのだ。やがて家の中に逃げても、次の日に学校で追い回された。
どうして私なんだろう。守とサッカーをするのがそんなにいけない? そんな私に追い打ちをかけたのは、その男の子に影響を受けた周囲だった。

「確かに、女の子なのにサッカーって変だよ。恥ずかしい」「円堂くんといつも一緒でしょ? やっぱりそういう……」「円堂くんちょっとうるさいからあたし好きじゃないー」

 少し前までみんな男女関係なく遊んでたのに。守とのサッカーは楽しいのに。これはそんなにも恥ずかしいことなの? もうそんなこと言われたくない。……その末に、それもこれも守とサッカーをやっているからなんだ、と私は考えてしまった。
 それからは守からサッカーに誘われても断り、女の子と遊ぶようにした。誰からも変に思われない普通の女の子。男の子と二人きりでサッカーなんてしない女の子。しかし守も限界だったのか、私の家に直接やってきた。

「なんでサッカーやんないの?」
「楽しくないもん」私は仕方なくそう答えた。
「うそだー! お前すげー楽しそうだったぞ。なあ、サッカーやろうぜ?」

 守は私の本音を分かりきっているのか、笑顔で手を引いてきた。
どうして守はこんなにも平気なのか。私はこんなにも苦しいのに。嫌な子たちからも私を守ってくれる訳でもないのに、悪化しそうなことをしないでほしい。
 守の笑顔に怒りを覚えた私は咄嗟に手を振り払った。

「みんなに馬鹿にされるのは嫌なの! サッカーなんて嫌い、サッカーをやる守も嫌い!」

 その時の守の顔は、友達になってこの方一度も見たことがなかった。だた普段の守から想像できない深い悲しみが溢れている、そんな顔。それを見た私の心臓は凍ったかのように冷たくなる。
こんな酷いことを言いたかった訳じゃない、はずだ。守は一体なんて返すだろう。怒ってしまうのじゃないか。
私が身構えていると、彼は私の目を真っすぐ見て言い放った。

「俺、絶対諦めないから。お前ともう一回サッカーできるまで」

 私が混乱していると、守はそのまま家に帰っていった。一体どういう意味だろう。理解ができなくて悩んでいたが、割とすぐに答えが出た。
 円堂は少し開けてからまた私をサッカーへ誘ってくるのだ。当然何かが変わる訳でもなく私は突っぱねたが、やはりまた期間を空けて私の下へとやってくる。
 いつしか守ではなく円堂と称するようになっても、彼はふらっと私を誘う。中学に上がって部活に入っても変わらずに。
 それが少しだけ嬉しかった。私が円堂のサッカーを嫌い続けている内は、こうして私を追いかけ続けてくれるのだろうか。サッカーはしたくないけど円堂の心から消えるのも嫌だ。
 私はいつまでも否定するのをやめられなかった。

    *

 夏休みに入ってしばらくが経った。私は自習のために登校しており、ちょうど帰るところである。空気はじっとりと水分を含み、そして日差しは強い。蒸した道を歩くのは骨が折れそうだと先を想像して沈んだ。
 その時ポケットの中の携帯が震えた。登録していない番号は数字で表示される。しかし何度も見たことがある番号だったので、私は少し待ってから通話ボタンを押す。友達を通じてばれてしまった私の番号。例え出なかったとしてもまたかかってきてしまうだけなので出るしか道は無いのだ。

「あっ! 出た! なあ、見たか?」

 円堂は興奮しているようで、声が大きくて息が荒い。少し耳から離して「何が」とぶっきらぼうに返す。

「フットボールフロンティア! 雷門中! 優勝したんだよ!」

 今日は決勝戦だと知っていた私は、おめでとうという言葉を必死に飲み込んだ。

「なあ。戻ったら会いに行っていいか?」

 円堂の声が少しだけ低くなる。

「今までの試合のこととか、必殺技のこととか、お前に話したい。きっとお前も楽しんでくれると思うんだ」
「……」
「だから一緒にサッカーやろうぜ!」
「絶対に嫌」

 一言でそう跳ね除けると円堂が残念そうに笑う声が聞こえた。円堂は優勝を期に私が軟化するかもしれないと思ったのだろう。そんなことができるならば、私は手のひらを反すクラスメイトに怒ったりなどしない。

「覚えてるか? お前と二人だけだった時。一緒にフットボールフロンティアに出たいって話してたよな」
「さあ、覚えてないなあ」
「その声の感じ、覚えてるだろ」

 円堂の言葉は正しかった。まだ仲が良かったころそんな戯れをした記憶は確かに残っていた。距離を置いてから大分経つのに、どうして円堂は私の本音を見抜けてしまうのだろう。

「俺は今でもそう思ってる」

 私は反射的に電話を切った。
 子どものような意地だと分かっている。早く手のひらを反して円堂と仲良くすればいいのだと分かっている。
 それでも私は戻れなかった。その変わり身の早さが、私が憎たらしく思うクラスメイトの姿に重なってしまうのだ。
 円堂のことをよく知らないのに馬鹿にして、大会で勝ち進んだらちやほやする。結果が無ければ努力はただの愚行だとでもいうのか。
 私はと言うと、守よりも周囲との齟齬に怯え、彼を馬鹿にする立場を選んだ。合わせる対象だった周囲が円堂を褒め始めたら怒るという始末だ。
 どっちが悪いと聞かれたら、それは私だ。守のように確固たる自分を持てないばかりに彼を貶める弱い人間だ。
 そんな私が、もし手のひらを反して一緒にサッカーをやりたいといったら。

「あいつらと同じになっちゃう。その他大勢になりたくない。そしたら、ずっと守を認めないでいる」

 せめて彼が私を説得し続けてくれたらいいと願ってやまないのだ。

    *

 無情にも切られた電話に円堂は眉尻を下げた。彼女からの拒絶は正直堪える。ずっと仲良しだった彼女の本音が一体どこにあるのかなど円堂は百も承知だったが、それでも胸が少し痛むのはどうしようもなかった。
 最近は周囲の円堂を見る目が大きく変わった。空回りのように見えた努力が掬われて、それは観客席からの応援に繋がった。
 それでも一緒にサッカーをやりたい一人の女の子はいつまでも態度を変えてくれなかった。

「あいつに認められたいなあ……」

 決して数ではない。彼女からであることが、何よりも重要なのだ。
 もうそろそろ出発の時間だ。円堂は次はどんなタイミングで彼女を説得しようかと思案しながら歩き出す。


 遠くで、黒い光が墜ちた。



2018.09.24
8/26レベコン無配ペーパー

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