利根川で円堂の隣の席になった話






「わ、悪い……教科書見してくんね?」

 噂の円堂守って頭が悪いんだな。
 それが最初の印象だった。

 私が通う利根川東泉中学校は、田舎ながらもしっかりとした造りの中学校だ。というのもここ十年以内に近隣の中学校と合併して出来上がったという理由で新しくて大きいのだが。
 自然豊かと言えば聞こえはいいが、少子化の影響を受けやすい地域なのである。学校の区域が広く、遠くに住んでいる生徒は帰り道やスクールバスの都合上、通常の学校のように遅くまで残ることができない。
 そして中学校には運動部による大会が付き物だが、利根川中は盛んではなく良くて同好会レベル。世間一般の中学校像とは異なるのだ。
 
 ――そんな学校に、サッカー強化委員がやってくる。
 噂は一気に校内を駆け巡った。同好会しかないうちにどうして? もしかして一年生の男の子がやたらと勧誘をしていたが、それが関係あるのだろうか。
 そして強化委員の名前は円堂守。サッカーに疎い私でもテレビで聞いたことがある。短期間で無名から優勝へと伸し上がった学校の部長を務める男の子。そんな神業をやってのけるなんて、一体どんな天才なのだろうと私はおののいた。
 私は剣道同好会に所属している。大会も無く、ただのんびりと竹刀を振り、細々と試験を受けて段を取っていくようなゆるいものだ。例えばこんな私が、今日から一か月猛練習して大会に飛び入り参加したとして、個人戦優勝が叶うだろうか。
 無理に決まってる。部活レベルですらない私ができる想像なんてたかが知れているが、そんな私でも円堂守の偉業はとんでもないと理解できた。
 一体どんなすごい人なんだろう。

「……天才じゃんって思ってたんだけどなあ」

 隣で難しそうな顔をしている円堂守を見て溜息が出た。
 円堂は何という奇跡か、私の隣の席となった。期待を膨らませた私は彼とどんな会話をすれば釣り合うのだろうかと思案していたのだが、いざ授業が始まり教科書を取り出したところで彼に話しかけられたのだ。
 そして出てきた言葉が、「教科書忘れた」だった。私は全力で落胆した。
 私の独り言に気付いた円堂が、授業中のためか、手のひらを立て私に身を寄せながらこそりと話す。

「えっ? なに? 俺のこと?」
「初っ端から教科書忘れる人を天才とは呼ばない」
「ごめんって」

 へらりと眉尻を下げて笑うその様は間抜けにすら見える。本当に彼が全国優勝に? つい疑いの眼を向けてしまった。

「それにしても、利根川東泉って勉強進んでるんだな……俺全然分かんない……」
「そう? まあ部活もないし、他の学校よりは勉強してる時間長いと思うよ」
「まじ? やべえ……なあ、これどういう意味?」

 円堂が教科書を指差し聞いてくるので、どれと覗き込もうとした瞬間。

「そこ、うるさい!」

 担任の怒鳴り声に私と円堂は縮こまるしかなかったのである。


 丁度いいから二人で校舎探索行ってこい。
 放課後、担任のその言葉に円堂が期待の目を向けてきた。正直言えば、興味がある。間抜けそうに見えたとはいえ全国優勝は嘘ではない、深く聞いてみたい。しかし男の子と二人で校舎を歩くことに少なからず抵抗があった。
 まあ、都会から来た男の子ということもあり意識してしまう年頃なのだ。ちらりと円堂に視線を投げると大きく口を開けて笑った。

「なあ、行こうぜ。頼むよ」

 円堂自身の申し出とあれば心は軽い。私は笑って了承することができた。
 歩きながら私は円堂にたくさん質問をしてしまった。もちろん転校生である円堂からの質問もそれなりにあったが、私が被せるようにして聞いてしまったのだ。ちょっと身勝手だったと後悔したが、円堂がにこにこと笑っているおかげで少し救われる思いだ。
 円堂の語る全国優勝までの軌跡は非常に面白かった。なるほど確かに、それだけチームが一つになれれば優勝も夢では無いだろう。そう思わせられると同時に、その熱さに羨ましさを感じてしまう。のんびりとした同好会は大好きだが、そんな熱い世界に身を置いてみたいとも思うのだ。
 まだあらすじしか聞けていないので、どこかで時間を作って残りの話も絶対に聞いてみたい。

 粗方校内を回った所で円堂が「グラウンドに行きたい」と言うので外へ出た。
 今日は同好会の活動は無い。そのためグラウンドは静かで木々のさざめきがよく聞こえた。自然豊かな利根川中だからこそ見られる光景は、利根川中の生徒の自慢でもあった。
 円堂がグラウンドを見渡して、何かを思案しているのかどこか遠い目をしている。
 それを見て私は思い出した。サッカー同好会は会員が少ないこともあり、ひっそりとした端しか場所が無いのだ。例の一年生の勧誘によって部員は徐々に増えているとは聞いているが、強化委員として派遣されるほどの実力がある円堂はがっかりしてしまうんじゃないだろうか。

「サッカー同好会の場所はめちゃくちゃ、いやちょっと狭いんだ」
「……似てるなあ」
「え?」

 じっとグラウンドを見つめながら円堂がこぼす。
 私は理解できず咄嗟に驚愕の声を上げた。

「なあ、お前さ、俺がここに来てがっかりしたとか思ってる?」
「ええっ! いや、そんな訳ないじゃん!」

 円堂に少し笑いながら問われ、図星でしかなかった私は異様に慌ててしまう。手を忙しなくぐるぐると回してしまい、答えは火を見るより明らかだった。
 しかし円堂は調子を崩さない。

「知ってて選んだんだよ。ここは昔の雷門によく似てるんだ、試合することも、みんなで練習することも出来なかったあの頃の雷門に」

 円堂から聞いた昔話では、一年前、本当に雷門中は部活として成り立っていなかったそうだ。
 練習しようにもグラウンドが使用できず、そして仲間とも協力できず、ただ一人でボールを蹴る毎日。
 しかし突如舞い込んだ試合がきっかけで、円堂は今までにない行動を起こした。それに心を動かされた仲間たちがついていった。

「ここにはいるんだ。全力で走り回って、何が何でもサッカーをしてやるっていうやつがさ」

 私の頭に一人の男の子が浮かぶ。
 笑顔を絶やさず、くじけず、生徒に声をかけて回るあの姿。サッカー同好会に入ろうとは思わなかったが、応援してもいいんじゃないかと思わせてくれる頑張りだった。
 円堂がぐっと拳を握り、語気を強める。

「ここでなら優勝を目指せる。すっげえチームになれる!」

 優勝。利根川中には縁の無い言葉。
 同好会で充分だと甘んじているが、それでも夢を見ない訳ではない。強豪と競い、頂点へ立つ憧れは、私の中にも確かにある。
 円堂は握りこぶしを私に向かって突き出すと、ぴんと人差し指を立てた。

「見てろよ、俺たちは優勝する!!」

 利根川東泉中学校は、大会に参加できない学校だ。そんな私たちが優勝などできる訳がない。
 しかし円堂の何よりも輝く笑顔を見ていると、その向こうに優勝杯を掲げる姿が浮かんでしまう。
 心臓がうるさい。胸の奥から湧き起こる感情に、私も円堂に負けないぐらい、大口を開けて笑ってやった。

「嘘だったら承知しないからね!」

「おう! 任せとけ!」



2018.9.24
ぷらいべったーから

- 16 -

*前次#


ページ: