円堂とラッキースケベ






『――座のあなた。異性関係に大きな変化が起こります。焦らず、怒ることなくじっくりと自分の感情を見極め理解することがよいでしょう。意識すべきは、善行です。今月は特に何倍にもなってあなたへ返ってくるでしょう』

今月のファッション雑誌の最後の方にある星座占いのスペース。布団に寝転びながら名字は文章に指を添えながら読んでいた。
中学生ともなり恋愛に関して興味を持っている彼女が注目したのは当然『異性関係』。明日から新学期が始まるので、もしかしたら新しいクラスメイトとの出会いを指しているのではと胸が躍る。
善行が良いと書いてあるので、明日からは絶対いいことをしよう。
部屋の灯りを消した名字は前向きな気持ちで眠りについた。


母が階段を上り、こちらへ向かう足音がする。

「名前、朝だよー」
「んん……まだ六時じゃん……」

ドアが開け放たれるにと同時にかかった声に、名字は枕もとの置時計を見て唸った。
いつもならあと一時間は寝ていられるというのに、どうしたことか。

「新学期じゃないの? 春休みはもうおしまい!」
「うわあそうだった!」
「それとね、朝おばさんの家に届け物をしてくれない? 朝渡したいのよ。でもお母さんもパート行くからちょっとね」

跳ね起きた名字はすぐに下された指令に、心の底から面倒くさいという気持ちを顔で表現した。
しかし次の瞬間昨夜の雑誌の言葉がよみがえる。

「そうだ、ゼンコー! 善行しなきゃ! わかった行く!」

善行が私の恋人につながっている!
名字はすぐさま主張を引っ繰り返し答えると、母はあまりの変わりように怪訝な顔をしつつも了解したようだ。
リビングに置いてあると伝え、ほどなくして出勤していったのである。
その後名字は上機嫌で食事と後片付けを終え、制服に身を包み頼まれごとの紙袋を手にした。
片手で十分に持てるほどの大きさだが、一体何が入っているのだろう。

その後無事に叔母の家に届け終え、名字は雷門中学を目指し歩いていた。
町内なのでなんとなく道順は分かるが、この道から登校するのは初めてだった。
少し記憶がおぼろげだが、恐らくこっちだろう。

春の陽光が差しつつも、四月の朝は肌寒い。
ふるりと一度震えながら先のことを考えた。
一体どのような変化が起きるのだろうか、もしかして今トーストをくわえていれば、かっこいい転校生と衝突する未来があったかもしれない。
クールな切れ長イケメンがいいな、などと考えながら目の前に迫った電柱をきちんと避ける。
流石に考え事をして電柱に衝突など、そんな恥ずかしいことはしないとひとりで得意げに微笑む。
だって私は今日から中学二年生なのだ――曲がり角を曲がろうとした瞬間、前方から強い衝撃を受けた。

「うわあっ!」
「いった!」

男の子の声を聞きながら、弾き飛ばされた名字は尻もちをついた。
尻を硬いアスファルトに強かに打ち付けたため声にならない悲鳴をあげて悶絶する。

「すみません! 気付けませんでした! ……あ、」
「いや、こっちも考え事をしちゃって……あれ、確か……円堂くん?」

尻もちをつき、膝を立てたまま名字は顔を上げるとそこには密かに噂になっている人物がいた。
オレンジ色のバンダナが印象に残る円堂守だ。
彼は部員ゼロのサッカー部に入ったことで一年生にして部長になったと聞いたことがあった。
そんな彼はいの一番にぶつかったことを謝罪し、また名字も不注意だったのでそう告げたが、なぜか円堂は途中で固まってしまっていた。
次に首元から上に向かってどんどん真っ赤になっていく。

「円堂くん? なに?」
「……」

円堂の視線はある一点を向いているようだった。
それは名字の視線よりもずっと下にあり、辿っていってみると足元で――正確には、膝を立てたことであらわになったスカートの中である。

そりゃそうだ、互いに向き合った状態で転び、女である名字が制服のまま膝を立てていれば至極当然、見えるものはひとつ。
理解した途端名字は膝を倒した。
気付かぬ間に顔にはどんどん血が集まっていった。

「お……俺……見てない! 見てないからッ!!」

いや見たでしょ? 絶対見ただろ!
しかし名字が声に出すよりも早く円堂は立ち上がり、転びそうになりながら横をすり抜け走り去っていった。
――今日の下着は確か、淡い色のオレンジ。かわいくてお気に入りのおろしたて。

「い……ぎゃーッッ!!」

真っ赤な顔のまま、道路に座り込みながら耐え切れずに叫んだのである。





学校へ辿り着いた名字はクラス分けの表を見て絶望の表情を見せた。
自分の名前を見つけたかと思えば、今はどうあっても見たくない名前が視界に飛び込んできたのだ。
肩を落とし、周囲から奇異の目を向けられるほどの落胆を見せながら彼女は教室に向かう。
扉の前に立ち見えない向こうを睨み付けた。扉を開ければ奴はいる。

両手をかけ、まるで重い鉄製の扉を開けるようにゆっくりと動かす。
徐々に開かれる扉の隙間からやはり、円堂守の姿が見えた。

どうやら友人と雑談しているらしい彼はにこにこと憎たらしいくらい朗らかに笑っている。
自分はこんなにも悶々としているというのにどういうことだ。

「ム、ムカつく……はっ、善行」

いやいや、よく考えてみよう。
そもそも事故だった。互いに不注意な所があったし、ぶつかったことに対して円堂はきちんと謝罪してくれた。
当然悪気は無い。
(パンツは謝られてないけど)
羞恥こそあったものの、ここで怒ったところで仕方がないので、水に流すのが一番なのだ。

深呼吸をすることで少し気持ちが落ち着いた。
ほら、今なら能天気な円堂を見たって怒りはちっとも……いや少しだけ……半分ほどしか湧いてこない!

ふいに円堂と目が合った。
あ。
声こそ聞こえなかったものの円堂の口はそう形作った。
名字はたまらず目を逸らす。

水に流すと決めたではないか。
今はあの話を蒸し返されることの方が恥ずかしい、早く忘れるためにも放っておいてほしいのだ。
決して円堂に視線を寄越さないまま名字は自分の席を探し、着席する。
筆記用具等を取り出し鞄を机の脇にかけて、ちらりと横目で見る。
決して目を合わさぬように、様子を見るためだけに。

……見てる。めっちゃ見てる……!

円堂の視線は担任が入ってくるまで感じられた。
嫌な予感がする。

それはすぐに的中することになった。
円堂は休み時間になると真っすぐ名字へと向かってきた。
俺は見ていないって朝言ってたじゃないか、何故蒸し返すような真似をするんだ!
円堂から隠れるように頭を伏せてみるが、『名字、ちょっといいか』と声をかけられてしまえば無視とはいかない。

「……な、なにっ?」
「朝のこと……話したいんだ。外に行こう」

神よ。



所離れて、円堂についていけばやがて校舎裏へとたどり着いた。
ともすれば告白とも間違えられてしまいそうな状況であるが、二人を包んでいる空気はそんな甘酸っぱいものではない。
円堂とはほとんど会話したことがないが、流れてくる噂からすれば誰かを虐げるような人物ではないと知っていた。
そのため二人きりだからと暴力沙汰の心配はしていないが、今の名字にとってパンツの方がよほど心配だった。

「……あの……ごめんな!」

やがて円堂が両手をぱんと音を立てて合わせ、そのまま頭を下げた。
ほとんど同じぐらいの身長のため見えなかったつむじが名字の目に飛び込んでくる。

「わざとじゃなかったんだけどさ、あの後叫んでたの聞こえたし……女子ってああいう、見られるのってすごい嫌なんだろ? 俺恥ずかしくて戻れなくて、遅くなったけど謝りたかったんだ!」

言い終えてから円堂は再び顔を上げ、名字の顔を見た。
その目は先ほどの言葉通りの感情が込められており、円堂に対して嫌な思いしか抱いていなかった名字はたじろいでしまった。
これは罪悪感だ。
確かに怒っている、しかし円堂のこの目を、表情を見て少し萎んでしまった。

「……いいよ、別に! 私、全然気にしてないから!」

本当は掘り返されるぐらいなら放っておいてほしかった。
自分の最大級のプライベートな部分が異性の目に触れるなど、思春期の名字には大きなダメージだ。
でももういい。名字はそう思うことができた。

「そっか……! ありがとう名字、お前いいやつだな!」
「え、そう? そっかなー、えへへ……」

円堂はすっかり笑顔だった。
それに影響されたのかつい口元がほころんでしまい、穏やかな心持になる。
パンツの一枚や二枚が何だ、円堂みたいなやつなら、からかったりしないし問題ないじゃないか。

「さ、早く教室もど」

――びゅうっ。
春一番を思わせる強い風が吹く。
二人で声を上げた。

――ばさあっ。
驚きのまま目を開けていると、名字は自分のスカートが力強く舞い上がりはためいているのを見た。
向かい合っていた円堂も、もちろんのこと。

再び二人の間に沈黙が落ちた。
またパンツを見られた。その事実が頭を支配する。
でも今の名字は違う、円堂の真摯な姿を見て心を入れ替えたのだ。
いいじゃないか見られたって、円堂なら構いやしない。

――そう、パンツの一枚や二枚……!



「一枚でも許すかボケーーーッ!」



全身を震わせながら名字は吠えた。

「ああー! やっぱり許せない! 目を反らすぐらいしてよ!!」
「わざとじゃない! わざとじゃない!!」
「どうでもいいわそんなの!! そもそも蒸し返さないでよ!」
「む、蒸し返す!? なんで今茶碗蒸しの話してんだよお前!」
「マジ? マジで言ってんの!? とにかくムカつく!!」
「い、いてえ! 叩くなよ!」




『――座のあなた。異性関係に大きな変化が起こります。焦らず、怒ることなくじっくりと自分の感情を見極め理解することがよいでしょう。意識すべきは、善行です。今月は特に何倍にもなってあなたへ返ってくるでしょう』
「善行なんてやってられっかあ!!」




2017/10/02

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