夏の終わりに出会う






「うわ、ぶっさ」

夏の終わりの花火大会。
彼氏だった人は、こともあろうかつけまつげが外れかかった私にそう言いやがった。

「ふざけんな死ね!!!!」

頭が真っ白になり、そのまま元彼の中心点を下から蹴り上げ、薄桃色の浴衣をはだけさせながらその場から逃げた。

右の視界に揺れる黒い何かを指でつまみむしり取る。
つけまのりがふやけてら。
左側も同じように取って投げ捨てたら目が熱くなってぶわっと涙があふれてきた。

良い彼氏ではなかったと思う。
高校デビューをして、学年でかっこいい男の子に一目ぼれしてそのまま告白したら成功した。
彼は流行が分かるし周りに人は絶えなかったし、きっと素敵な人なんだろうと夢を見た。
彼が受け入れてくれた理由なんて、視線がこのやたらでかい胸に集中しているからすぐ分かったというのに。
彼の追った流行なんてどこにでもいる多数派の組み合わせだし、友達だってよく見れば飲酒喫煙を面白がるような人ばかり。
自宅やカラオケにすぐ行きたがって、断り切れずに入ったネットカフェではじめてのキスをしてしまった。
私の家に門限がなかったらそれ以上もあっただろう。

「ばか、あほ、しんじまえ! うあああん」

でも高校デビューをした私にとって、輝かしい存在だった。
だからいやらしい目的でも誰だっていつかは結ばれるんだからと気にしないようにしたり、派手な子が好きだからと露出の高い服を選んだり、化粧を濃くして目が大きく見えるようにつけまつげもして。
でもつけまつげなんて初めてだったから、花火デートが始まってしばらくすればボロが出た。
今まで顔のことは悪く言わなかったのに、頑張ってつけてきたのに、あんな風に顔を歪めて嘲笑されるなんて。

「あっ」

身体が横から押され、ぬかるんだ土手に膝をついてしまった。
押された方を見るけれど誰も私を見ておらず、膝から伝わる冷たさだけがあった。

派手なリップを手の甲で強引に拭う。
手の甲にあるはずのリップと泥は暗くて見えない。
会場とは反対側の土手で光は僅かにしか届かないから暗いのだ。
でもすぐ向こうは明るいんだって、人々の足の隙間から漏れる光で分かってしまう。

好きな人を想うのは幸せなことのはずなのに。
こんなに無理している時点で、私こそあの人をちゃんと好きではなかったのだろう。
ばかなのもあほなのも、私なんだ。

ふと、俯いた視界にサンダルが飛び込んできた。

「お姉さん、手! 掴んで!」

顔を上げると、泥だらけの私に、手を差し伸べてくれる男の子がいた。

「もっと汚れるぞ!」
「え、あ、はいっ」

明らかに年下であろう男の子に敬語で返しながら、私も手を伸ばす。
でもそれはリップと泥で汚れた方であり、つい手を止めてしまった。

「ほら、はやくっ」

でも男の子は伸ばしかけの手を躊躇なく掴むと私を引っ張り起こしてくれた。
いざ立ち上がってみると、男の子は私よりも少し小さいくらいで、およそ中学生くらいだろうか。
動きやすそうなシャツにハーフパンツ、サンダルといったラフな装い。
頭には多分オレンジ色のバンダナをつけている。

「大丈夫か?」
「うん、転んだだけだから」

提灯の灯りに照らされ心配そうな顔が浮かぶ上がる。
確かに転んだだけだ、心はそれだけじゃないけれど、この男の子に言うべきことでは無い。
男の子は持っていた携帯電話のライトで私を照らした。

「うわ! すごい泥んこ!!」
「ひえ、通りで下半身が冷たい訳だ」
「怪我とかない?」
「うん、どこも痛くないよ」

薄桃色の浴衣は可哀そうなことにすっかり茶色だ。
男の子がくれる光を頼りにハンカチを取り出し、気休め程度に拭う。

「本当にありがとう、助かったよ」
「怪我がなくてよかったよ。なあ、一人みたいだけど、誰かとはぐれたのか?」
「……ああ……」

思い出してしまった。
私は彼氏に顔を不細工と言われ、そのまま急所を蹴り上げ逃げてきたんだった。

「ふたり……」
「二人?」
「ふたりだったんだけどねっ……へへ、だ、だめになっちゃったあ……ふぐっ」
「えっえっお姉さん!!?」

やばいまた涙出てきた。
すわっていた先ほどならともかく、こうして立ち上がったことで当たる光で泣き顔はよく見えるはずだろう。
嫌な目に合った後に優しくされてしまって、我慢できなかった。

「待って待って、こっち行こう!」
「ふぐうううっ」

押さえきれない嗚咽を漏らす私を男の子は引っ張り始めた。
それは人ごみの中で、こんなボロボロの状態で抜けられるか不安だったけれど、引いてくれる手が上手く誘導してくれた。
自分より体が大きい大人たちの間を、人ひとり引きながら歩いていく背中は頼りがいがある。
あいつもこんな風に優しい人だったらな。
人々が泣き顔を横目で見てくる中、私はどうしようもないことを考えたのだった。




「せっかくのね、花火大会だからって、私頑張って浴衣着てお化粧もして、つけたことのないつけまもしたのにっ」
「うんうん」
「ぶっさ、って! 嫌な顔で言ってきて〜〜〜!! うああああああん!!」
「お、お姉さん目が真っ黒になってきてるぞ……?!」
「こんだけ泣いたら崩れるに決まってるでしょ!! 男もやってみろよお!! 化粧したくないよおおお分かんないよおおお!!」

この会場に来ることは少なく私は詳しくない。
でも男の子は土地勘があるらしく、空いているベンチを見つけ、そこで話を聞いてくれた。
少しだけのつもりだったけれど、後から後へどんどん出てきた。
それに比例して、私があいつのために頑張ったことに対して褒めてほしかったという気持ちが溢れ、それがなお悔しかった。

「好きな人といるのに、こんなにつらいなんて思わなかった……難しいよ恋愛って……」
「……うんと、俺は経験ないから分からないんだけどさ。お姉さんは無理して別人になろうとしてたんじゃないか」
「……別人?」

一瞬嗚咽が止まった。

「その男に合わせて色々変えたりしてるけど、本当はやりたくない、好きじゃないことで、それはもう別人だよ。お姉さんはお姉さんで、俺だって別人にはなれないし」

――濃い化粧。つけまつげ。派手なリップ。露出の高い服。
それをやったのはあいつが好きそうだったからだ。

「派手な私は、きっと別人だった」

……だって正直、シンプルの方が好きだから。
そうだ、ファッション雑誌を見ている時だって着たいと思うのはそういうのだった。
久しぶりに自分の好みを思い出し、あいつに合わせようと無理をしていた自分が変に見え始めた。

「お姉さんが、一番自分らしくいられるのが、好きなことや大切な人だったりするんじゃないか。俺はサッカーなんだけどな」

あいつのことは確かに好きだった。
でもそれは、人の注目を浴びて立っていられるところとか、大抵のことに臆しない愚かとも言える姿に羨ましさを感じたから――かもしれない。
本当のところは分からない。
でも私は、無理を続けるべきじゃなかった。

「……なんか、スッキリした」
「元気が出て良かった!」

ああしなきゃこうしなきゃって言う重みが消え去り、見えなかった自分が見えてくる。
すっかり憑き物が落ちたような私に男の子はにっこりと笑った。
――それは太陽のようだった。
胸がぽっと温かくなる。

ブブ、とバイブレーションが聞こえたと思えば男の子の携帯電話からだった。

「誰から?」
「友達! これから合流する予定なんだ」
「そうだったの? うそ、ごめんね! 付き合ってくれてありがとう!!」

返信をする男の子に私は身振り手振りで申し訳なさを表現した。
友達との約束があるのにわざわざ付き合ってくれていたなんて。
ブブ、とまた音が鳴る。
すごく早い返信だなあ。

「なあ、お姉さんも一緒に行こうぜ! 地元の奴しか知らない花火の特等席に行くんだ! 今日はもっと楽しい思い出作んなきゃもったいないぞ!」
「特等席!? い、行きたい! いいのかな!?」
「さっき聞いたら大丈夫だってさ!」

もう聞いていたのか……!!
私は唖然としながらも、胸に広がる期待感に気付いていた。
地元民しか知らない特等席、楽しみじゃない方がおかしい!

「行きます!」
「やった! じゃあこっちな。あっと、名前言ってなかったよな。俺、円堂守。中学二年生!」
「すごく今更になっちゃったね。私は名字名前、高校一年生だよ」
「あれ、中学生じゃないのか? 先輩って呼ばなきゃ駄目か?」
「駄目じゃないよ! 好きに呼んで、円堂くん」
「じゃあ名前さんで!」

男の子改め、円堂くんとぎゅっと握手する。
背は小さいけれど手は大きく、結構硬い。
ぽかぽかと温かい手だ。
苗字ではなく名前で私を呼んでくれるのがなんだかかわいい。

「花火の特等席、覚えておいて来年も来ようかな〜」
「そうしなよ! すっげーキレーだからさ!」
「浴衣は……うん、オレンジ!」
「名前さんに似合うんじゃないか?」
「円堂くんが言うなら間違いないね!」


オレンジバンダナの円堂くん。
――高校生が中学生に惚れたら、ちょっと変かな。




2017/10/09

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