レズビアンと円堂の片思い





※直接的な性的な単語あります

※主人公が同性愛者
※円堂がやさぐれてる







「あたし名字さんのことが好きみたい。だからキスさせて?」

綿菓子のような女の子だった。
白魚のような細く美しい指が頬に添えられ、ゆるく波打った髪が私の耳をくすぐる。
床を背にした私は追い詰められ成す術もなく、ただ彼女の甘く柔らかい唇を受け入れるだけだった。

――小学六年生のあの日以来、私は女の子にしか恋ができなくなった。


暗闇の中に名字が立っている。
まだ十代前半の幼い顔立ちだが、上に釣った綺麗な目は彼女の冷静さをよく表している。

「彼女はとてもうつくしく愛らしい子でした。
物静かでつまらない私を一番の友だちだと言ってくれる優しい子です。
彼女に好きだと言われ、唇を合わせた瞬間この子しかいないと思いました」

ただの回想には必要ないと判断したのか、名字は笑わない。

「遺伝子がこの子を求めているとまで錯覚して、もう離れないと思ったけれど。
中学に上がってしばらくしたら、別の人……男に恋をしたみたいで、距離を置かれました。
彼女は私がいなくても大丈夫らしいです。
しかし同時に私も大丈夫でした。
すぐに別の女の子に恋をしたからです」

名字は突然微笑んだ。

「あんなに好きだった子をすぐに忘れる私って、幸せになれるんですか? 誰が、選んでくれるんですか?」



・・・・



「……名字、名字。起きろって」

少し掠れた低い声が聞こえると同時に身体が揺さぶられた。
今私は誰かに起こされている、そう分かってはいるものの夢から覚めたばかりの身体は言うことをきかない。

「名字ー」

先ほどよりも声が近い。
……男の声だ。押さえきれない嫌悪感が身体をびくりと揺らす。
誰だ、私に触れているのは。
やがて耳元に吐息を感じて――

「……起きないなら、ちゅーしてもいいかー」

「気持ち悪い!!!」

直接落とされた声により気持ち悪さが爆発した。
あの初恋の人を奪っていった憎い『男という性』。耳の奥に侵すように囁かれたその声に背筋が酷く冷える。
意識が混濁していた先ほどまでは分からなかったものの、最後の最後、あのふざけた物言いの主には心当たりがあった。

「……円堂、やめてくれる」

「はよっす。悪いな、でも外は真っ暗なのに、名字が一人で寝こけてたら心配するだろ」

円堂守。この男の言い分は確かに間違ってはいないだろう。
いくら高校の中の学習室といえど、窓の外はすでに真っ暗のこの時間帯に一人で寝ているのは様々な意味で良くない。

「ふうん、心配ならいやらしい悪戯をしてもいいってわけ」

「されると思った?」

「……しないでしょ、円堂は」

不本意の相手に迫るなどこの男は絶対にしない。いけ好かないけれども理解していた。



・・・・



円堂は不気味な男である。
中学生の時、円堂に告白されたことがある。
しかし私は好きな人――好きな女の子がいたので、曖昧に断って終わりにしていた。
よく、あるのだ。クールだとか、知的だとか、私に対する勝手なイメージの元に無駄な期待を持って、男は迫ってくる。
違う、あなたたち男に興味が無いだけだ。私をまるで本当は心優しい人と期待しないでほしい。

しかし一度断ったのにもかかわらず、円堂は再び特攻してきた。
当時の私は「一目惚れだとか言っていたから性欲だろう、断っている内に応えない獲物からは興味をなくすはずだ」と告白される度に円堂を一蹴した。
諦めて、と言ったら、

「諦めない! 名字に振り向いてもらえるまで、絶対に諦めないからな!」

と来たものだ。
だから言ってやった。

「私は好きな人がいるの。あんたのマネージャーの××だよ。女の子? 恋愛じゃない? 馬鹿言うな。私はあの子を抱きしめて、キスして、セックスだってしたいと思ってるよ」

どうだ、サッカーのことばかりで、健全で、後ろ指の刺されることの無い円堂は、私の言っていることが理解できないだろう。
あんたの好きになった女は、性に恥じらいもない、同性愛者なんだよ!!

……それでも、円堂は私を好きだと言った。

円堂を遠ざけるために私が吐く下品で直接的な性表現に円堂はひどく顔を紅潮させ、たじろいだ。
しかし次の日には、

「俺だって、お、お、お前に、……してみたいって思ってるよッ! 一緒だろ! お前が良くて俺がダメなんて、理由にならねーぞ!」

そう結論付けてしまう。
女の子が恋愛対象だから断っているのに何故こうも食い下がるのか、円堂守!!

そうして攻防を繰り広げている内に、私は告白して玉砕し、卒業して、高校に進学した。
円堂はサッカーの名門に行くのだとばかり思っていたが私と同じ高校を選んだらしい。
気まぐれで問いかけてみれば、サッカーはどこででもできるから、と言っていた。
そして続けて、笑っているというのに真剣という、寒気を感じさせる表情で口を開いた。

「名字がどっかの女に取られねーように見とかないといけないだろ?」

円堂は私に対する下心を認めてから変わっていった。
あれだけ純粋で、真面目で、私のひねくれた性格とは正反対な男だったのに、気が付けばそんなことを言うようになっていた。
悟った、達観した、擦れた。
どの表現も的確ではないが、……欲求に対する理解が深まった、というのだろうか。

同性愛者に対する嫌悪感に訴えることができなくなったため、円堂を私から引きはがすことは叶わず、今に至るのだ。


誰もいない学習室。
円堂は私の前の席に腰かけ、私の一挙一動を見つめている。
穴が開くほど見て、記憶した私をどうするというのか。
そう下世話な想像をしてしまうのは、私だって同じことを恋した相手にしているからだ。

「名字、好きだ。付き合ってくれ」

「無理」

「相変わらずだな」

「私じゃなくてもいいでしょ。どうせ童貞はどっかで捨ててるんだろうし、楽しんできたら?」

「いーや、残念ながら。どっかの誰かさんが応えてくれないからなあ」

私は愛し愛される女の子に出会いたい。
だから円堂に応えることはできない。


――心のどこかで私が叫んでいる。
「あんなに好きだった子をすぐに忘れる私って、幸せになれるんですか? 誰が、選んでくれるんですか?」


・・・


一目惚れだった。
中学生の時、マネージャーと一緒にいる名字と目が合った。
話したことは無い。でもきれいな顔立ち(らしい)を騒ぎ立てる人は少なくなく、彼女の存在は知っていた。
けれど目が合ったその瞬間、どうして今までこいつを知らなかったんだろうと後悔した。
声も、話し方も、表情も、性格も何も知らないのに、何もかもを貫いてしまうような眼光に、俺の一部は持っていかれた。

顔が熱い。胸がどきどきする。汗が滲む。
視界がぐっと狭くなる感覚は鈍い俺にも分かる、名字が好きなんだと全身で叫んでいるんだ。
我慢ができなくなって俺は名字に告白した。

「ごめんなさい、円堂くんのことよく知らないから」

結果は散々だった。
けれど俺のことをよく知らないからということなら、知ってもらえばいい。そう奮い立って俺は名字への接触を繰り返し、何度も告白した。
そしてある時、名字はブチギレた。

「いい加減にして!! 気持ち悪いのよ、そうやってよく私を知りもしないのに好きだ好きだって!」

名字の目はまるで獣のようだった。
俺に対する警戒、不信、嫌悪。
今までの大人しさが嘘のように名字は吠えた。
唖然としている俺を見て名字は一度深呼吸をした。
次に目を開けると馬鹿にしたような表情で言った。

「私は好きな人がいるの。あんたのマネージャーの××だよ」

「え……あいつは、女子じゃないか。それは……恋愛じゃなくて友情じゃないのか?」

「女の子? 恋愛じゃない? 馬鹿言うな。私はあの子を抱きしめて、キスして、セックスだってしたいと思ってるよ」

――セックス?
その直接的な性表現に俺の思考は一度止まった。
そりゃあ、知識としては知ってる。人間の誕生には不可欠な行為だ。
でも名字はそれを女子と――俺の傍にいつもいてくれるマネージャーと、したいと思っているらしかった。

「私は性格と性別どっちも含めて恋をしているのッ! あんたは私の顔と、身体だけが好きなんじゃない? 男でしょ。おっぱいとか好きでしょ。下半身で頭がいっぱいだものねッ!」

「はあっ!?」

一気に顔が熱くなるのを感じて俺はその場から逃げ出した。
名字の言葉の意味があまりにも直接的すぎて俺は処理仕切れなかったのだ。

そして一晩中考えた。
――俺は名字対してそんな気持ちを抱いているのか?
いやそんなことはない。ただあの目に射抜かれて、彼女をもっと知りたくて、一緒にいたくて。

……今日のあの吠えた顔は怖かったけれども、名字の新しい一面を見られたような気がしてとても嬉しかった。
怒っていても可愛くて仕方がない。
髪も柔らかそうで、あの繊細な指先で流しているのを見ると胸が苦しくなる。

触れたらどんな表情をするだろうか。
きっと怒るだろう、女子が好きだという名字は男という性別を嫌悪しているように思えたから確信を持って言える。
しかし柔らかいだろうな。頬なんかさらっとしてて、どこもかしこも丸くて柔らかそうで、胸なんて指が深く沈んでいくに違いない。

……。
今、俺は、何を考えた。
名字の『どこに』指を沈めようとした。

考えれば考えるほど、妄想はより鮮明に物語を進めていく。
押さえきれない衝動、それは心だけじゃなく、身体も一緒だった。

それ以来、俺は自分の欲求という存在が目に付くようになった。
名字の言う通り、俺はあいつに欲求を抱いている。
けれどお前じゃないとダメなんだと思うこの気持ちだって、胸に息づいているんだ。
俺は絶対にお前を諦めない。




ある時、名字はマネージャーに告白をしたらしい。
誰もいない非常階段で泣いている名字見つけて、そう話を聞いた。

「友だちにしか、思えないってさ。やっぱり女の子じゃだめなんだね。円堂、円堂が羨ましいよ。性別が同じなだけであの子へのスタートラインに立つことができない。ずるいよお」

あの日俺に吠えた時とは打って変わって、小さな肩を震わせる名字。その声は掠れていて酷いものだった。
あまりにも悲痛すぎる叫びに何を言えばいいか分からずただ隣に座り続けた。
せめてその気持ちを吐き出してほしい、飲み込んで傷つくなんて許せない。

「……でもね、あの子ね、ありがとうって言ったの。『好きになってくれてありがとう』って。気持ち悪いなんて、最後の最後まで一度も言わなかった。笑って、涙目になりながら手を握ってくれたの」

あいつは名字を大切な友だちだとよく自慢していた。
一体どんな気持ちだったんだろう。想像しても答えは出ない。
でも、泣いていたのは、名字が好きだからなんだと思った。

「……あの子を、好きになって良かった……」

名字の指がそっと俺の袖を掴んだ。
縋るように、耐えるように、激流のような感情が僅かに飛び出したがための行動。
一瞬だけ見えた真っ赤でぼろぼろな顔を見て衝動的に俺は名字を腕に閉じ込めた。
泣きすぎた身体は酷く熱い。名字の感情を一つ残らず、こぼさず、受け止めるために腕に力を込めた。

名字は誠実だった。
ぼろぼろになって尚、「好きになってよかった」と言える名字に、俺はどうしようもなく惚れていた。

好きだ。
好きなんだ。
どんどん大きくなっていく気持ちは、お前が嫌がっても止められそうにない。







学習室で眠り込んでいた名字に再度告白するが結果はいつも通りだった。
真剣だけれど、名字とのやり取りの末に身に着いたこの軽口で誤魔化すようにした。

どうしたら名字は俺を見てくれるかな。
そう考え続けて早数年、応えは未だに出ていない。

「クラスの奴らにさ、女子が好きってバレるのとかいいと思ってんだけど」

「学校に来られなくなるじゃん」

「俺が守るって」

「そういう魂胆ね」

名字は馬鹿にしたように笑った。
そりゃそうだろ。好きなんだから。
俺しか味方がいなくなったらいいって、よく思っている。

「バラすの?」

「バラさない。お前を傷つけることは、俺からは絶対にしないよ」

「……誰かが勘付いたらっていう理想論なのね」

「好きな子は『泣かせたくない』けど、周りに『泣かされ』てたら慰めたいだろ」

名字は溜息をついた。
やがて俺の存在を無視するようにして帰り支度を始めた。
じゃあ俺も帰ろう。いい顔はされないけれど一緒に帰ることは拒否されていないんだ。

「……名字」

「何?」

顔を上げた名字の目は、きれいだった。
何もかもを射抜くような眼光。でもそれは周囲の男に対する不信だと俺は知っている。
でもそれがきかっけだった。名字を知りたいと思えたおかげで、色々な姿が見れた。

「遊びでいいから、俺と付き合ってくれ」

告白するたびに思っていた。
名字になら遊ばれたっていい。
そう思ってしまうほど名字が好きで求めていた。
この俺の本心には一切力が籠っていないのは、答えが分かりきっているから……なんだろうな。

「円堂には恋をしていないから無理だよ」

名字が遊びで恋なんてするわけない。
不利な条件でだって誠実に真っすぐに、そんな強い女の子だった。

「だよなあ。お前のそういうところ、本当に……」



本当に大好きだよ、名字。






2017.11.13



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