06.みぞの鏡
「……ここどこだろう…」
ドラコと分れて歩いていたレイラは途方に暮れた声で呟いた。
談話室に戻る前に図書館に寄ってみようと思ったのがいけなかった。ここが何階なのかすらわからない。とりあえず上の階に向かえばいいだろうと階段を上っているのだが、行き止まりにぶつかって下へ戻り、また階段を上り……の繰り返しで全然上に行けている気がしなかった。

誰かに道を尋ねようにもあまり使われないエリアなのか、さっきから廊下に人の姿はない。しばらく無人の廊下を歩いていたレイラは誰かいるかもしれないと思いながら近くにあった古びた樫の扉を開いた。そこは空き教室みたいでがらんとしている。そうしていくつかの部屋を覗き込んでいき、ようやく椅子や机が置かれた部屋に辿り着いた。

けれどそこも長い間使われていないらしく、机と椅子は壁際に積み上げられ、ゴミ箱も逆さにして置いてある。全体的に色褪せた部屋の中で、一つだけ置かれた場違いに煌びやかな存在にレイラの目は自然と吸い寄せられた。
天井に届きそうなほど背が高い、金の装飾が施された鏡。
そっと近寄ると枠の上の方に字が彫られているのに気付いた。

Erised stra ehru oyt ube cafru oyt on wohsi……?」

理解できない文字の羅列を読み上げて首を捻る。
そして枠から鏡に視線を移したレイラはさらに首を捻ることになった。
鏡には空き教室が左右反転して映っている。いたって普通の鏡だ──レイラの姿を映していないことを除けば。
真正面に立って鏡に近付いたり、反対に遠ざかってみたりする。けれどどうやっても鏡にレイラの姿が映し出されることはなかった。

「鏡かと思ったんだけど、違うのかな?」

当然、ぽつりと呟かれた言葉に答える相手はいない。
自分の姿が映らない不思議な鏡に首を傾げ、そっと滑らかな鏡の表面に触れてみた。鏡のこちら側にはレイラの手があるのに、鏡の向こう側はその手を映さない。
何か特別な仕掛けがあるのかもしれないと裏側を見てみたが、普通に鏡の裏面があるだけだ。

もう一度、鏡の正面に立って自分の姿を映してみる。やっぱり埃っぽい教室が見えるだけだ。
なのに、何故か胸が締め付けられるよな苦しさを覚える。
懐かしくて愛しくて、欲しいものがある。手に入れたい、そんな感覚。

その感覚を追うように鏡を見つめていると頭がボーッと痺れたみたいな不思議な感覚に陥る。次第にその頭の痺れは全身に広がっていき、レイラは自分の指先が氷のように冷たくなっているのに気付いた。
それでも足は動かなくて、鏡から目を離せない。

頭の中がぐらぐら揺れる。冷えた全身がカタカタと震え、息が上手く吸えなくなる。頭の中を無理矢理かき混ぜられているようで気持ち悪い。吐き気がこみ上げてきて立っていられなくて、それでもまだ鏡から目を離せない。

薄汚れた空き教室が映るだけの鏡を見つめたまま震える自分の体を抱きしめるように小さく縮こまった。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
……気持ち悪い。
どろりとした気持ちの悪いモノが心臓から溢れ出して全身へ流れていく。血管の中を知らないなにかが這いずり回りながら脈打っている。


「──ほら、目を閉じて」

突然何かが聞こえた気がして、直後ふわりと何かで視界を覆われた。レイラの視線を奪っていた鏡が見えなくなり、徐々に吐き気が治まっていく。

「まだ知らなくていい、見なくていい」
「……だ、れ…?」

どこかで聞いたことがある、懐かしくて愛しい人の声。
思い出せそうで思い出せない。

「さあ、僕は誰だろう?」

愉しそうにくすくす笑うその人の声。あと少し、あと少しで思い出せそうなのに、視界を覆う温もりに意識が薄れていく。
思い出せそうなのに、──また忘れてしまう。

「おやすみ、僕の愛しい人」







優しい手が肩を揺らしている。
私より大きくて、強くて、温かい。あぁ、私はこの手を知っている。いつだって優しいこの手の持ち主は──

「………、…アル……ス…?」
「おお、起きたかね。こんなところで眠っていると風邪を引いてしまうよ」

目を開けると室内は薄暗く、汚れた窓から覗く月明かりだけでは視界が悪い。そんな暗闇の中で月明かりを受けてきらきら輝く、星空みたいな瞳。何度か瞬きを繰り返してそれがホグワーツの校長であるダンブルドアだと気付いて驚きに目を丸くした。
なんで校長がこんなところに……というより、ここはどこだろう?レイラはきょろきょろ周囲を見回しながら体を起こし、自分が横たわっていたのが冷たい地面の上だと理解すると余計に混乱した。

たしか飛行訓練の授業で怪我をして、医務室に運ばれて、それから談話室に向かう途中で迷子になって。──そこから先が思い出せない。軽い記憶喪失になったようでもやもやする。
レイラが難しい顔で途切れた記憶を辿ろうと考え込んでいると、きらきらした瞳でその様子を見ていたダンブルドアは杖を軽く振り、杖先にやわらかな光を灯した。
ダンブルドアが杖を二、三度振るとふわり、ふわりと蛍のような淡い光が空中に浮かんで薄暗い室内を明るく照らし出す。

「えっと……ダンブルドア先生?ここはどこですか?」
「二階の空き教室じゃよ」
「二階?」

思わぬ返答に間抜けな声が出てしまった。医務室がある二階からいくつも階段を上った気がしていたのだが、それともそれは夢で本当は医務室を出たすぐ後にこの部屋に入って眠ってしまったのだろうか。
ダンブルドアはレイラが口を開くのを待っているのか穏やかな笑顔のままこちらを見つめている。その淡い青で見つめられるとなんだか居心地が悪くて、レイラは頭にクエスチョンマークを浮かべながらも次の質問を口にした。

「先生はどうしてここに?」
「夜の散歩中だったんじゃが、この部屋のドアが開いているのが見えてな。中を覗いてみたら君が鏡の前で眠っていたんじゃ」

言われた言葉に視線を動かすと、金の装飾が施された大きな鏡が部屋の中央に置かれていた。レイラはその鏡の前で横たわっていたらしい。
鏡はかなりの年代物なのかあちこち装飾は剥げているし汚れている。レイラが立ち上がりながら鏡を眺めていると、ダンブルドアは隣に立って不思議な鏡を覗き込んだ。

「何が映って見えるかね?」

鏡なんだから自分の姿と、それから隣に立つダンブルドアの姿が見えるに決まっているだろうに変なことを聞くなぁと訝しげに眉をひそめたレイラは鏡に映ったものを見て驚きの声を上げた。揃いのブロンドの髪、幸せに満ちた笑顔──そこには大好きな家族に囲まれた自分の姿があった。

「お父様、お母様、ドラコも……」

後ろを振り返るが、鏡の中に映っている三人の姿はない。それにレイラの隣に立っているダンブルドアの姿は鏡にはない。

「ダンブルドア先生、この鏡はなんなんですか?」
「ふむ…君はこの鏡のことを知っておるかね?」

質問に質問で返され、レイラは首を振る。こんな鏡は見たことも聞いたこともない。……というより、どういう鏡なのか理解していないから知っているかどうかもよくわからないのだけれど。

「この鏡は『みぞの鏡』といっての、見た人の心の一番奥にある、一番強いのぞみを見せてくれるんじゃよ」
「心の奥にある、一番強いのぞみ……」

レイラは鏡の中から愛おしそうに自分を見つめる家族の姿を見て、ダンブルドアの言葉を繰り返した。

「私…お父様達の姿が見えます。家族で笑ってる。──これが、私の一番強いのぞみなんですか?」

鏡の中の大好きな家族の顔を見つめ、隣のダンブルドアに問いかける。ダンブルドアはしばらくの間何も言わず、ただそのキラキラと輝く瞳でレイラを見つめ返していた。

「君は家族のことが大好きなんじゃな」
「はい!お父様もお母様も、ドラコも。皆大好きです!」

朗らかな言葉を肯定と受け取り、顔を綻ばせて頷くレイラにダンブルドアは優しく微笑み返す。家族に囲まれて笑っていることが自分の一番強いのぞみだと思うと誇らしい気持ちになった。

「さて、そろそろ可愛い生徒を寮まで送り届けてやらねばのう」

ハッとして腕時計を確認すると思った以上に遅い時間だった。とっくに消灯時間は過ぎている。夜に校内を出歩くのは校則違反だ。減点されてしまう。
そんなレイラの考えを見透かしたみたいにダンブルドアは悪戯っぽくウィンクをしてみせた。

「一人の散歩は気軽でいいが、こんな月夜は誰かと歩きたくてな。年寄りの散歩に付き合ってくれる優しい生徒を探していたんじゃよ」
「でも、減点は……」
「はて?時計を忘れてしまったから今が何時かわからんのう」
「ふふ、ありがとうございます。一緒にお散歩しましょう」

茶目っ気たっぷりに言うダンブルドアに、ついつい笑ってしまった。レイラはくすくす笑いながらダンブルドアと並び、空き教室を後にした。

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