
06.みぞの鏡
消灯時間を過ぎた夜のホグワーツはあまりにも静かで、レイラとダンブルドアの足音だけが響く。時々壁に掛けられた肖像画達が興味津々で覗いてくるのが居心地が悪い。こんな時間に校長と並んで歩く一年生の姿なんて、何をやらかしたのかと気になるのはわかるのだがやめてもらいたい。
「ホグワーツの生活には慣れたかの?」
廊下を歩きながら問われ、レイラはうーんと考え込んだ。
朝はハーマイオニーが起こしにきてくれないと一人では起きられないし、教室移動の時にしょっちゅう迷子になって皆で廊下を走り回っているし、授業や宿題をこなすのも一苦労でアドバイスにならないようなアドバイスをし合いながら談話室で格闘している。慣れたかと言われるとまだ慣れていない。
それを素直に口にするとダンブルドアは嬉しそうに目を細めた。
「君の周りには素敵な友人がたくさんいるようじゃな」
「えへへ、はい」
「友情というのは何物にも代えがたい宝じゃ。もちろん卒業後も続いていく生涯の宝になる出会いもあるはずじゃ」
「宝…」
「きっとこれから過ごす学校生活の中で君の力になるじゃろう」
ダンブルドアの言葉がすぅっと胸に染み込む。今まで同年代の友人どころか知り合いすらいなかったレイラにとってホグワーツで知り合った皆を友人と呼んでいいのか、まだわからない。
だけど、そうならいいなぁと思う。宝だと思えるくらい大切な友達ができたら、その人たちと学校生活を送れたらきっと素敵だ。
レイラが頷いたのを見たダンブルドアの瞳がきらきらと輝く。全て見透かされるようで苦手だと思ったけど、やっぱりその星空のような輝きは綺麗だ。
二人がいくつ目かの廊下を曲がった時だった。
ガラガラガッシャーン!!上の階から何かをひっくり返したような大きな音が響き渡った。音の発生源はここからそう遠くない──おそらく一つ上か二つ上の階だろう。
大きな音にびっくりして足を止めてしまったレイラの横でダンブルドアも立ち止まっている。ちらりと見上げた横顔にさっきまでの穏やかな雰囲気はなく、代わりに何かを探る様な、見極めようとしているようなピンと張りつめた空気をまとっていた。
「すまんのう、レイラ。少し付き合ってくれるか?」
「……今の音がしたところに行くんですか?」
「少し確認したいことがあるだけじゃ。大丈夫、おそらくベッドから抜け出したやんちゃな生徒達じゃろう」
「…………はい」
どの道レイラに拒否権はない。ダンブルドアと別れたら夜のホグワーツにひとりぼっちだ。他の先生達に見つかれば減点されてしまうかもしれないし、そもそも一人ではまた迷子になりかねない。レイラは無意識のうちにダンブルドアのローブを掴みながら恐る恐る上の階へ向かった。
音の発生源はあっさりと見つかった。長い廊下でドミノ倒しでもしたのかというくらい無残に転がる鎧の山があったのですぐにそれとわかったのだ。ダンブルドアがパン、パン、と手を叩くと鎧はガチャガチャと音を立てながら起き上がり元々立っていたであろう位置に戻っていく。
絵画の絵が動くのだから鎧が動いたってなんら不思議はないのだろう。それでも実際に動くところを見たのは初めてで、レイラは「うわぁ……!」と感嘆の声を上げた。
「こんばんは」
「…………」
ダンブルドアが鎧に何か話しかけているのを見てレイラも真似して近くにいた鎧に近付いた。鎧は何も答えなかったが、ギィギィと音を立てながら僅かに頷いた。反応が返ってきたのが嬉しくてにっこり笑うと鎧は不思議そうに首を傾げる。
「やはり冒険心に溢れた生徒達のようじゃ。元気なのはいいことじゃが──」
「生徒がベッドから抜け出した!!呪文学の教室の廊下にいるぞー!!」
鎧との会話を終えたダンブルドアの言葉を遮ったのは誰かの大きな声だった。続いてバタバタと複数の慌ただしい足音が聞こえる。
「あれはピーブズかのう。こんな真夜中に大声で騒いではアーガスを起こしてしまうじゃろうに」
朗らかに笑いながらダンブルドアはくるりと騒音のする方に背を向けて来た道を戻りだした。どうやら規則破りの生徒を捕まえるつもりはないらしい。レイラへの対応といい、規則破りに寛大すぎるのではないだろうか。
けれどそのおかげでグリフィンドールから減点されることも恐ろしい罰則を言い渡されることもないのだからありがたい。
レイラはダンブルドアと並んで歩きながら色々な話をした。突然消えてしまう階段に嵌って落ちそうになったことや変身術の授業のことなど、とりとめもないレイラの話をダンブルドアは楽しそうに聞いてくれる。偉大な魔法使いというより、穏やかで優しいお爺ちゃんみたいな人だ。
もうすぐ太った婦人の肖像画が見えてくるだろう場所まで来た時、ふいに顔を上げたレイラはまるで泣き出すのを堪えているような痛ましい表情でこちらを見るダンブルドアと目を合わせてしまい、戸惑いに足を止めた。
けれどそれは一瞬のことで、瞬きをした瞬間にダンブルドアの表情はいつもの穏やかなものに戻っている。見間違いだろうか?
でもレイラはその目尻に僅かな雫がきらめいたのに気付いてしまった。
どうしてあんな顔をしていたのか、その理由が気になって、けれどそれを聞いたら今度こそ本当に目の前の老人が泣き出してしまうような気がして、開きかけた口を閉じた。
「グリフィンドールの談話室はここじゃな」
ダンブルドアは太った婦人の肖像画の前で立ち止まり、くるりと振り向いてレイラの顔を覗き込んだ。
淡いブルーがきらきらと、波のように揺れる。
「先生、送ってくださってありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ付き合わせてしまって悪かったのう。ゆっくり休むんじゃよ」
「おやすみ」と微笑み、ダンブルドアは藤色のローブを翻して歩いていってしまった。その後ろ姿を不思議な気持ちで見つめていたレイラは太った婦人の「入るの?それともまだお出かけするのかしら?」という言葉に慌てて談話室への穴を這い上がった。
とっくに消灯時間は過ぎた談話室には誰もいないだろうと思っていたのだが、何故か談話室にはハリーとロンの姿があった。談話室への入口をよじ登ってきたレイラを目を丸くして見ている。
「レイラ?君こんな時間にどうしたの?今まで外にいたの?」
「医務室から帰る途中で迷子になったり……色々あってね。ダンブルドア校長に送ってもらったの」
「ダンブルドアに!?」
「あ、大丈夫よ。減点されたりしてないから」
帰りがこんな時間になった理由は自分でもよくわかっていないので詳細は省いたが、レイラの説明にハリーとロンは目をこれでもかというくらい丸くした。
「それよりハリー達はなんでこんな時間まで起きてるの?もしかして明日までにやらなきゃいけない課題とかあった?」
「違うよ。僕らさっきすごい体験をしてきたところなんだ」
「こうして生きているのが信じられないくらいだよ」
二人はどこか興奮した様子でレイラが医務室へ運ばれた後の出来事とすごい体験≠ノついて話してくれた。
レイラとネビルを連れてマダム・フーチネビルが去った後、ネビルの落とした思い出し玉をドラコが高い木の上に置く嫌がらせをしようとしたらしい。
ハリーがそれを取り返そうとするとドラコは思い出し玉を高く放り投げ、なんとハリーはそれを十六メートルもダイビングして掴んでみせたというのだ。
「すごーい!ハリーって今まで箒に乗ったことはないって言ってなかった?」
「うん、昨日初めて乗ったよ」
ハリーは照れたように頬をかいた。
「マクゴナガルがそれを見てたんだ。それで、僕、クィディッチのシーカーに選ばれたんだ!」
「でも…でも一年生はクィディッチの選手になれないんでしょ?」
興奮気味に話すハリーの言葉を聞いて、レイラは目を丸くした。二年生にならなければクィディッチの選手になることはできないとドラコが愚痴っていたのを何度も聞いている。
「マクゴナガルが特別措置をとったんだよ」
ロンはまるで自分のことのように誇らしげに言った。なんと一年生で選手に選ばれるのは百年ぶりらしい。クィディッチにはさほど興味がないレイラでもそれがどれだけ凄いことなのかわかる。
しかしそれ以上に驚く話があるらしい。ハリー達は周囲にキョロキョロと目をやって談話室に誰もいないのを確認してから声を小さくした。声がちゃんと聞こえるように三人は顔を寄せる。
「授業の後、マルフォイが魔法使いの決闘をしようって言ってきたんだ」
「魔法使いの決闘?」
「うん。真夜中にトロフィー室でやろうって」
ハリーとドラコがそれぞれにロンとクラッブを介添人に指名し、ハリーとロンは約束通りトロフィー室に向かうために十一時半頃に談話室を出ようとした。
けれど思わぬオマケが付いてくることになる。
二人の規則破りを止めようとしたハーマイオニーと、新しい合言葉を忘れて寮の前で眠っていたネビルの二人だ。
ハーマイオニーとネビルが忠告を聞かないハリー達を見捨てて寮に引き返そうとすると、太った婦人が外出してしまって戻ることができなくなってしまった。それで仕方なくハーマイオニーはハリー達に付いていくことにしたらしい。
「フィルチに見つかった時に僕たちのせいだって言いつける為にね。まったく、いい性格してるぜ」
ロンが苦々しげに言う。
余計なお荷物を二人もぶら下げていかなくちゃいけなかった、とぶーたれた。
「それじゃ、結局四人でトロフィー室に行ったのね?決闘はどうなったの?」
まだまともに呪文も知らないような一年生が決闘なんかできるのだろうか?レイラが眉根を寄せるとハリーが泥でも吐き捨てるような顔をした。
「決闘は嘘だったんだよ。あいつ、僕たちのことをはめようとしたんだ」
「はめようとしたって?」
「トロフィー室にあいつは来なかった。代わりにフィルチが来たんだよ!」
なるほど、ドラコならやりかねない。
そう思ったレイラは曖昧に笑って肩を竦めた。
「僕たちはフィルチに見つからないように隠れて逃げようとしたんだけど、いきなりネビルが叫んで…」
恐怖が限界突破したネビルが叫び声を上げながら走り出し、躓いてロンと一緒に鎧にぶつかって倒れ込んでしまったらしい。
「あの騒ぎはハリー達だったのね。私とダンブルドア校長、その時丁度その下の階にいたのよ」
「え!?」
「だけど私達が着いた時には倒れてる鎧があるだけで、校長はベッドを抜け出した生徒達だろうって笑って、それだけ。校則違反の生徒を見つけようとか、そういう考えはないみたい」
「やっぱりダンブルドアって何考えてるのかわかんないよな」とロンが楽しそうに笑った。
レイラは話の続きが知りたくてわくわくしながら続きを催促した。
「それで?その後皆はどうしたの?」
「うん、僕らフィルチが来る前に全力で走って……そしたら廊下の突き当たりのドアにぶち当たったんだ。──どこのドアだと思う?」
そんなのわかるわけもなくてレイラは首を振る。
「四階の禁じられた廊下のドアだったんだ!」
「えーっ!!?」
レイラが思わず大声を上げると、二人は慌ててレイラの口を塞いだ。
「シーッ!誰かが起きてきたらどうするの!?」
「ご、ごめん。でも、本当に?入れたの?」
「もちろん鍵が掛かってたよ。でもハーマイオニーがなんかの呪文で開けてくれたんだ。そしたらね……」
ハリーは勿体ぶるようにそこで一度言葉を切る。レイラは興味津々で続きを待った。
立ち入ることを禁止されている場所。禁じられた廊下には何があるのだろう?
「頭が三つもある巨大な怪物犬がいたんだ!」
今度は大声を上げてしまう前にレイラは自分で自分の口を塞いだ。そんなレイラの反応に満足そうに頷きながらハリーとロンは言葉を続ける。
「すっごく凶暴そうで、黄色い牙を剥き出してて」
「床から天井まで埋め尽くすくらい大きくて」
「目を血走らせてて、牙の間から涎を垂らして」
「「とにかくすごかったんだ!」」
レイラは二人の言葉を聞いた通りに想像して身震いした。幼い頃に図鑑で見た、世にも恐ろしい怪物犬のイラストを思い出してしまった。
「食われる寸前だったよ。ギリギリでその廊下から逃げ出して──もうフィルチはいなくなってた。命からがら寮に戻ったんだ」
「うわぁ……よく無事だったね」
レイラは感心して言った。
そんな怪物犬に会って誰一人として怪我すらしないなんて。
ダンブルドアと呑気な散歩を楽しんでいる間にそんな体験をしていたなんて驚きだ。
「危なかったよな」
ハリーとロンはまだ冒険の余韻が抜けない様子で楽しそうに顔を見合わせて笑った。
大冒険を切り抜けた達成感を味わっているのだろう。
「ハーマイオニーとネビルも無事だったの?」
ここにはいない二人の名前を出すと、ロンは不機嫌そうに顔を顰めた。二人とも一緒に寮まで戻ったが、ハリー達のように恐ろしいけれどすごい冒険をしたとは思えなかったらしい。
ネビルは二度と口がきけないのではないかという程青ざめたまま部屋に戻っていったし、ハーマイオニーは二人のせいで危うく退学になるところだったとおかんむりらしい。
「それにしても学校の中でそんなペットを飼ってる人がいるなんて、びっくりね」
「ペット!!?そんなわけないだろ!???」
今度はロンが素っ頓狂な声を上げる番だった。
真剣に言ったつもりだったレイラはロンの反応に目をぱちくりさせる。
「違うの?じゃあ野良犬?」
「……あのね、レイラ。僕たちはあの三頭犬が何かを守るためにあそこにいるんじゃないかと思ってるんだ」
「番犬ってことね。でも何を守ってるのかしら?」
首を傾げたレイラを見てハリーとロンは顔を見合わせ、頷いた。
「僕たち、少しだけ知ってることがあるんだ」
そう言って二人は小さな声で話し始めた。
七月三十一日にグリンゴッツで起きた侵入事件のこと──これはレイラも日刊予言者新聞で読んだから覚えている。世界一侵入が困難と言われるグリンゴッツに侵入者があったことは勿論、何も盗られていなかったというから余計に話題になった。
なんとハリーはその事件があった日、ホグワーツの森の番人であるハグリッドと一緒にグリンゴッツに行っていたらしい。しかもハグリッドはその日、グリンゴッツの金庫からホグワーツの仕事で何かを持ち出したそうだ。
そして新聞には「荒された金庫は、侵入されたその日に既に空になっていた」と書かれていたという。
「つまり……グリンゴッツに侵入した人はハグリッドが持ち出した物を狙っていたってこと?」
「僕たちはそう思ってる。三頭犬の足元には仕掛け扉があったんだ。その何か≠ヘあの中に隠されてるんじゃないかな」
「ホグワーツはグリンゴッツと同じか、それ以上に安全な場所だよ」
「しかもそんな怪物犬が見張っているなら尚更ね。そこまでして守らなきゃいけないものってなんだろう?」
「わからない──物凄く大切か、物凄く危険な物だな」
「その両方かもしれないわ。包みってどんな物だったの?」
レイラの質問にハリーは眉間に皺を寄せて首を振った。
「茶色い紙でくるんであって……五センチくらいの大きさってことくらいしかわからないんだ」
「五センチ…結構小さいのね」
三人はしばらくうーんと考えてみたが、結局謎の包みについてはさっぱりわからないままだった。
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