
08.黒と金
医務室を出たレイラはクィディッチ競技場へと急ぎ足で進んだ。ほとんどの生徒は試合観戦に行っているのか、校内はいつもの喧騒が嘘のように静まり返っている。
入学したばかりの頃、賑やかな場所はすぐに疲れてしまうからあまり好きではなかった。それなのに静かな校舎を歩くのは寂しくて嫌だと感じる自分がいる。あちこちで生徒が笑い声を上げて走り回り、たまに先生の注意する声が聞こえる。そんな賑やかで人の溢れたホグワーツが自分の中に染み込んでいるのだ。
ホグワーツに入学して二ヶ月と少し。たったそれだけの短い時間なのに、レイラには色々な変化があった。
入学する前は不安だらけだったけれど、不安に思うことなんて何もなかった。ハーマイオニーという素敵な友達ができた。
彼女以外にもハリーやロン、ネビルやパンジー達とも仲良しになれていると思う。勉強も苦手な科目以外はそれなりに優秀な方だと思うし、罰則や減点をくらうことなく生活できている。
両親と会えない寂しさはあるが、毎日家からふくろう便が届くしドラコが近くにいてくれる。
これからの七年間もきっと素晴らしいものになる。清々しい気持ちで小さく笑って校舎を出た時だった。微かな悲鳴が聞こえ、レイラは足を止めた。
悲鳴というより、痛ましい鳴き声のような──
「……なんの声だろう」
音が聞こえたのはクィディッチ競技場とは反対の方向、そこには鬱蒼と生い茂る木々があった──禁じられた森だ。
競技場から大歓声が聞こえてきた。きっと選手達が入場してきたのだろう。早く行かなくちゃハリーの初試合を見逃してしまう。そう思いながらもレイラの足は禁じられた森に向かって歩き出していた。
まだ太陽は高くで輝いているというのに、森の中は薄暗く気味が悪い。レイラは森の入り口で立ち止まり、恐怖で口を引き結んで薄暗い森を見つめた。まるでこちら側と森の中では世界が違うみたいだ。
「……なにか、聞こえる…?」
カサカサと葉の擦れる音や地面に落ちた木の枝を踏みつけるような音が聞こえ、それは次第に大きくなってきている。
レイラは杖を取り出して泣き出しそうな顔で森に向けた。
禁じられた森にいるのは狼男やヴァンパイア、それから……危険な魔法生物を頭に思い浮かべ、もしもの時はどうしたらいいか考えようとするが、頭が真っ白になってしまって何も浮かばない。
けれど木々の間から姿を見せたのは、狼男でもヴァンパイアでも、グールでもなかった。
骨ばった黒い体と翼を持った馬のような生き物──セストラルだった。まだ子供なのか、それとも成体でこのサイズなのか、馬というより小型のポニーのような大きさだ。
「え?……え!?ちょ、ちょっと!?」
その黒い馬は白い目でレイラを観察するように見つめ、近付いてきたかと思うとレイラが巻いていたマフラーの端を咥えてぐいぐいと引っ張りだした。
セストラルについては図鑑で写真と名前を見たことがあるだけで詳しいことは知らない。けれど今目の前にいるこの黒い馬から危険な感じはしない。
「なぁに?──もしかして、さっきの悲鳴、あなた?」
黒い馬は否定するように首を振る。再びぐいぐいマフラーを引っ張りだした黒い馬に引きずられるようにして、レイラは禁じられた森に足を踏み入れた。
「ねぇ、引っ張らなくてもちゃんとついていくわ。だからそんなにぐいぐいしないで!転んじゃう!」
さっきから何度も木の根や石に躓いて転びそうになっていたレイラは悲鳴のような懇願を口にした。すると黒い馬はマフラーを離してくれた。
「あなた、人間の言葉がわかるのね」
賢い生き物だと感心しながらセストラルの骨ばった胴体を撫でる。高級なベロアのように滑らかな手触りだった。
セストラルに連れられてしばらく歩くと、少し開けた場所に出た。そこに横たわる生き物を見てレイラは驚きに目を見開いた。
「あれって……もしかしてユニコーン?」
木々の間から漏れる僅かな陽の光でも輝く金色の毛。
毛の色、それからまだ角が生えていないところを見るとまだ幼い子供のユニコーンだ。どうしてこんな所に横たわっているのだろうと不思議に思ったレイラはユニコーンの足を見て小さく息を飲んだ。前足が広範囲にわたって銀色に染まっている。ユニコーンの血は銀色のはずだ。
「怪我してるの…!?大丈夫?」
レイラをここまで引っ張ってきたセストラルはユニコーンの側に近寄り、涙を流しているユニコーンの頭に寄り添うようにする。友達なのかもしれない。
助けてあげたい、どうにかしてあげたい。
そう思うのにレイラはその術を知らない。まだ治癒魔法なんて習っていないし、魔法を習い始めたばかりの一年生に扱えるような簡単なものではないはずだ。止血に使えそうな包帯や布も持っていない。
そっと横たわるユニコーンに近付き、美しい金色の体を撫でる。ユニコーンはレイラが近付いても暴れ出すことなく、静かに涙を流した目で見上げるだけだった。
「痛いよね…どうしよう、ハグリッドなら手当てする道具とか持ってるかしら」
ハグリッドの住む小屋は森の入口付近にある。生き物と名のつくものなら愛玩系から危険指定されているものまで豊富な知識があると聞いている。きっとハグリッドならこの傷付いたユニコーンを助けてくれるはずだ。
「大丈夫、大丈夫よ、すぐに痛くなくなるからね。もうちょっと我慢してね───……え?」
レイラはハグリッドを呼びに行く前に傷口に貼り付いた落ち葉を取り除いておこうとしただけだ。他には何もしていないし、杖も手に持っていない。
それなのに、ユニコーンの傷口が塞がり始めている。気のせいだろうか。いや、それにしてはおかしい。
レイラは不可解な現象に眉を顰めながらもう一度、今度はしっかりと傷口に手を当てた。傷口に触れた手のひらが淡い光を放つ。しばらく「治れ」と願いを込めてそこに触れたままにしていると、数分も経たないうちにざっくり裂けていた足は僅かな傷を残しただけになった。
「なんで…?ユニコーンって回復力が高いとかあるのかな?」
不思議に思い首を傾げても当然答えは返ってこない。
ユニコーンは恐る恐るといった様子で立ち上がり、痛みがなくなったことがわかったのか、嬉しそうにレイラに顔を擦り寄せた。隣で心配そうに見守っていたセストラルも反対側からレイラに擦り寄り、レイラはくすぐったいとけらけら笑い声を上げた。
今起こった現象がなんなのかわからないが、この子達を助けることができたならよかった。
「治ってよかったね。でもどうしてこんな怪我を…何かに襲われたの?」
ユニコーンの頭を撫でながら首を傾げると、ユニコーンとセストラルの視線が一点に集中する。そちらに目を向けると、地面の近くにある太い枝が折れ、ギザギザに尖った箇所が剥き出しになっていた。そこに大量の銀色の血液が付着している。
「ここで怪我したの?」
レイラの問いに二頭は頷き、悲しげな目で見上げてくる。
「痛かったし、怖かったわよね……もう大丈夫よ。でも私の応急処置だけじゃ不安だから、後でハグリッドに診てもらおうね」
禁じられた森は薄暗くて不気味な場所だと思っていたし、実際ここは昼間だというのに薄暗い。
けれど案外思ったほど怖い場所ではないのかもしれない。日が暮れるまでユニコーンとセストラルの子供達とのんびり過ごしながら、レイラはそんな呑気なことを考えていた。
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