10.月見桜
ディナーを終えてドラコと一緒に子供部屋へ戻ろうとすると、廊下の途中でアブラクサスに呼び止められた。

「レイラ、久しぶりにお茶会をしよう。私の部屋へおいで」

レイラは顔を綻ばせて頷き、ドラコの頬におやすみのキスを落とす。ドラコは少し残念そうに眉を下げながらキスを返してくれた。
昔からアブラクサスは寝る前にレイラをお茶会に誘ってくれることがあった。祖父の部屋で紅茶を飲みながら眠くなるまでお喋りをして、そのまま祖父のベッドで眠る。
これは二人だけのお茶会だからとドラコは参加することを許されていなかった。

ドラコと別れたレイラとアブラクサスは一階から地下へ続く階段を下り、黒に銀色の装飾が施された扉の前に立った。ここにはアブラクサスの許可なしに入ることはできないように魔法がかけられていて、現在この屋敷の主であるルシウスですら祖父の許可なく部屋に入ることはできないようになっている。

アブラクサスが目を閉じ、扉にそっと手を押し当てると扉は音も立てずに開いた。
部屋の造り自体はルシウスの私室と似ているが、この部屋は所々に異国の置物や小物が置かれていて、雑然とした雰囲気を感じさせる。色んな国々を回る中で集めた物らしく、レイラが見ても使用用途が不明な物が大半だ。

「──ルース!」
「ふふ、メリークリスマスレイラ」
「メリークリスマス!どうしたの?今日遊びに来てたの知らなかったわ!」

そんなアブラクサスの部屋に入ったレイラは大好きな人の姿を見つけて歓喜の声を上げた。濡羽色の美しい髪を一つに結い上げたルースはにっこり笑って抱きついてきたレイラを抱きしめられ返した。

「今日の私はサンタクロースなの」
「サンタクロース?」
「そう、レイラにプレゼントを届ける役目を頂戴したのよ」
「まずはこれだ」

きょとんとしているレイラにアブラクサスが美しい銀細工の箱を差し出した。「開けてごらん」という言葉に促されてそれを開けると、中にはキラキラ輝く粉が入っている。まさかと信じられない思いで顔を上げると、悪戯が成功したような二人の笑顔があった。

「これって…!」
「煙突飛行粉よ。知ってるのね」
「セブルスの研究室に置いてあるのを見たことがあるの……でも、……本当に?本当に煙突飛行粉なの?」
「ふふふ、ええ。正真正銘、本物の煙突飛行粉よ」

煙突飛行粉──フルーパウダーはその名の通り、煙突飛行をする時に使用する物だ。魔法使いの家の暖炉は煙突飛行ネットワークに組み込まれていて、その暖炉と暖炉の間を行き来することができるようになっている。
だが、間違ってもレイラがマルフォイ家の敷地から出てしまわないようにと、この家にある暖炉はそれには組み込まれていないはずだ。

「少しだけ特別な手を使って、この暖炉と私の家の一室の暖炉を繋いだの。他の暖炉へは繋がらないようになってるから迷子になる心配もないわよ」
「ルースのお家って、ダイアゴン横丁の?」
「そう。──先に言っておくけど、ここから繋がってる暖炉のある部屋から外に出ることはできないようにしてあるからね」

ルースはダイアゴン横丁で古書店を営んでいる。その二階から上を居住スペースとして使っていると聞いていたから、もしかしたらそこからダイアゴン横丁へ行ったりできるかも……という淡い期待は早々に打ち砕かれた。

けれどそれでも敷地の外に出られるのだ。ホグワーツに入学してマルフォイ家の敷地の外で暮らすようになったから、これからは自由に外出できるかと思っていたのだが、このクリスマス休暇中も相変わらずレイラは外出を禁じられていた。
どうやら外に出ていいのはマルフォイ家とホグワーツを往復する間の道中だけらしい。

そんなレイラにとって制限があるとはいえ、煙突飛行粉を使ってルースの部屋へ行けるというのは奇跡のような出来事だった。
アブラクサスが箱の中から煙突飛行粉を一摘み取り出し、暖炉の炎に振りかけると途端に炎はエメラルドグリーンに変わった。

「使い方は知っているか?炎の中に入り、行き先をはっきり言えばいい」
「普通の煙突飛行とは少し違うから、あっという間に到着するわ。そうしたらすぐに暖炉から出てね。じゃないと後から着いた私がぶつかっちゃうわ」
「はっきり行き先を言って、着いたらすぐに暖炉を出る……うん、わかったわ」

緊張の滲む顔で頷くレイラを見てアブラクサスがおもしろそうに笑い、ぽんぽんと頭を撫でた。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。私が先に行っているから、何かあっても助けてやるから」

レイラが頷いたのを確認してアブラクサスはエメラルドグリーンの炎が燃える暖炉に足を踏み入れた。そして「月見桜」と大きな声で叫んだ次の瞬間アブラクサスの姿は見えなくなった。

「つきみ…?」
「月見桜──つきみざくら、よ」

聞き慣れない異国の言葉に首を傾げると、ルースが一文字ずつゆっくり発音して教えてくれる。レイラは何度か「つきみ、ざくら」と繰り返してようやくスムーズに発音できるようになった。

「これ、英語じゃないよね。どこの国の言葉?」
「日本の言葉よ。私の母の生まれ故郷」

ルースの父方の姓であるリッジウェル家は聖28一族ではないが、イギリスの純血の一族だ。そしてルースの母は遠い東の国の人間だと聞いていたが、国名までは聞いた事がなかった。
レイラは日本についての知識は物語に出てくるニンジャやサムライのものしかない。もっと色々聞いてみたかったが、それよりも今は煙突飛行だ。ドキドキしながら粉を掴み、暖炉に投げ入れる。

「アブラクサスが待ってくれているから大丈夫よ」
「うん、大丈夫。ちゃんとできるわ……つきみざくら!」

少し発音がおかしかった気もするが、なんとか噛まずに言えた。
途端にレイラは炎に包まれて視界がエメラルドグリーンに染まる。思わずぎゅっと目を瞑った次の瞬間には「レイラ」と名前を呼ぶアブラクサスの声が聞こえて驚いて目を開いた。
そこはアブラクサスの私室とはまったく違う部屋だった。「おいで」と手を伸ばすアブラクサスの手を取り暖炉から出たレイラは、僅かに乱れた髪を整えながら部屋を見回した。

板張りの天井に白い壁。四面ある壁のうち二つには白い紙をはめ込んだ不思議な木の枠がある。
マルフォイ邸やホグワーツのどの部屋とも違う変わった室内を興味津々で見ていると、暖炉からごぉぉっと音がしてルースが現れた。

「よかった、問題なく来れたみたいね。それじゃああらためて──ようこそ、私の家へ」

にっこり笑って言われた言葉にレイラも笑顔で応える。まだ心臓がドキドキしている。

「あいかわらずここは……なんだか落ち着かないな」
「ちょっとアブラクサス!この部屋は土足厳禁よ!レイラもここで靴を脱いでね」

そのまま部屋を進もうとしたアブラクサスにルースの厳しい声が飛ぶ。言われた言葉に下を見ると、暖炉周辺の床は石畳だがそれ以外の場所は緑色の不思議な床だ。

「日本風の部屋なのよ。これは畳っていうんだけど、靴を履いたまま歩くとすぐに傷んじゃうの──まぁ、魔法をかけてあるから本当は問題ないんだけれど。とにかく、この部屋に入ったらまず靴を脱ぐようにしてちょうだい」
「わかった」

素直に頷きながら靴を脱いだ。タイツ越しに触れた畳は少しだけひんやりとして、独特の柔らかい感触だった。

「あれはなぁに?」
「これ?これは障子。えぇっと…そうね、カーテンみたいなものって言えばわかるかしら?」
「───うわぁ…!!」

レイラが首を傾げながら白い紙がはめ込まれた不思議な木の枠を指さすと、ルースがそれを横にスライドさせる。そこにあったのはレイラもよく知る普通の窓だった。障子窓が開いたことで見えなかった外の景色が見え、レイラは感嘆の声を上げた。

窓の向こうには緑と赤のクリスマスカラーで彩られた街並みが広がっていた。正面にある雑貨屋らしき建物は雪化粧をしたみたいに飾られ、カラフルな飾り玉や星が瞬いている。その隣の建物はチカチカ輝いているし、その隣も同じようにクリスマスの飾り付けがされている。
そんなカラフルな建物が並ぶ通りを進んだ先には大きなクリスマスツリーが見える。しかしここからではしっかり見るのは難しくて、窓ガラスにべたりと頬を押し付けても半分くらい見えない。

「この窓、開かないの?」
「残念ながら」
「んん〜!!向こうに大きなクリスマスツリーがあるの!窓からちょっと顔を出したら全部見えると思うのよ。ちょっとでいいから!ね? お願い!」
「ダーメ。最初に言ったでしょう?この部屋から外には出られないの。窓は開かないようになってるし、ドアも開かないわ」

無慈悲に告げられた言葉にレイラは唇を尖らせた。「外に出たいんじゃないわ」と言ってみてもルースは困ったように笑うだけだ。レイラが不貞腐れたような顔のまま俯いていると、アブラクサスが体をかがめて顔を覗き込んだ。

「レイラはもう十一歳だろう。いい子だから我慢できるよな?」
「………」

なかなか会うことのできない大好きな祖父にいつまでも子供のままだと思われたくない。レイラはまだ少し頬を膨らませたまま頷いた。

「……我慢できるわ。私、もう大人だもん」
「そうか、レイラは偉いな。さすが私の孫娘だ」
「ごめんなさいねレイラ」

優しく両頬を包まれ言われた言葉に、レイラは頬を染めて笑う。申し訳なさそうなルースを見上げて首を振った。

「ううん、私こそわがままなこと言ってごめんなさい」
「窓は開けられないけど、この部屋の中にある物は好きに見ていいからね」
「わぁ!ほんとう!?」

途端にレイラの瞳がきらきらと輝き出し、まるで宝の山を目の前にしたような顔で室内を見回した。一目見ただけでこの部屋には不思議でおもしろい物が沢山あるのがわかる。
ガラス戸のキャビネットには不思議な形のオブジェがいくつも並び、中の見えない小瓶やボトルが乱雑に置かれているし、壁の一面を埋め尽くす本棚の前には入り切らなかった本が山のように積まれている。

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