
10.月見桜
レイラはさっそくキャビネットに近付いて並んだ小物を見た。手のひらサイズの長方形の板には海が広がり、その上を船に乗った人がこちらに手を振っている。
その板の下敷きにされているくすんだ銀鼠色の布が気になって手に取ってみた。つるんとした手触りは布というより液体のようだ。
「ルース、これはなぁに?」
「あら。これどこにあったの?」
「これの下敷きになってたよ」
レイラからその銀鼠色の布を受け取ったルースは驚いたように目を丸くした。「見つからないからとっくに捨てたものと思っていたわ」と言いながらそれを広げ、ルースは悪戯っぽく笑ってレイラを手招きする。その布はマントだったらしく、レイラの肩にかけるとくすくす笑いだした。
「うん、ふふ、やっぱりもうだめね」
「……?なぁに?」
「レイラ、自分の体を見てごらん」
「え?…………え!?あれ??」
アブラクサスに言われるまま自分の体を見下ろしたレイラは驚きに目を見開いた。
「体が透けてるわ!」
レイラの体は半透明になり、所々完全に透明になっている。予想もしていなかった事態に興奮するレイラを二人は楽しそうに見守る。
「それは透明マントよ。まあ、もう使い物にならないけれど」
「これじゃあ透明マントというより半透明マントだな」
透明マントはレイラも知っている。『三人兄弟の物語』に出てくるそれを模して作られた品だ。ルースが所持しているこれはデミガイズの毛を織って作ったものらしいが、既に効力は切れているようだ。
完全に体が消えることはなくても自分の体が半透明になるというのは面白いもので、レイラはしばらく半透明マント≠着たまま動き回ってみた。
「あ、もしかしてゴーストってこんな感じ?」
「ゴースト?」
「そう。ホグワーツにはいっぱいゴーストがいるみたいなんだけど、私ゴーストの姿が見えないのよ」
ふと気になって何気なく聞いたつもりだったのだが、レイラの言葉を聞いたルースとアブラクサスは眉を寄せて顔を見合わせた。その反応に何か言ってはいけないことだったのだろうかと不安になる。
「……もしかしてゴーストが見えないのって変なの?」
それともパーセルマウスのようにあまり人に知られるといい印象を与えないことなのだろうか。もうハーマイオニー達にはゴーストが見えないことは話してしまっている。けれど不安になっていたレイラを安心させるようにアブラクサスは首を振って微笑んだ。
「いや、確かに珍しいことだがおかしなことではない。安心しなさい」
「ハーマイオニー……友達にはもう話しちゃったわ。それも平気?」
「あぁ、勿論。だがあまり他言しない方がいいかもしれないな。人間というのは珍しいものには特別な関心を抱くものだ」
「わかったわ」
レイラは頷き、半透明マントを脱いで元の場所へ戻した。
「もう少し荷物を減らさないと、そのうち床が抜けるんじゃないか」
「店に置けない本やら処分できない物を置いていったらいつの間にかね……それに心配して貰わなくてもしっかり結界を張ってるから床は抜けません」
「それにしたってこの量はなぁ。せめて片付けたらどうだ」
「昔から片付けは苦手なの知っているでしょう」
気心の知れた仲というのか、あの二人は昔から顔を合わせるとこんな感じだ。アブラクサスとルースがやんややんや言い争う声を聞き流しながら、レイラは今度は本棚の前に立った。
本棚に並ぶ背表紙は今まで見たことがない題名の物ばかりだし、何故か本と本の間には小箱や羊皮紙、羽根ペン等のいろんな物が挟まっている。本棚に入り切らずに積み上げられた本の山も同じ状態だ。
レイラは畳に膝をつき、積まれた本を上から何冊か手に取りパラパラ捲ってみる。一冊目は見たこともない言語で書かれていて、二冊目は全てのページが接着されているみたいで開くことすらできない。三冊目は最初から最後まで白紙で、四冊目はまた見知らぬ言語。
そんな感じで何冊も本を手にしては次の本へと繰り返し、次にレイラが取ったのは本ではなく、何の飾りもついていないシンプルな箱だった。
白い滑らかな木で作られたその箱は側面に小さな鍵穴がついているだけだ。蓋を開けようと力を込めてみるが、鍵がかかっているのだろう、箱はピクリとも動かなかった。
「何が入っているのかしら?鍵穴がこんなに小さいのだから、きっと鍵もすごく小さいわよね…」
小さな声で呟きながらレイラが人差し指で鍵穴を撫でた瞬間──カチリ、という音が響き、箱はひとりでに開いた。
「……、え?………開いちゃった…」
この箱は元々鍵はかかっていなくて、ふとした弾みで開いてしまったのだろうか。不思議に思いながら箱の中身を取り出すと、中に入っていたのは一冊の本だった。
本というより日記帳や手帳だろうか。黒いボロボロの表紙を捲ると、最初のページに「
T・M・Riddle」と書かれているだけで残りは全て白紙だった。
さっき見つけた本と同じかと思ったが、わざわざ鍵のかかった箱に仕舞われていたのが気になってまだ言い合いを続けているルース達を振り返った。
「ねぇ、この本……本?日記帳?ってなぁに?」
レイラは箱に入っていたボロボロの黒い表紙の手帳を差し出した。いかにも年季の入った品だ。ルースはそれを受け取ると何も書かれていない真っ白な、所々黄ばんだページを捲って笑った。
「うわぁ、これはまた懐かしいものが出てきたわね…。何かの箱に入れたのは覚えていたんだけど、どの箱だったのか忘れちゃってたのよ。ここに仕舞ってあったのね」
「どうりで我が家を探し回っても見つからないわけだ」
「それはなぁに?ただの白紙の日記帳にしか見えないけど」
「ただの白紙の日記帳だ」
目を細めてボロボロの日記帳を見る二人の顔は、いかにも特別な何かがあると語っている。けれど今までの経験上、こういう時の二人にいくら聞いても教えてもらえないだろうことはわかったから、レイラは少し不貞腐れた顔で違う本に手を伸ばした。
あの後、部屋に置かれたの不思議なコレクションをいくつも見せてもらい眠気で瞼が重くなり始めた頃、レイラはニコラス・フラメル≠フことを思い出した。ハーマイオニーに休暇中も探してねと言われていたのをすっかり忘れて今日まで過ごしてしまった。
物知りな二人なら知っているだろうか。
セブルスに知られる可能性を考えて両親に聞くことは禁じられているが、この二人なら大丈夫だろうか……でもルースはセブルスと仲良しだ。やっぱりだめかもしれない。
でもアブラクサスとセブルスが一緒にいるところはあまり見たことがない気がする。それならアブラクサスなら平気だろうか。
レイラの頭は眠気のせいでいつもの何倍も動いていなかった。だからここにはルースもいるのだということをすっかり失念して口を開いてしまった。
「おじい様、ニコラス・フラメルって知ってる?」
「何故だ?」
「うーんと…、それはちょっと内緒なんだけど、皆でその人のこと調べてるの」
「──どこかで聞いた名前だが、思い出せないな」
「そっかぁ…私もどこかで見たことある気がするんだけど……」
最後の方は大きな欠伸に飲み込まれてちゃんとした言葉にならなかった。アブラクサスは目を細めて笑い、ほとんど目を閉じてしまっているレイラの体を横抱きにした。祖父が歩く度にふわふわと心地よい揺れが伝わり、どんどん眠りの淵に落ちていく。
「あまり危険なことに首を突っ込まないでおくれ」優しい声と共に体がエメラルドグリーンに包まれた。
「父上、私が運びます」
「…んん……、おとうさま……?」
ルシウスの声が聞こえた気がして目を開けようとすると、冷たい手のひらで視界を覆われてしまった。その冷たさが心地好くて、思考がどろどろに融けていく。
でもこの華やかな香りはルシウスのものだ。大好きな父の胸に顔を埋めると、くすりと笑う気配の後、薄く柔らかな唇が額、右頬、左頬へ降りそそぐ。
「──…おやすみ、私の可愛いレイラ」
レイラも「おやすみなさい」と応えたつもりだが、ほとんど眠っている状態だったため、ちゃんと言葉になっていたかわからない。鼻の頭、両頬、耳たぶ──愛おしげなキスが顔中に落とされ、安心感に包まれていくような気持ちでレイラは眠りについた。
レイラを子供部屋のベッドへ送り届けた後、ルシウスは再びアブラクサスの部屋を訪れていた。そこにはアブラクサスとルースの姿がある。
「再び帝王が動き出しているのかもしれない。私も色々と探ってみるが、確かな情報を掴むまで愚かな真似はせぬように」
「……父上、」
ルシウスは衝動をこらえるように自身の胸元を強く握りしめた。強く握りしめ過ぎたせいで指先が白くなっている息子の手に触れ、アブラクサスは愉快そうに目を細める。
「帝王の現状を把握するまでは今の立ち位置を動くな。いいな?」
「………………勿論、そのつもりです」
アブラクサスは険しい顔で頷く息子の姿に満足そうに頷いた。
「今夜はもう遅い。私はまだ彼女と話し合わなければならないから、お前は自分の寝室に戻りなさい」
頭を下げて父の部屋を後にしたルシウスは階段を上り、誰もいない廊下でずるずると床にしゃがみこんだ。
「…………レイラ、」
彼が囁くような呟きに込めた気持ちを知る者は誰もいない。
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