
12.イースター休暇
レイラが意識を取り戻したのは医務室に運ばれてから七日目の夜だった。マダム・ポンフリーは今にも泣き出しそうなほど顔を歪めて、クィディッチ試合の日に禁じられた森で倒れていたと教えてくれた。それを聞いた直後、まるで磨りガラス越しに見ているような朧気な記憶が蘇ってきた。
──そう。たしかにあの日、私は誰かを追いかけて森に入った……
森に入っていく人影は思い出せるのに、肝心のその姿が蜃気楼のように霞んでしまって思い出せない。
「発見された時の状況からも、あなたは誰かに襲われたんだと思います。どんな些細なことでもいいんです。何か思い出せませんか?」
レイラは真っ青な顔で首を振った。
誰かを追いかけて森に入って──そこから先の記憶が切り落とされたように無くなっている。森に入った後に何があったのか、思い出せない。思い出そうとすると頭が酷く痛んだ。
「無理に思い出そうとしなくても大丈夫ですよ。何か思い出した時に、スネイプ先生やダンブルドア校長にお話ししてください」
「……わかりました」
痛みに頭を押さえたレイラの肩を優しく抱き、マダムはレイラの身体をベッドに横たわらせた。大人しくベッドに横になりながらレイラの心臓はジクジクと捩れるように痛んでいた。
誰かに襲われた──もしかしたら殺されそうになったのかもしれない。そのことがとても恐ろしかった。
次の日、セブルスが部屋を訪れた。
清潔な消毒液の匂いと、白で統一された壁やリネン。
レイラがいるこの部屋は医務室そっくりだが、医務室より随分小さな部屋だった。ここは医務室の隣にある隔離患者用の部屋らしい。何者かに襲われたレイラは誰でも立ち入ることのできる医務室ではなく、この部屋にいるべきだと言われてしまったのだ。
「セブルス!来てくれてよかった、話し相手がいなくて退屈してたのよ」
「……元気そうで何より」
表情一つ動かさず椅子に腰を下ろすセブルスの顔を見て、レイラは満面の笑みを浮かべた。
「セブルスが私を見つけてくれたって聞いたわ。ありがとう」
「礼を言われるようなことをした覚えはない」
こちらを見ずに投げられた言葉に、レイラは小さく微笑んだ。彼の性格を考えれば、素直に「どういたしまして」なんて言われた方が驚きだ。
「──そんなことより、倒れた時のことを覚えていないというのは本当か?」
「えぇ、そうなの。お父様達への手紙を出しにふくろう小屋に行って、その後……」
レイラが口を閉じると、セブルスは続きを促すように片眉を上げる。
「図書館に行こうと思ったの。それで…そう、誰かを見たの。その誰かを追って森に入ったのは覚えているんだけど……そこから先が全然思い出せないのよ」
「その『誰か』については?」
「それも思い出せないの。なんかぼやーっとしてるっていうか……思い出そうとしても、ぼやぼやーって」
そう言って肩を落とすレイラを、セブルスはいつもと同じ探るような瞳で見つめる。その瞳を見つめ返しながら気になっていたことを聞こうと口を開きかけ、寸前で言葉にするのを止めた。
しばらく話をした後、部屋を出て行こうと立ち上がったセブルスのローブを掴み呼び止める。
「私が倒れた…っていうか、襲われたかもしれないって、お父様達に伝えちゃった?」
「君のご両親やドラコには『タチの悪い風邪を引いた』と伝えてある。その他の生徒達にもだ」
その言葉を聞き、レイラはよかったと息を吐いた。
誰かに襲われて倒れていたなんて、心配性で過保護な家族に知られたらどうなるかわかったものではない。ナルシッサなんてレイラを家に連れ戻すためにホグワーツに乗り込んでくるかもしれない。普段はおっとりしているのに、子供達のこととなると凄まじい行動力を見せるのだ。
安心してふにゃりと笑うレイラの頭を不慣れな手付きで撫でてから、セブルスは部屋を出ていった。
「もうっ、髪がボサボサになっちゃったわ!」
一人残されたレイラは口を尖らせて言った後、ボサボサになった髪に手櫛を通しながら幸せそうに笑った。
二週間後、レイラの面会謝絶が解除されて一番最初に訪れた見舞い客は、髪やローブをボサボサに乱したハリー達三人組だった。医務室の前でドラコ達と鉢合わせ、どちらが先にレイラの見舞いに行くか取っ組み合いの大喧嘩をしたらしい。
医務室前で取っ組み合いだなんて、運が悪ければ全員揃ってマダムに雷を落とされていたかもしれない。
「仲良く一緒に来ればよかったのに……」
「マルフォイ達と!?仲良く!?」
ハリーはとんでもないと目を剥いた。レイラとしてはハリー達にもドラコ達にも仲良くしてもらいたいのだが、道程は険しいかもしれない。
「それよりもう風邪は大丈夫なの?面会謝絶になるくらい酷い風邪なんて……私、あんなに一緒にいたのに、全然気付かなかったわ」
「ハーマイオニーは何も悪くないわ。それに感染力が強いから面会謝絶になっていただけで、風邪自体はそんなに酷くなかったのよ」
嘘を信じて自分を責めるハーマイオニーに本当のことを話してしまいたくなった。けれど何があったのかはっきりするまで誰にも口外してはいけないと、セブルスやマダムから言い含められていた。苦しい気持ちでハーマイオニーの手を握るレイラを伺うように見て、ハリーは声をひそめた。
「レイラ、石について新しいことがわかったよ」
隣の医務室へ続く扉は開きっぱなしになっている。
誰かに聞かれてはいけないと小声になるハリーの声を聞き取るため、四人は顔を寄せた。
「クィディッチの試合の後にスネイプが禁じられた森に入っていくのを見て、こっそり跡をつけたんだよ。そしたらね、森の中であいつがクィレルに石を手に入れる手伝いをしろって脅してたんだ!」
「……セブルスが、クィレル先生を?森で?」
ハリーはレイラのセブルス呼びを聞いて少し嫌そうに顔を顰めながら頷いた。
「この前クィレルは石に関わってるか、もしくはスネイプの共犯かもしれないって話をしたのは覚えてる?」
「もちろん。私がセブルスに『クィレルに近付くな』って言われた日のことよね?」
レイラが聞くとハーマイオニーが医務室に続く扉の方を気にしながら頷く。
「そう、私たちの考えは正しかったのよ。クィレル先生は石に関わっていたの。石を守っていたのよ」
「フラッフィーだけじゃなくて、いろんなものが石を守ってるんだと思う。スネイプがクィレルの『怪しげなまやかし』について教えろって言ってたんだ」
「今のところクィレルはスネイプに抵抗してるみたいだけど、それもいつまでもつのやら」
「あとレイラのことも何か言ってた…詳しくは聞き取れなかったんだけど。何かわかる?」
ハリーの問いに無言で首を振りながらレイラは別のことを考えていた。クィディッチの試合があった日。それはつまりレイラが『誰か』を追いかけて森に入って襲われた日だ。セブルスが倒れていたレイラを見つけてくれたのは、クィレルを脅すために森にいたからだったのか。
どうしてセブルスは森でクィレルと会ったことを教えてくれなかったんだろう。
教える必要がないから?
それとも、知られると困ることがあるから?
クィレルを脅していたことを知られると困るから?
セブルスに、何かを隠されている。
「もしかして私が追いかけたのはクィレル先生?私を襲ったのは、クィレル先生?」
見舞いに来てくれたセブルスにそう聞こうとして止めたのは、彼らが共犯だった時の可能性を考えたからだった。
レイラが石に関して何か不都合な事実を見てしまい、クィレルに襲われたところをセブルスが助けてくれたのかもしれない。セブルスがクィレルを説得して、記憶を消すだけにとどめてくれたのかもしれない。
でも、クィレルはセブルスの共犯ではなかった。
石を狙っているのはセブルス一人。
考えたくもない考えが浮かび、レイラは頭を振ってその考えを追いやろうとした。セブルスが私を傷付けるなんて冗談でも思えない。それなのに嫌な考えばかりが膨らんでいく。
「クィレルに近付くな」
そう言った彼の真意はなんだろう。考えれば考えるほど頭が混乱して、レイラの気持ちはどんどん重く沈んでいった。
数日後、レイラは退院の許可を出された。
ハリー達はクィレルが抵抗するのを止めてしまった時にすぐに気付けるようにクィレルを気にかけるようになったし、クィレルもハリー達に視線を向けることが増えたような気がする。
けれどクィレルに対してもセブルスに対しても不信感を拭えずにいたレイラだけは、三人の影に隠れるように行動することが多くなった。わからないことばかりで誰を信じて誰を疑えばいいのかわからない。
なによりセブルスを疑っている自分が許せなくて、心苦しかった。レイラは頻繁に通っていたセブルスの私室に行くことを止め、クィレルとセブルス、どちらの姿を見ても避けるように迂回するようになっていた。
いろんな心配事や不安が重なったせいか、レイラは毎晩悪夢に魘されるようになった。
夢の内容は思い出せないが、心臓が激しく脈打ち身体中が震え、びっしょりと汗に濡れて飛び起きる。そんな日が何日も続き、レイラはすっかり寝不足で目の下に濃いクマを作っていた。
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