12.イースター休暇
学年末試験が始まるのは十週間も先だというのに、先生達は今から試験対策を始めるべきだと考えているようだった。おかげでせっかくのイースター休暇は、山のような宿題と格闘するために四六時中羊皮紙と睨めっこをして過ごすことになってしまった。

ちなみに優等生のハーマイオニーは数日前から学習計画表を作り、試験勉強に取り組み始めている。おまけになんとも有り難いことに彼女はレイラの分まで学習計画表を作ってくれたのだ。
けれどその鬼のようなスケジュールを見たレイラはそっとその計画表を鞄の奥底にしまいこんだ。試験で悪い成績を取ることは避けたいが、あそこまで厳しい学習計画をこなしていたらきっと試験当日までに倒れてしまうに違いない。

イースター休暇のある日の昼、レイラは図書館で恒例となった週に一度の勉強会を行っていた。三年生のセドリックが片付けなければいけない宿題の量は一年生のレイラとは比べ物にならないくらい多いようで、向かいの席に座った彼の鞄は教科書でパンパンに膨らんでいる。

「……レイラ、最近ちゃんと寝てる?」
「どうして?」

ザビニから借りた天文学のノートを写していた手を止めて顔を上げる。するとセドリックは自分の目の下をとんとんと人差し指で叩いてみせた。

「最近、ずっと疲れた顔をしてるから」

レイラの目の下にしぶとく陣取っているクマのことを言っているのだろう。たしかに最近ぐっすり眠れていない。レイラは何も言えずに曖昧に笑った。

「試験は大切だけど、体を壊したら元も子もないよ。──それとも試験とは関係ない悩み、かな?」

セドリックの濃いグレーの瞳は少しだけルシウスやドラコのものと似ている。だから彼の瞳を見ているとつい弱音を吐いて甘えたくなるのかもしれない。

「悪いことを企んでる人がいてね、……絶対そんなことあるわけないのに、絶対そんなことしない人だってわかってるのに、私が大好きな人が犯人なんじゃないかって思っちゃうの」

口に出すうちにどんどん悲しくなってきてしまい、レイラは慌てて鞄から取り出したハンカチを目に当てた。向かいの席に座っていたセドリックは気付けばすぐ隣に移動していた。レイラが座る椅子の隣で膝をつき、優しいグレーの瞳を細めてレイラを見上げる。

「その人を信じたいのに、疑っちゃうの…、その人を信じきれなくて疑う自分が許せないのよ」

胸に燻っていた心配事が口からするすると飛び出していく。
セブルスのことを疑いたくないのに、疑ってしまう。こんなこと、セブルスを犯人だと決め付けているハリー達には話すことができない。きっと話せば「レイラは騙されてるんだよ」と言われてしまう。信じたいと思ってるのに、そんなことを言われたらもっと疑ってしまう。そうしたら今までのセブルスとの関係まで信じられなくなりそうで、話せなかった。

「信じたいって思えるなら大丈夫だよ」
「……でも」
「大丈夫。だってその人はレイラが大好きな人なんだろう?なら、絶対悪い人じゃないよ」
「…………そう、かな?」
「うん」

力強く頷いて、セドリックの大きな両の手がレイラの小さな手を包み込む。ドラコの小さく柔らかい手とは違う。ルシウスやセブルスとも違う。骨張っていて、少し硬い手の平の感触と、少し湿った高い温度。

「それでね、もしも疑ったことが間違いだってわかったら、その時はちゃんと相手にごめんなさいって謝ればいいんだ」
「……謝るの?」
「それで解決しないことも多いけど、解決することも多いんだよ。心から謝る相手を邪険にするのは、難しいことだから」
「…………それって少し卑怯じゃない?」

セドリックの手がレイラの手を捕らえてしまっているから、ハンカチで涙を拭うことができない。ぼろぼろと涙を溢れさせたまま、レイラは眉を寄せる。そんなレイラにセドリックは少し悪戯っ子のような笑顔を見せた。

ハッフルパフ生の鏡ともいえるくらい人柄が良くて、勤勉、穏和、誠実で心優しい青年だと思っていたセドリックの意外な一面にレイラは目を瞬かせた。いや、誠実だからこそ「疑ったことが間違っていたらちゃんと謝る」と言えるのだろうか。きっとレイラなら、疑っていたことを隠してしまう。

「……ありがとう」

人に話したことで少しだけ気持ちが軽くなったような気がする。レイラははにかむように目の前の優しい青年に微笑んだ。途端にセドリックの頬がさっと色付く。彼は少し赤みの差した頬のまま笑い返し、レイラの涙に濡れた頬に手を伸ばした。逞しい親指が瞬きで溢れ落ちた涙を拭う。

「……レイラは泣いているより笑ってる方が似合うから」

泣いていたせいかレイラの頬は熱を持っていて、温かいはずのセドリックの手が少し冷たく感じる。
レイラははにかんだままその手に自分の手を重ね、そっとセドリックの手に頬を擦り寄せた。冷たい手の平が気持ちいい。

今までレイラが触れたことのある男性の手は滑らかでいかにも苦労や力仕事とは無縁というものばかりだ。もしくは一年中魔法薬を煎じるために手を黄色くしているか。そのどちらとも違うセドリックの手は、不思議だ。

「……っ、」
「セドリックの手は、ちょっとごつごつしてるね」
「あ、……うん、多分、クィディッチの練習で、箒を握ってるからだと思う。グローブを着けてもマメができるんだ」
「クィディッチの選手なの?」

入学してから一度も試合観戦が出来ていなくて自寮の選手の顔すら曖昧なレイラにとって、他寮の選手については未知の領域だった。でも、そういえばクィディッチの練習がどうのという話をしていたことがある気がする。
目をぱちくりさせる少女に困ったような顔で笑うセドリックの顔は、先程よりさらに血色が良くなっていた。

ハリーがクィディッチの練習に割く時間と同じくらいセドリックも練習をしているのだろう。その上こんな量の宿題をこなし、さらにレイラの勉強も見てくれるなんて……

「セドリックこそ無理しちゃだめだよ?」
「大丈夫、自分の限界はちゃんとわかってるつもりだよ」
「それならいいけど……あ、ごめんなさい」

セドリックの手を頬に当てたままだったことに気付き、レイラは謝りながら大きな手を解放した。
彼の手はその瞳と同じように、人を安心させる不思議な力を持っているような気がする。セドリックの手に肥大呪文をかけて枕にしたら安眠できるかもしれない。レイラがそんな馬鹿げたことを考えているなんて気付きもしないで、セドリックは少しだけ残念そうに解放された自分の手を見つめた。

図書館の閉館時間が近付き、レイラは机に広げていた羊皮紙や教科書、ノート達を鞄にぎゅうぎゅうと押し込んだ。あいかわらず整理整頓して物を仕舞うことは苦手なままだ。
格闘の末、なんとか荷物は鞄に収まったが留め具を嵌めることは諦めた。蓋が開いてしまわないように両腕で鞄を抱き抱えて図書館を出るレイラの姿を見て、セドリックはおかしそうに笑った。そんな彼の鞄はパンパンに膨らんでいるのにしっかりと留め具が閉まっている。

「そんなに笑うならセドリックが詰めてくれたら良かったのよ」
「それじゃあいつまで経っても自分でできないままだろう?」

正論を言われてしまってはぐうの音も出ない。セドリックは頬を膨らませるレイラにまた笑って、ローブのポケットを探った。ポケットから出てきたのは小さく白い包みだった。鞄で両腕がふさがっているレイラの代わりに包みを開けて、中に入っていた飴玉を差し出す。

「今日はいつもより長い時間勉強したから、ご褒美」
「キャンディー?」
「レイラがよくポケットに入れて舐めてるの見てたら、いつの間にか僕も持ち歩くのが癖になっちゃって」

柔らかく笑う青年の顔を見上げながら、差し出された紫色を口に含む。ほんの一瞬、彼の指先が唇に触れた。
甘い味とブドウの香りが口いっぱいに広がる。

「疲れた時には甘い物を食べるといいみたいだよ。それじゃあ、また来週──おやすみ」
「…うん、おやすみなさい」

柔らかい黒髪が廊下の角を曲がって見えなくなってからも、しばらくレイラはそこから動けずにいた。味は全然違うのに、口の中に広がる甘さはセブルスがくれる金平糖の甘さに似ていた。
大好きなあの顰めっ面を思い出してまた涙が溢れる。

元気が出る魔法の金平糖。
いつか、セブルスのことを信じられる日がくる。その時はあの甘い星屑に勇気をもらって、ちゃんとごめんなさいと言おう。その日がくることを、今はただ信じていたかった。

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