
13.さよなら
次の週、四人は心配で胃がねじれそうな思いで過ごした。
ハリー、ロン、ハーマイオニーは少しでも時間ができるとハグリッドにドラゴンを手放すよう説得しに行ったし、その間にレイラはドラコに会いに行った。彼がドラゴンを見てしまったのか聞き出し、もしも見てしまったのなら誰にも言わないように説得する必要があるからだ。
けれどこれは非常に難しいミッションだった。
はっきりと「ハグリッドの小屋でドラゴンを見た?」なんて聞くことはできないし、レイラは遠回しに聞き出すのは得意ではない。
それにドラコがいつもスリザリン生に囲まれているのも問題だった。他のスリザリン生達がいる前では、迂闊にハグリッドの名前を出すこともできない。ドラコ以外の誰かが怪しんで小屋の様子を見に行ってしまったら、それこそお終いだ。
レイラがハリー達と離れて自分達と過ごす時間が増えたせいか、ドラコはひどく上機嫌だった。
他のスリザリン生達もレイラが一緒に行動することを歓迎してくれたし、レイラが考えに耽ってぼーっとしていた日はそのままスリザリン寮に連れて帰られそうになってしまったくらいだった。
「おかえり」
「……今日も何も聞けなかったわ」
なんとかスリザリンの談話室前から引き返し、すっかり見慣れた暖色の談話室に帰ってきたレイラはハリーの隣に力無く腰を下ろした。「成果は?」と問うようなロンの視線を感じて首を振ると、三人分の溜め息が返ってきた。
「ごめんなさい。なかなかドラコが一人にならなくて、聞き出す機会がないのよ」
「でもこうしてレイラが一緒に行動している間は、あいつも先生に言い付けたりはしないはずだよ」
「そうね……その間にノーバートをどうにかできたらいいんだけど」
ハグリッドはドラゴンに「ノーバート」なんて名前を付けて可愛がっている。名前を付けると愛着が湧いてしまうし、どんどん事態が深刻になっている気がしてレイラが弱々しい笑みを浮かべると、途端に三人の顔が明るくなった。
その様子に眉を顰めたレイラに、三人は今日ハグリッドの小屋で話したことを教えてくれた。
ロンのお兄さんの一人、チャーリーはルーマニアでドラゴンの研究をしているらしい。そのチャーリーにノーバートを引き取ってもらえばいいと閃き、ハグリッドもその考えに同意してくれたようだ。
「あとはチャーリーからの返事を待つだけだけど、きっといい返事が貰えるはずさ」
「じゃあ、もう少しの辛抱ってことね…!!やっと悩みが一つ片付くわ」
「これで試験勉強にも集中できそうね」
嬉しそうに教科書を取り出したハーマイオニーに、思わず三人は苦い顔を見合わせてしまった。
その次の週、レイラは一人でハグリッドの小屋に来ていた。
小屋の中からは時々不穏な音が響き、地面を揺らしている。何かが壁を打ち付けるような音、何かが割れる音、ハグリッドの短い悲鳴。
「ハグリッドは大丈夫かしら?」
くぅーんと情けない声で鳴くファングの頭を撫で、再び悲鳴の上がった小屋を見上げた。ファングの尻尾には包帯が巻かれている。ノーバートはこの二週間でかなり立派に成長し、そのサイズに相応しい凶暴性を発揮していた。
ハグリッドは「凶暴なんじゃなくて、ちょっとばかし難しい時期なだけだ!まだ赤ちゃんだしな!」と言っていたが。
その赤ちゃんの世話で手一杯なハグリッドに代わり、レイラは小屋の裏にある畑の世話をしに来ていた。四月の日差しは暖かく、水やりをしなければ植物達は枯れてしまうかもしれない。
……というのはノーバートの世話当番から逃げる為の口実だった。
大きく成長し続けるノーバートは死んだ鼠を木箱に何杯も食べるようになり、ハグリッド一人では大変だとハリー達が交代で手伝いをすることになってしまったのだ。
けれどレイラはノーバートに近付きたくなかった。
たしかに生まれたての姿を見て美しいと思ったし、可愛いとも思った。でもそれはあのサイズだったからだ。
次にハグリッドに会いに来た時、二倍近く大きくなったノーバートの姿を見たレイラは小屋に入る事を断固拒否した。
それ以来ハグリッドの小屋の扉は開けていない。
動物は好きだが、それはあくまでも自分に被害が及ぶことがない場合に限る。火傷はしたくないし、ドラゴンに噛まれたら普通の噛み傷で済むとも思えない。
かといって、ハグリッドを助けようと頑張るハリー達を見捨てて知らんぷりするのも居心地が悪い。そうして考えた結果、レイラはハグリッドの畑の世話をすることに決めたのだった。レイラの考えを見抜いたロンには白けた目で見られてしまったが、一番可愛いのは我が身だ。
「ファングのご飯はここに置いておくね。夜にはロンかハーマイオニーが来ると思うから、何か困ったことがあったら二人にお願いしてね」
レイラは手についた泥を洗い流し、悲しげな瞳で見上げてくるファングを抱きしめた。ノーバートの被害を避けるために小屋の外で過ごさなくてはいけない彼が可哀想だ。けれど可哀想だからといってファングを寮に連れ帰ることはできない。
ファングがもう少し小さければポケットに入れて寮まで連れていってあげられるのに。先生や他の生徒にバレずに大型犬サイズの動物を部屋で保護する方法はないだろうか……
レイラのそんな思考を中断したのは、森から投げかけられる視線だった。その視線に先日襲われた事件のことを思い出してゾッとしたが、視線の主を見たレイラの目は喜びで細められた。
「お久しぶりね!……今日は一人なの?」
木々の間に溶け込むように立っていたのは、セストラルの子供だった。駆け寄ったレイラは周囲を見回して首を傾げた。
いつもは友達のユニコーンが一緒なのにと不思議に思ったレイラに答えることなく、セストラルが身を屈めた。
乗れということだろうか。レイラはぎゅっと唇を噛み、森の奥に目を向けた。
まだ森に入るのは怖い。
何があったのか覚えていなくても──覚えていないからこそ、誰かに襲われた場所に入ることは恐ろしかった。
「……あのね、今日は…」
今日は一緒に遊べないの、と言おうとしたレイラのローブをセストラルが身を屈めたままぐいぐいと引っ張る。
その白く濁った瞳が悲しみに揺れているのに気付いたレイラはハッとして口をおさえた。
デジャヴ──初めてこの子に会ったあの日も、こんな瞳でレイラのマフラーを引っ張っていた。その先で怪我をして動けなくなっていたユニコーンに出会ったのだ。
「もしかして、またあの子が怪我をしたの?」
セストラルは首を振る。それを見て安心するが、白い瞳は悲しげなままだ。嫌な予感に胸がざわつく。
「あの子じゃなくて、別の子が怪我をしているの?」
セストラルが頷いたのを見ると、レイラは迷わずにその背に飛び乗った。レイラを乗せたセストラルは木の枝を避けながら森の奥へ進んでいく。進む先がいつも過ごす綺麗な泉とは違うことに気付き、レイラは不安で胸元を握りしめた。
「禁じられた森」というその名に相応しい、暗く陰鬱な雰囲気に囲まれた場所でセストラルは歩みを止める。
セストラルの背から降り、レイラは声にならない悲鳴を上げた。
湿った落ち葉が敷き詰められた地面の上にユニコーンが横たわっていた。純白の体──大人のユニコーンだ。
きっとその首から溢れ出す銀色に塗れていなければ、いつものように昼寝をしていると思ったかもしれない。
レイラはこのユニコーンを知っていた。
ここまで連れてきてくれたセストラルの友達、横たわるユニコーンに寄り添って涙を流しているユニコーンの母親だった。
「どうして……なんで、なんで…」
レイラは横たわるその純白に駆け寄り、傷口を押さえながら震える声で繰り返した。
子供ユニコーンが怪我をしていた時とは違う。明らかに何者かの手によって傷付けられていた。鋭い爪や刃物のような物でいくつもつけられた傷から、とめどなく銀色が溢れてくる。
「だめよ…だめ、死んじゃだめ……すぐに治してあげるから……治れ、治れ…!!」
左手で傷口を押さえ、何度も繰り返すが何も起こらない。
あの時のように傷がふさがることはない。
レイラは震える手で杖を取り出した。怪我をしたユニコーンと出会った後、もしまた怪我をした動物に会った時に対処できるようにと調べた治癒呪文を唱える。
「エピスキー、癒えよ。………ッ、エピスキー、エピスキー!!エピスキー…!!」
杖を振る。
けれど傷は塞がらない。血は止まらない。
レイラは涙でぐちゃぐちゃになりながら、何度も何度も治癒呪文を唱えた。血は止まらない。呼吸をする度に上下に動くユニコーンの体が、次第に動かなくなっていく。
「なんで効かないの……エピスキー、……治れ、治れ、……っ治ってよぉ…」
他の治癒呪文は知らない。
どうすれば目の前の命を繋ぎとめることができるのか、わからなかった。
気付くと周りにはユニコーンとセストラルが集まっていた。
横たわる母ユニコーンに寄り添うように身を伏せる子と父。レイラを連れてきたセストラルと、その家族。
それ以外にも何度も森で会ったことのあるユニコーン達の姿を見て、再びレイラの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
この子達は私のことを頼ってくれたのに。
それなのに、何もできない。
助ける為の呪文も、苦しみを和らげてあげる為の呪文も知らない。何もできない。
終わりは嘘みたいに静かだった。
ユニコーンはゆっくりと呼吸を止め、長い睫毛に縁取られた美しい瞳が閉じられていく。レイラは少しずつ冷たくなっていく体を抱き締め、少しでも体温が消えていくのを防ごうと、いつまでもその体を離そうとしなかった。
こんなことをしても何の意味もないとわかっている。
もう二度と、この体が熱を取り戻すことはない。
レイラの手から林檎を齧り、もっと食べたいと言うように手を舐めることもない。
周りのユニコーン達はレイラを責めるような目で見ることはなかった。ただ悲しそうに、仲間との別れを惜しみながら少しずつその場を去っていく。少しずつ離れていく足音を聞きながらレイラは目を閉じた。冷たくなっていく体を抱き締めて目を閉じ、頬を伝う涙が純白の体に落ちた。
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