
14.学年末試験
翌朝、寮の得点を記録している大きな砂時計の前を通りかかった生徒達は皆自分が寝惚けているか、もしくは砂時計が故障しているんだと思った。グリフィンドールの砂時計が表示する得点は、昨日の夜より百五十点も少なくなっていたのだから。
噂が広まるのはあっという間だった。
「ハリー・ポッターが、あの有名なハリー・ポッターが、クィディッチの試合で二回も続けてヒーローになったハリー・ポッターが、寮の点をこんなに減らしてしまったらしい。何人かの馬鹿な一年生と一緒に」
レイラは目を腫らしたハーマイオニー、ネビルと両手を繋ぎ、ロンは重い足取りのハリーを励ましながら大広間に向かった。
大広間に入った瞬間、五人を迎えた刺すような視線にレイラは思わず一歩後ずさった。グリフィンドールのテーブルからだけではない。ハッフルパフやレイブンクローの生徒達も、全員ハリー達を冷たい敵意に満ちた目で睨み付けている。
「レイラ、ロン、僕らと一緒に食べよう。そんな馬鹿な奴らといると君たちまで嫌な目で見られるよ」
立ち尽くすレイラとロンに向かって、グリフィンドールのテーブルからシェーマスが声をかけた。周囲にいるディーンやラベンダー、パーバティといった一年生達も周囲と同じように冷ややかな目で三人を見ている。どうやら減点された面子についてもしっかりと広まっているらしい。
「お誘いは嬉しいんだけど、やめておくわ」
「僕は親切で言ってるんだぞ…!!」
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくね」
レイラは無表情のまま虫でも払うように手を振った。
そんなレイラの返答にシェーマス達は不満そうな顔になり、ハーマイオニーはおろおろとしている。
「レイラ…私達のことは気にしなくていいのよ。そんな態度だと本当にあなたまで悪く言われてしまうわ」
「私が誰と一緒にご飯食べようと勝手でしょ?──ネビル、そこのリンゴジュース取って」
「さっさと食べちゃおう。もうお腹ぺこぺこだよ」
いつも通り席に座り、パンやオートミールの皿に手を伸ばす二人につられて三人も恐る恐るとテーブルに座り、朝食を食べ始めた。
その間も周囲から投げられる視線や言葉は止まない。無視しようと思うのに、嫌でも耳に入ってくる言葉にレイラの眉間の皺がどんどん深くなっていく。
「ちょっと有名だからって、調子乗りすぎだよな」
「英雄様なら何をしても許されるって思ってるんじゃないの?」
「ドジでのろまで、いいとこなしのくせに英雄様にくっ付いて回るからこんなことになるんだよね」
「目立ちたがり屋がついに授業外でも顔を見せたな」
うるさいうるさいうるさい…!!感情のままに怒鳴ってしまえたらどんなに楽だろう。ハリー達は悪戯や悪さをする為に夜中に出歩いたわけではない。人助けの為だ。それなのに、事情も知らずに悪口を並び立てる周囲にイラついて仕方なかった。
事情を説明してしまえばハリー達の苦労が無意味なものになってしまう。それがわかっているから余計に歯痒く、もどかしい。五人はいつもより早く食事を済ませ、大広間を後にした。
その日からハーマイオニーは授業中に手を挙げることをやめ、ハリーとネビルも極力目立たないように生活するようになった。レイラとロンは自分達も共犯なのに、減点される場に居合わせなかっただけで向けられる悪意のターゲットにならないことが苦しかった。
さらにレイラはドラコと険悪な仲になってしまったことで、まるで毎日拷問を受けているような気分だった。
それは減点騒動の翌日のことだった。心配そうな顔で話しかけてきたドラコに、レイラは今まで向けたこともないような冷たい表情で対応した。そんなレイラにたじろぎながらもドラコは必死にレイラを説得しようとする。
「あんな奴らと付き合うな」ホグワーツに入ってから、もう何十回も聞かされた言葉だった。
「あんな下等な奴らと付き合っているから、レイラは怪我をしたり入院したり大変な目にあうんだ」
「……下等な奴ら?」
「あぁ。あの目立ちたがり屋のポッターに、野蛮な森番、血を裏切る貧乏ウィーズリー、それから穢れた…」
「ドラコ!!」
ドラコの言葉を遮るように声を荒げたレイラの金色の瞳が、どんどん水っぽく潤んでいく。
「ハリーもロンもハーマイオニーもハグリッドも、もちろんネビルも。皆、私の大切な友達よ。友達の悪口言わないで」
「だからその友達選びが間違ってるって言ってるんだ。レイラはあまり世間を知らないから、」
過保護に甘やかしてくれる、いつものドラコだ。
それなのに今はそれがひどく苛つく。
「ドラコのバカ!!そんな分からず屋のドラコなんかきらいよ!もう一生口もききたくないっ」
呆然とした顔のドラコを睨みつけ、レイラは大粒の涙を流しながら踵を返した。
あの日以来ドラコとは口をきいていない。
スリザリンとの合同授業でもレイラはハーマイオニーやネビルと組んだし、彼が何か言いたそうにこちらを見ているのは気付いても気付かないふりをして顔を背ける。その度に胃がシクシクと痛んだ。朝のおはようも、おやすみなさいの挨拶も。廊下での些細な会話も、全てなくなった。こんなこと初めてだった。
けれど、レイラは自分から折れる気はない。ここで折れてしまったら、この先もずっと大好きな友人達を悪く言われるような気がしたからだ。
あんなに来て欲しくないと思っていた学年末試験だったが、こんな状況になってしまった今では試験が近付いていることが幸運だった。勉強に集中している間は周囲の悪意に満ちた眼差しを忘れることができるからだ。朝起きた直後から夜眠りにつくまで。授業の間の休憩時間も全て勉強に費やした。
そんな勉強漬けの日々を送っていたある日の勉強中、レイラの瞳から突然ぼろぼろと涙が溢れてきた。レイラ自身も驚き、けれど涙は止まらない。ロンは「きっと君、試験ノイローゼになっちゃってるんだよ!」と言い、ハーマイオニーも同じように思ったのか、少し外の空気を吸って休んでくるようにと勧めてくれた。
そんなわけでレイラは現在一人で中庭に座り、湖を眺めていた。夏の気配がすぐそこまでやってきている。レイラは強くなり始めた日差しから逃げるように、大きな木の下にできた影の中で三角座りをしていた。膝の上に顎を乗せて湖面を見つめていると、再び涙がじわりと滲んでくる。
いろんなことがあったけど、楽しい一年になると思っていた。それなのにこんな最悪の形で学年末を迎えることになるなんて……終わりよければすべてよし。じゃあ、終わり悪ければすべて悪し?
気持ちが沈んでいるせいか、ネガティブな考えばかりが浮かんできてしまう。すでに涙でびしょびしょになっているハンカチに顔を埋めてしゃくり上げていると、突然背後からガサガサと物音がしてレイラは座ったまま飛び上がった。
音のした方を見ると、すぐ近くの茂みから不機嫌そうな顔をしたひょろりとした男子生徒が姿を見せた。スリザリンの一年生、セオドール・ノットだ。そのままいつものように眉を顰めて立ち去るのかと思ったら、何故かノットはレイラから三十センチほど離れた芝生の上に腰を下ろした。
レイラが涙で濡れた顔を向け、ぱちくりと瞬きを繰り返してノットの横顔を見つめるが、彼の視線がこちらに向けられることはない。
ノットとはレイラがスリザリンの集団で一緒に過ごしている時も話すことはなかったし、たまに目が合ってもすぐに嫌そうな顔で逸らされてしまう。だから多分彼には嫌われているか、少なくともいい感情は向けられていないんだろうなと思っていた。
その彼が隣に座るという行動に驚いて、涙も引っ込んでしまった。
しばらく呆気にとられてその涼しげな横顔を見ていたが、冷静になってくるにつれて恥ずかしくなってくる。きっと今自分の顔は涙でぐちゃぐちゃだし、もしかしたらさっき泣いていたところも見られていたのかもしれない。
「あんたは泣いてばかりだ」
「……え?」
その目元や横顔と同じ、涼しい声が響いた。
ノットは顔をこちらに向け、けれど視線は逸らしたままで口を開く。
「いつも泣いてる」
「…………そんなに泣いてないわ」
咄嗟に否定したが、泣き虫だという自覚はある。
けれど素直に認めてしまうのも悔しくて、レイラは口を尖らせた。
「……人が泣いている所に来て、いきなりなぁに?」
「先にここに居たのは俺だ。人が昼寝してる所に来て勝手に泣き始めたのはそっちだ」
「それは……ごめんなさい。気付かなかったわ」
素直に謝罪の言葉を口にするが、ノットの表情は変わらない。もしかしたら「先にここにいたのは俺だ。後から来て邪魔をするな。さっさと立ち去れ」みたいなことを言外に伝えられているのかもしれない。
「お昼寝の邪魔をしてしまってごめんなさい。じゃあ…」
「泣いているのは、減点騒動のせいか」
腰を上げかけたレイラは聞こえた言葉に眉を寄せた。
そんなレイラに目もくれず、ノットは広大な湖を見つめたままだ。中途半端な体勢で静止していると、再びノットが口を開いた。
「寮対抗杯を気にするようなタイプだとは思わなかった」
「……対抗杯なんて、どうでもいいわ。何も知らないのに…何があったのか知ろうともしないのに、悪口を言ってくる人達が嫌なの」
「周りなんて放っておけばいい。そんな奴らのせいで泣くのは、馬鹿のすることだ」
ようやくノットと目が合った。
まっすぐと向けられる瞳の強さに、息が止まりそうになる。
黒髪と暗い色の瞳で、ひょろりとして静かな男の子。そんな漠然とした印象しかなかったが、明るい太陽の下で見る彼の姿は屋内で受ける印象とは随分違って見えた。
少し癖のある黒髪は光が当たると青味がかって見え、暗い色だとしか思っていなかった瞳は深い紫をしている。こんなに喋ったのも、こんなにしっかり彼の姿を見たのも、初めてだった。
「──あなたの目、とっても綺麗な色ね」
「………あんた、人の話聞いてたか?」
思わずレイラの口から漏れた言葉に、ノットは不機嫌そうに顔を歪める。レイラがよく見る彼の表情だ。
「聞いてたわ!……えっと、……なんだっけ?」
ちゃんと聞いていた。はずなのだが。
申し訳なさそうに上目遣いに見上げると、深い溜め息で返されてしまった。
「…………もういい」
「……そう?」
再び湖に向けられた横顔は、あいかわらず不機嫌そうだ。
「…えぇっと、お昼寝の邪魔なら私はもう行くね」
「別に、邪魔だとは言ってない」
湖を見たまま告げられ、どうしたらいいのか戸惑ってしまう。
邪魔じゃないならここにいてもいいということだろうか? どうしたものかと考えていると、ノットは鞄の中から薄い参考書を取り出してこちらに差し出した。
「『初級変身術-理論-』……なぁに?」
「恥をかきたくなければ、その顔で戻るのはやめた方がいい」
言われた言葉に湖面に顔を映してみると、泣き腫らした目と鼻が赤くなってしまっていて、たしかにあまり人に見られたくない顔をしている。レイラはお礼を言いながら渡された参考書を開いた。すでにノットは別の本を取り出して読み始めている。
変身術は実技も理論も苦手だが、この参考書はそんな変身術が苦手なレイラにもわかりやすいような噛み砕かれた説明が載っていた。結局そのまま夢中で読んでしまい、日が傾き始めるまで二人は会話をすることなく過ごした。
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