14.学年末試験
頭が痛くなるくらいに記憶を辿っても、襲われた日のことは思い出せなかった。
そしていよいよ試験が始まると、数ヶ月前の記憶よりもこの数週間で頭に詰め込んだ知識を引っ張り出すことに集中しなくてはいけなくなった。

筆記試験は茹だるような暑さの大教室で行われた。
勉強漬けの日々の成果なのか、筆記に関しては思ったよりもスラスラと解答欄を埋めることができた気がする。けれど途中から軽い熱中症にかかったように頭がふらふらしてきてしまい、最後の方はしっかり埋められていたかあまり自信がない。呪文学ではスペルをいくつか間違えたような気がする。

ただ、実技の方は上手くいったとは言い難い。
呪文学のフリットウィックは生徒を一人ずつ教室に呼び入れ、パイナップルを机の端から端までタップダンスさせられるかどうかを試した。レイラのパイナップルは見事なタップダンスを披露し、丁寧なお辞儀で幕を閉じた。
それで終われば完璧だったのに、何故かお辞儀を終えたパイナップルはグラスに注がれたパイナップルジュースへと変身してしまった。グラスの縁には瑞々しいチェリーまでついている。
きっとこれが変身術の試験だったなら満点以上の点数だっただろう。しかしこれは呪文学だ。微妙な表情のフリットウィックの顔を見て、レイラは絶望しながら退室した。

変身術はネズミを嗅ぎタバコ入れに変えるというものだった。
レイラが杖を振ると、一発でネズミは美しい装飾の嗅ぎタバコ入れに変わった。これには自分でも驚いたし、マクゴナガルもとびきりの笑顔で微笑んでくれた。

「よろしい、それでは──」
「チュー、チュー!」

退出しようとしたレイラの耳に、可愛らしい鳴き声が響く。
なんと美しい嗅ぎタバコ入れは机の上を駆け回り、チューチューと楽しげな鳴き声を上げていたのだ。一瞬にしてマクゴナガルの顔が石のような無表情に変わり、レイラは眉を下げた。

魔法薬は「忘れ薬」の調合だった。
監視の為に歩き回るセブルスから闇の気配を感じとれないか、何か怪しい点はないかとそればかりに全神経を集中させながら調合に挑んだが、何の成果も得られなかった。そもそも闇の気配がどんなものかわからないのだから、感じとれるわけがないのだ。
レイラは調合した忘れ薬を提出しながら小さく溜め息を吐いた。

最後は魔法史の筆記試験だった。これは満点を取った自信がある。なんでも魔法史の試験問題は何年もの間ほとんど変わっていないようで、スリザリンでは上級生から下級生へ前年度の試験用紙が受け継がれているらしい。「この話を誰にも言わないこと、この用紙も誰にも見せないこと」を条件に、レイラはザビニからその試験用紙を貰っていた。
その用紙とほとんど変わらない問題内容に苦笑いを浮かべながら解答欄を埋めていく。おかげで一時間ある試験時間のうち、ほとんどの時間を考え事に費やすことができた。

試験終了の鐘が鳴り、自由を手に入れた生徒達は我先にと教室を飛び出していく。レイラはハーマイオニー達と合流することなくその群れに混ざった。
きっとハリー達に言えば止められてしまうし、やっと固めた決意も揺らいでしまう気がしたからだ。


向かう先は職員室。
魔法史の試験時間中、ずっと考えていた。謎解きをするにはピースが足りなすぎるのだ。知らないことは恐ろしい。恐ろしいから、疑心暗鬼になる。信頼しているはずのセブルスを信じられないのもきっとそのせいだ。そう考えたレイラは賭けに出ることにした。

職員室のドアの前で立ち止まり、ノックしようと上げた手が固まった。あっという間に決意が揺らぐ。
もし……もし、セブルスが全ての犯人だとしたら。ヴォルデモートに付き従う闇の魔法使いだとしたら──きっと今度こそ殺されてしまうかもしれない。
信じようと決めたのに、すぐに臆病な自分が顔を出す。

セブルスがくれた勇気が出る魔法の金平糖を食べたら、あと一歩を踏み出す勇気をもらえるだろうか。でもあの金平糖が入った小瓶は寮の自室の引き出しの奥にしまったままだ。セブルスを疑うようになってから罪悪感で苦しくて、目につかない所へと押し込んでしまっていた。
寮に取りに戻ろうか? でも、その途中でハリー達に会うかもしれない。どうしようかと考え込んでいたレイラはふと数日前のことを思い出して鞄の中を漁った。探し物はすぐに見つかった。

鞄の底から出てきたのは小さな白い包み。黄色の水玉模様のそれは試験前最後の勉強会でセドリックがくれたキャンディーだ。
「無理をし過ぎないように、お互い頑張ろう」と笑いながら渡してくれた飴玉達は試験期間中のレイラの糖分補給に大いに貢献してくれた。それももう残り一つ。これが最後の一つだ。

金平糖の代わりなんて失礼なことは考えない。
だけど今は少しだけ誰かに背中を押してもらいたかった。

「セドリック、私ちゃんとごめんなさいって謝ってみるよ。だから、ちょっとだけ勇気をちょうだい」

小さな声でそう呟いて、レイラはレモン味を口に含んだ。甘くて、だけど少しだけ酸っぱいその味はセドリックに似ていると思った。



レイラは一度深呼吸をしてからノックをしてドアを開けた。採点作業に勤しむ教師陣の中にセブルスの姿はない。

「おや、ミス・マルフォイ。こんなところで何をしているんですか?」
「マクゴナガル先生。あの、スネイプ先生はいらっしゃいますか?」

セブルスの姿はないかと職員室を覗き込んでいたレイラは、突然背後からかけられた声にビクッとして振り向いた。羊皮紙の束を抱えたマクゴナガルが不思議そうな顔で見下ろしている。レイラの言葉を聞いたマクゴナガルは「少々お待ちなさい」と言って職員室に入っていき、ほどなくして戻ってきた。

「スネイプ先生はまだ戻られていないようです。おそらく生徒達の調合した課題を片付けているのでしょう」
「そう、ですか。………あの、スネイプ先生が戻ってくるまでここで待っていてもいいですか?その、試験の事でどうしても聞いておきたいことがあって…」
「構いませんよ」

ありがとうございますと頭を下げるレイラを一瞥し、マクゴナガルは職員室の中へ戻っていった。
レイラはドア横の壁に背を預け、震える両手を握りしめた。静かすぎる廊下は、自分の心臓の音でさえ聞こえそうだ。


しかし一時間近く待ってもセブルスは戻ってこなかった。大量の本を抱えたマクゴナガルが職員室から出てきて、廊下に立ったままのレイラを見て「まだ待っていたんですか?」と驚いたように眉を上げた。

「もしかしたら研究室にいるのかもしれませんね。そうだとしたら当分ここには戻られないでしょう」
「そうですか…じゃあ、研究室の方に行ってみます」
「そんなに重要な質問なんですか?」

訝しげな目を向けてくるマクゴナガルをどうにか誤魔化そうと、レイラは不安そうな表情を作った。

「試験で調合した薬のことなんですけど、気になることがあって……多分採点にも関わることだと思うので、なるべく早くお話ししたくて」

どうやらマクゴナガルの目を欺くことに成功したらしい。
彼女は「せっかく試験が終わったんですから、あまり試験のことばかり気に病まないように」と優しい顔を見せてどこかへ去っていった。マクゴナガルが廊下の角に消えていくのを見つめ、レイラも職員室を離れて地下牢に向かった。

セブルスの研究室は魔法薬の教室の奥にある。魔法薬の教室は無人だった。研究室へと続く扉をノックするが、返事はない。無駄だとわかりながらもドアノブをひねるが、やはり鍵がかけられていて開くことはなかった。

仕方なく教室の椅子に腰を下ろす。そこは初めての魔法薬の授業で座った席だった。隣にドラコがいて、セブルスの授業にわくわくして胸がはち切れそうで……。

何も知らなかったあの日。
学校に何かが隠されていることも、それを守る三頭犬も、石のことも。誰かを疑うことも。何も知らなかった。
机に額をつけて目を閉じると、この一年の出来事が次々と思い出される。嫌なことも悲しいこともあった。でも、それだけじゃなかったはずだ。

「誰だ、そこで何をしている?──…レイラ、」

静かな教室に、セブルスの深い声が響いた。
そこにいるのがレイラだとわかると、彼はあからさまに眉間の皺を濃くした。

「セブルス、話があるの」
「…………」

黒い瞳を真っ直ぐに見つめる。数分の間無言の睨み合いが続き、先に折れたのはセブルスだった。溜め息をつき、研究室へと歩いていく。レイラもそれに続いた。

研究室は魔法薬の材料や羊皮紙、授業で使う備品で溢れていた。部屋の隅に置かれた肘掛け椅子は羊皮紙やファイル置き場と化している。セブルスは杖を振ってその羊皮紙達を片付けると、レイラにその肘掛け椅子に座るよう促した。

「……それで?グリフィンドールのお友達と離れて、一人で何の御用かな」

セブルスは立ったままで、レイラは自然と彼を見上げる形になる。きゅっと拳を握り、覚悟を決めて口を開いた。

「賢者の石を狙っているのが誰か、知ってる?」
「……まだそんな探偵ごっこを続けていたのか」
「いいから、答えて。…それとも、セブルスが石を盗もうとしているの?」
「私が賢者の石を欲しがると思うかね?」
「……だって、石があれば魔法薬を研究する為の時間もお金も手に入るもの」

途端にセブルスの顔が不機嫌に歪められる。

「本当にごめんなさい!ごめんなさい、なんだけど…だから最初は石を狙っているのがセブルスかもしれないって聞いて、そうかもって思ったの。でも……」

恐ろしい形相で見下ろしてくるセブルスの視線に冷や汗をかきながら続けた。

「石を盗もうとしている人は『例のあの人』の復活に手を貸しているって聞いて、セブルスじゃないと思ったの。だからこうして一人で話を聞きに来たのよ」
「──石を狙っているのは私ではない」

再び流れた睨み合いの時間の後、セブルスが告げた言葉に、身体中の力が抜けた。疑ってしまった罪悪感。そして、セブルスが犯人じゃなくて良かったという安心感で涙が滲みそうになる。

「じゃあ石を狙っているのが誰か、知ってる?」
「例え知っていたとしても君に教える理由はない」
「私を襲ったのは、石を狙ってる人よ。だったら私にはそれが誰なのか知る権利があるわ」

どうしてそれを知っているんだという問いには答えず、毅然とした顔で答えを待った。そんなレイラを見下ろし、やがてセブルスは苦悶の表情で口を開いた。

「クィレルだ」
「どうしてクィレル先生は私を襲ったの?」
「もういいだろう。それ以上は知る必要はない」

ぴしゃりと言い切られてしまい、反論しようと口を開くがレイラが言葉を発するより先にセブルスが言葉を重ねてくる。

「君が太刀打ちできる相手ではない。これ以上首を突っ込めばどうなるか、それがわからないほど愚かではないだろう」

もし本当にクィレルの後ろに『あの人』がいるなら、子供が敵う相手ではない。石のこともヴォルデモートのことも、自分達が手を出すより先生達に任せるのが一番だろう。
それに、石を狙う犯人を捕まえたいなんて考えているわけではない。自分の中のセブルスへの疑いの気持ちを拭うことができた今、石に関わる意味はなくなった。

「わかったわ。もう余計なことも、危険なこともしない」

セブルスはしばらくレイラを探るような目で見つめたが、その言葉を信じてくれたらしい。レイラの手を引いて立ち上がらせてくれた。
椅子から立ち上がったレイラはそのままセブルスの体に腕を回し、真っ黒なローブに顔を埋めた。

「…………何をしている」
「ごめんなさいと、仲直りのハグよ」
「私は君と喧嘩をしていたつもりはないが」

ゆっくり息を吸い込むと、魔法薬に使用する様々な材料の匂いがレイラの胸を満たす。甘くて苦い、セブルスの香り。
レイラはくすくす笑いながら頭をぐりぐりと押し付けた。

「悪いことしてるかもって疑ってごめんなさい」
「気にしていない──それより、用が済んだのならさっさと帰りたまえ。私はこの山のような採点を片付けねばならん」
「ふふ、採点がんばってね。あ、ねぇ私の試験どうだった?」
「試験の結果は一週間後だ」
「特別に教えてくれてもいいじゃない?」
「……これ以上この会話を続けるつもりなら君の成績から点数を引くことになるが」

レイラは「もー!いじわる!」と頬を膨らまし、セブルスから体を離した。最後にもう一度ありがとうとごめんなさいを告げて、レイラは研究室を後にした。



セブルスを疑う気持ちも彼を疑う罪悪感もなくなり、ここ数ヶ月ずっと痛んでいた胸の痛みが取れたようだった。
今ならドラコとも仲直りできるかもしれない。きっとちゃんと話せば、グリフィンドール生にも素敵な人達がいっぱいいるとわかってくれるはずだ。寮に戻る前にドラコに会いに行こうと考えながら冷たい地下の廊下を歩く。
スキップでもしたくなるくらい、心がふわふわと軽い。

「ミス・マルフォイ」

突然名前を呼ばれて立ち止まった。けれど後ろを振り向いても人気の少ない廊下には誰もいない。聞き間違いだろうかと足を進めようとすると再び名前を呼ばれた。

「ミス・マルフォイ、すまないが備品を運ぶのを手伝ってくれませんか」

今度はさっきより大きな声ではっきりと聞こえる。廊下の角を曲がった先のドアが開かれていて、声の主はその教室内にいるらしい。どこかで聞いたことがあるような男性の声だ。関わることのない教員だろうか。

「わかりました」と素直に頷いて教室に足を踏み入れると、そこは普段使われていない空き教室だった。乱雑に並べられた机や椅子には埃が積もっているし、棚には蜘蛛の巣まではっている。こんな所から備品を運ぶ手伝いをしたらきっと埃まみれになってしまう。レイラが嫌そうに顔を顰めた直後、背後に人が立つ気配を感じて──ぷつり、意識が途切れた。

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