
04.授業開始
待ちきれないと魔法薬学の教室に飛び込んだレイラだったが、どうやら早く来すぎたみたいだ。薄暗い教室にはまだ誰もいない。レイラは真っ直ぐ一番前の席に行き、机の上に荷物を置いた。
記念すべき初めて受けるセブルスの授業だ。特等席に座る以外の選択肢はない。
少しの間わくわくしながら無人の教室で壁に並んだアルコール漬けの動物が入ったガラス瓶を見て過ごしていると、教室の扉が開いて生徒達が数人入ってきた。
レイラと同じグリフィンドールの生徒達だ。
彼等は教室の後ろの方の席に座ると、恐々と教室の中を見回す。確かにこの教室に置かれているのは不気味な物ばかりだが、セブルスが受け持つ授業の教室だからか不思議と怖くない。
再び扉が開く音がして振り返ると、ドラコが数人のスリザリン生を引き連れて入ってきた。
「ドラコ、こっちよ」
レイラが笑顔で手を振るとドラコは嬉しそうに笑いながら隣に座る。しばらくの間レイラはドラコやスリザリン生達とお喋りに興じて授業開始の時を待った。
時間ぎりぎりに教室に到着した生徒が席に座った直後、奥の扉から黒いローブを翻し現れたセブルスをレイラは笑顔で見上げた。表情一つ変えずに教室内をぐるりと見回し──にこにこ笑顔の少女を見て僅かに眉間の皺を深くしたが──出席を取り始める。
「ポッター!」
出席を取り終えたと思ったら突然セブルスはハリーの名を呼んで教室の一角に鋭い視線を投げかけた。レイラが振り返ってそちらを見ると、グリフィンドール生が固まって座っている集団の中でハリーが困り顔を浮かべていた。
「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」
「……わかりません」
「有名なだけではどうにもならんらしい。ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探すかね?」
ハリーは再び「わかりません」と答えながら首を横に振っている。スリザリン生はそれを見て笑っているが、レイラも答えがわからないため笑うことはできなかった。
どうしよう。これは皆分かるくらい簡単な問題なのだろうか。
小説ばかり読んでいないでもっと勉強しておけばよかったかもしれない。
「クラスに来る前に教科書を開いて見ようとは思わなかったわけだな、ポッター、え?ではポッター、モンクスフードとウルフスベーンとの違いはなんだね?」
この問題なら分かる。ようやく自分にも分かる問題に、レイラは頬杖をついたまま安堵の息を吐いた。
モンクスフード、ウルフスベーン、それからアコナイトにトリカブト。全て同じ植物だ。
レイラがこれを知っているのは去年発売された『月のない恋』という本のおかげだった。狼人間に恋をした主人公が彼を人間の姿に戻すために試行錯誤する中で、トリカブトを使った魔法薬を調合するシーンがあった。
たまたまマルフォイ邸に来ていたセブルスに「本当にそんな薬作れるの?」と聞いた時に説明してもらったのだ。
「わかりません。あの、ハーマイオニーがわかっていると思いますから彼女に質問してみたらどうでしょう?」
ハリーは立ち上がって挙手をしているハーマイオニーを指さした。
「座りなさい」
セブルスが冷たい口調で言い放つと、ハーマイオニーはしょんぼりとして椅子に座った。
その後セブルスは全ての問題の解説をして、生徒達にそれを羊皮紙に書き取らせた。レイラも慌てて羽根ペンを取り出して羊皮紙に書き込んでいく。
「ポッター、君の無礼な態度でグリフィンドールは一点減点。書き取りが終わった者から大鍋を用意しろ。二人一組になっておできを治す簡単な薬を調合してもらう」
レイラはドラコとペアを組み調合を開始した。黒板に書かれた手順を確認しながらの作業は意外にも順調に進んでいく。
二人の後ろに座ったザビニとノットのペアも問題なく作業しているが、クラッブとゴイルの大鍋からは不思議な匂いがしてきている。絶対に失敗しているような気がするが、どうしてそうなっているのか、挽回するにはどうしたらいいのかわからないから手を出すこともできない。
きっと教室を歩き回って生徒達の作業を確認しているセブルスなら的確なアドバイスができるはずだ。早くこっちに来てくれたらいいのに。
「こっちはもう少しで茹で上がるよ」
「わぁ!さすがドラコ!えーっと、次は……ヤマアラシの針ね。取ってくるからちょっと待ってて」
ドラコが掻き混ぜる大鍋の中ではぐつぐつと角ナメクジが茹でられている。レイラは黒板に書かれたこの後の工程を確認して次に使う材料を取るために立ち上がった。
もう少しで完成だ。なんとか初めての魔法薬学は大成功で終われそうだと浮かれていたせいか、テーブルに戻る途中で懐紙に包んでいたヤマアラシの針をバラバラと床にぶちまけてしまった。
近くのテーブルで大鍋を掻き混ぜていたディーンが「拾うの手伝おうか?」と声をかけてくれたが、レイラは笑顔で首を振った。作業を中断させたことが原因で彼の調合を失敗させてしまったら申し訳ない。
「大丈夫?」
「えへへ、大丈夫よ。ありがとう──ちょっと足元ごめんね」
床に散らばった針を数えながら拾い上げるが一本足りない。あれ?と周囲を見回し、ディーン達のテーブルの下に転がっているのを見つけた。
難なく机の下に潜り込みヤマアラシの針を回収した──直後、背中に焼けるような鋭い痛みが走った。
「──痛……っ!!」
それと同時に毒々しい緑色の煙がレイラの視界を埋め尽くす。運悪くレイラが潜り込んでいたテーブルの真上でネビルが大鍋を溶かし、失敗した薬が降り注いできたらしい。
レイラ同様、薬をびっしょり被ったネビルは全身に真っ赤なおできを作り、痛みに呻き声を上げている。おそらく自分の背中も悲惨なことになっているのだろう。
背中の痛みと立ち上る煙の激臭に呻いていると、セブルスが一振りで溢れた薬を消し去り涙に頬を濡らすネビルに怒鳴り付けた。
「バカ者!大方、大鍋を火から降ろさないうちにヤマアラシの針を入れたんだな?」
「レイラ大丈夫…!?」
蹲ったまま痛みに呻いているレイラに気付いたディーンの声でこちらを見たセブルスの目が大きく見開かれた。
「……!?ミス・マルフォイ、何故そんな所に……!!──とにかく、二人とも医務室へ行きたまえ。他に薬を被った者はいないな?」
まるで皮膚が燃えているように痛い。
ヒリヒリする痛みに涙を流しながら立ち上がるとドラコが普段から青白い顔をさらに白くして駆け寄り、心配そうにレイラの肩を抱いた。
「レイラ…!!大丈夫?歩けそうか?医務室まで付いていくよ」
「ドラコ……ううん、大丈夫」
「でも…!!」
「私が最後まで出来ない代わりに、ドラコがちゃんと薬を完成させて?」
まだ納得していない様子のドラコに「お願いね」と涙で濡れた顔でぎこちなく微笑み、レイラは泣いているネビルと共に医務室へと歩き出した。
その道中でネビルはしゃくり上げながら何度も何度も謝罪の言葉を口にするが、それに応えるだけの余裕はない。歩く時の僅かな振動すら刺激になるのか背中がじくじく痛んで涙が止まらない。
二人が医務室の扉を開けると、ガーネット色のワンピースに白いエプロンをかけた女性が近付いてきた。
「おやまぁ。どうしたんです」
「魔法薬の授業で…僕が……っ、ぼ、僕の…ッせいで……」
マダムはわかったというように頷いた。
「失敗したんですね?毎年魔法薬の最初の授業で一人は怪我をしてきますよ」
そう喋りながらもレイラとネビルの手当てをする手は止まらない。薬棚からいくつか小瓶を取り出し、ゴブレットにその中身と粉末を加えてかき混ぜていく。
「私はマダム・ポンフリー。ホグワーツの校医です。こんな怪我あっという間に治りますよ」
渡されたゴブレットの中身を飲み干すとじわじわと痛みが和らぎ、意識がボーッとしてくる。マダム・ポンフリーは二人の手から空になったゴブレットを取り上げるとベッドに誘導した。
「少し休んでいなさい。目が覚めた頃にはすっかり治っていますからね」
マダムの優しい声を聞きながら、レイラはあっという間に眠りへと落ちていった。
ぎこちなくてもどかしい、けれどひどく安心する手付きで頭を撫でられる感覚にレイラはゆっくりと意識を浮上させた。
消毒液の匂いに混ざる、苦くて甘い独特の香り。幼い頃から慣れ親しんだ大好きな人の香りだ。
「おはよ、セブルス」
「…………」
目を開けて飛び込んできたのは予想通りの真黒な姿。レイラがふにゃりと笑うと、大きな溜め息と共に頭を撫でていた手で視界を覆われてしまった。それでもレイラは笑みを崩すことはなく、ますます上機嫌で笑った。
「気分はどうだ。痛むところはないか?」
「元気いっぱいよ。マダムのお薬ってすごいのね──あ、ネビルは?」
「あの大馬鹿者ならとうの昔に寮に戻っている」
「そっかぁ、ネビル落ち込んでなかった?私ここに来る時、無視してるみたいになっちゃったの」
「知らん」
そう答えたセブルスの声は顔を見なくてもわかるくらい不機嫌そうで、きっといつもより眉間の皺が倍増しているだろうと容易に想像できる。
「セブルス、ごめんね?大切な授業で問題起こして……」
「問題を起こしたのはロングボトムだろう」
「そうだけど…でも怪我人が増えたのは私のせいだわ」
視界を覆う乾燥した大きな手に自分の手を重ねると、ぴくりと指先が震えたのがわかった。レイラはそのまま手に力を込めて顔の上に置かれたセブルスの手を退ける。
想像通りの不機嫌な顔で見下ろすセブルスを見上げ、困ったように微笑んだ。
「今度からはもっと気をつけるから、そんなに怒らないで?」
「………」
返事はない。けれど重ねた手を握ると、優しい強さで握り返してくれる。それに頬をゆるませ、「そういえば」と今朝届いた郵便のことを思い出した。
「あの金平糖セブルスよね。ありがとう」
「ルシウスからお前の面倒を見るようにと言われている。組分けの結果に落ち込んでいるかと思ったのだが──どうやら杞憂だったようだな」
「最初はすっごく悲しかったけど、今はもう平気。皆優しいから」
「この皆≠フ中にはセブルスも入ってるのよ?」と笑うと嫌そうに顔をしかめられてしまった。
今朝届けられた金平糖。あれはまだレイラが幼い頃、家族で出掛けるというのにレイラだけ留守番を言い渡されて大泣きしていた時にセブルスがくれたものだ。
留守番をするレイラの相手をするようにと呼び出され、慣れない子供の相手、しかも不機嫌で泣き止まない子供だ。その面倒を見させられることになったセブルスが無言で差し出したパステルカラーの星屑が詰まった小瓶。
「これは悲しい気持ちがなくなる薬だ、食べなさい」
そんなぎこちない子供騙しの言葉にレイラは笑顔になり、それ以来落ち込んだ時にはその金平糖を食べるようになった。ただの金平糖だとわかっていても本当に元気が出るから不思議だ。
小瓶の中身が空になりそうになるとセブルスから新しい物が届くから、グリフィンドール寮の自室に食べかけの小瓶が残っている。それでも新しく届いたそれは「元気を出して」というメッセージだろうと解釈したのだが、本当にその通りだったみたいだ。
「遅くなったが、ホグワーツ入学おめでとう」
「ありがとう──あーあ、だけどやっぱりセブルスの寮に入りたかったなぁ」
「君が入る寮がグリフィンドールだろうがスリザリンだろうが、私には関係のないことだ。例え私の寮に入っていたとしても贔屓して採点を甘くするつもりはない」
「ふふ、セブらしいわ。……でも『スネイプ先生はグリフィンドールに特別厳しい』って聞いてるわよ?」
「はて、覚えがないな。落ちこぼれの戯言だろう」
そんな他愛ない会話にくすくす笑っていたレイラはふいにセブルスが動きを止めたことに気付いて首を傾げた。セブルスはそんな少女の右耳にそっと手を伸ばした。
レイラの右耳にはピアスが飾られている。蝶と花を象ったシンプルなデザインで気に入っているものだ。
「セブルス?」
まるで壊れやすい硝子に触れるような。そんな慎重な手つきで耳に、そしてピアスに触れた。セブルスは昔から時々何か言いたげな瞳でこのピアスを見ていることがあったが、こうして実際に触れたのは初めてかもしれない。
「……ルシウスから聞いているか?このピアスは外すなと」
「うん。ちっちゃい頃から何回も言われてるわ」
何故外してはいけないのか、その理由については教えてもらえないけれど。レイラの答えにほっとしたようにセブルスが息を吐く。
「それならいい」
セブルスはこのピアスについて何か知っているのかもしれない。けれどきっと尋ねても答えてはもらえないような気がして、レイラは口をつぐんだまま彼の黒い瞳を見つめた。
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