
06.ゴースト
そういえば突然呼び止めてしまったが、セドリックはどこかに向かう途中だったのかもしれない。
「セドリックは何してたの?邪魔しちゃった?」
「ううん、大丈夫だよ。図書館で課題に使う本を借りてきたんだ」
そう言ってセドリックは数冊の本を鞄から出した。『電化製品とは?─電気の謎─』『マグル界の通貨・使い方と歴史』等、どれもマグル学の本らしい。試しに『電化製品とは?』と書かれた表紙を捲り、レイラはその難解な文章に眉間に皺を寄せた。
マグル学というのはこんなに難しいことを学ばなくてはいけないのか。来年からの選択科目の一つで少し興味があったが、これはやめておいた方がいいかもしれない。
「今週末がホグズミード休暇なんだ。だから今のうちに終わらせておこうと思って」
「さすがセドリック。偉いね」
提出日ギリギリに慌てて課題に手をつけ始める友人の顔を思い浮かべる。レイラ自身も結構ギリギリまで放置するタイプだ。そんなレイラからすると、期限に余裕がある状態で課題を終わらせようとするセドリックは素直に凄いと思う。
セドリックは「そんなことないよ」とはにかんだ。彼はいつだってハッフルパフ生らしく真面目で勤勉、そして謙虚だ。
「またお土産買ってきてくれる?」
「もちろん。何がいい?」
「ハニーデュークスのお菓子!いつもセドリックが買ってきてくれるのは全部美味しいの」
「わかった」
ホグズミードは三年生から行くことが許可されるイギリスで唯一マグルがいない村だ。レイラはまだ行くことを許されていないが、セドリックは去年色々なものをお土産に買ってきてくれた。
「私も早く行ってみたいなぁ」
「あと一年の辛抱だね。──あのさ、来年レイラが行けるようになったら一緒に回らない?」
「セドリックと?」
「ほら…えっと、僕は何回も行ってるから、ホグズミードの店とか、色々案内できると思うんだ」
わたわたと言葉を並べるセドリックの耳が赤くなっているのに気付かず、レイラは「そうだなぁ」と考え込む。
ドラコとも行きたいし、ハーマイオニー達とも行きたい。けれどホグズミード休暇は年に三、四回くらいあるはずだ。ならセドリックと行くのも問題ないだろうと結論を出し、にっこりと頷いた。
「うん、わかった。一緒に行きましょう」
「ほ、本当に?」
「うん。ちゃんとエスコートしてね?」
「ああ、任せて」
セドリックは輝くような笑顔でレイラの手を取り、手の甲に口付けるふりをした。その仕草が様になりすぎて王子様みたいだと思い、レイラは思わず小さく笑った。
「ふふ、なんだか初めて会った時のこと思い出しちゃった」
「初めて会った時のこと?」
「そう。王子様みたいな人だなぁって思ったの。今も。セドリックって王子様みたい」
「そういえばそんなこと言ってたね」
セドリックも懐かしそうに目を細めて笑い返した。
グリフィンドール塔に戻ったレイラは、賑やかな談話室を通り過ぎて寝室へ向かった。セドリックとの立ち話で少し時間を潰したが、未だに耳からは薄い煙が立ち上っている。談話室にいてもからかわれそうだ。
『レイラ・マルフォイ』と一人分のプレートが掛かったドアの前で少し思案するように立ち止まる。今朝部屋にいたゴーストはまだ部屋の中にいるだろうか。いつもよりゆっくりドアを開け、隙間から室内を窺う。けれど部屋には誰もいない。
(やっぱり熱のせいで幻覚を見たのかな?)
念のためにベッドの下やクローゼットの中も確認してみたが、当然のように誰の姿も見つからない。見間違い? 幻覚? と引き出しを開けていたレイラは、突然背後から聞こえた声に驚いて飛び上がった。
「探し物かい?」
「……っ!!」
振り向くと、ベッドに腰掛けて優美に微笑む青年の姿があった。青年が座っているベッドは重みで沈むことなく整えられたままだ。
「…………あなたを探してたの」
「僕を?」
「聞きたいことがあって。『例のあの人』に会った時、私を助けてくれたのはあなた?」
聞きたいことは山ほどある。その中で一番知りたかったのはそのことだった。青年は「そうだよ」と目を細めて頷いた。それを聞いてレイラはほっと息を吐き、青年の傍に近付いた。
「助けてくれてありがとう。ずっとお礼を言いたかったの」
「お礼を言われるようなことはしていないよ。僕は君を守るために存在しているんだからね」
金色の瞳で見つめられながら甘い言葉を囁かれ、思わず胸がときめく。改めて見ても、やっぱり同じ人間とは思えないくらいに整った顔立ちだ。
「えっと……あなたはゴースト?」
「君はどう思う?」
「え?」
「君は僕がゴーストだと思う?」
問い返されてレイラは困り顔で唸った。
「うーん…ゴースト、かなぁ?透けてるし。でも私はゴーストが見えないの。だからやっぱり違うのかしら」
「はっきりしないなぁ」
「だってわからないんだもの」
頬を膨らませ、ベッドに座る青年を見下ろす。他のゴーストを見たことがないから、違いを見つけることもできない。
「君がゴーストだと思うなら、ゴーストでいいよ」
「なぁに、それ」
答えを誤魔化された気がして顔を顰めると、青年は足を組みかえながらレイラを見上げた。
「実のところ、僕も自分がゴーストなのか分からないんだ」
「そうなの?」
「自分が何者なのか、はっきりわかっている者の方が少ないんじゃないかな」
「そんなことないわ」
「じゃあ君は何者?」
「私? 私はレイラ・マルフォイ。グリフィンドールの二年生よ」
「本当に?」
レイラの答えを聞いた青年が目を伏せてくすりと笑う。長い睫毛が頬に影を落として、思わず見蕩れてしまいそうだ。
「本当に君は『レイラ・マルフォイ』?」
「……え?」
「君が『レイラ・マルフォイ』である証拠は? ゴーストではない、生きた人間だという証拠は? 本当はそう思い込んでいるだけじゃないの?」
「そ、んな……ことは…」
「ないって言い切れる? 本当に?」
青年の言葉に、自分の存在が揺らぐような感覚を覚える。自分が自分であると証明する方法が、すぐに思い付かない。レイラが不安そうに唇を噛み締めて言い淀むと、青年はぱっと表情を変えて微笑んだ。
「そんな不安そうな顔しないでよ。君は本当にからかいがいがあるね」
レイラはからかわれたのだと理解して目を吊り上げるが、青年はまるで気にした様子もなく続ける。
「つまり、僕がゴーストなのかどうかは僕自身にもわからないって言いたかったんだよ」
ゴーストの姿を見ることができないはずのレイラに見える、半透明の存在。彼はゴーストなのだろうか。もしかしたらゴーストにもいろんな種類があるのかもしれない。そういえば、ホグワーツにはゴーストの他にもポルターガイストというのもいるらしい。
それにたとえ彼がゴーストじゃなくても、こちらを害することがないのなら問題はない気がする。今のところレイラに被害を加える様子はないし、守ってくれた過去もある。
とりあえず騒ぎ立てるようなことではないだろうと判断して、レイラは目の前の青年をまっすぐ見つめ返した。
「それじゃあ、一応あなたはゴーストだと思っておく」
「うん、それでいいよ」
「ところでどうしてこの部屋にいるの?ゴーストさんはこの部屋に取り憑いてるの?」
寮付きのゴーストみたいなものだろうかと首を傾げると、青年は嫌そうに眉を顰めた。
「そのセンスの欠片もない呼び方はやめてくれないか」
「だって、じゃあなんて呼べばいいの?」
「リドル」
青年の薄い唇が告げた言葉の響きが、すうっと胸に染み込む。
「リドル?それがあなたのお名前?」
「そうだよ」
リドルはにっこりと笑って頷いた。その笑みは人を魅了するために作られたような、完璧なものだった。
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