
07.壁に書かれた文字
「なんだ、なんだ? 何事だ?──私の猫!ミセス・ノリスが!」
人混みをかき分けて現れたフィルチは吊るされた猫を見た途端、手で顔を覆って悲痛な叫び声を上げた。
「お前だな!お前だ!お前が私の猫を殺したんだ!」
「ち、違います!僕はそんなこと…!」
「それともお前か!そうだ、お前がやったんだ!あの子を殺したのはお前だ!俺がお前を殺してやる!」
ハリーに掴みかかったフィルチは今度はレイラへとターゲットを変えた。大声で捲し立て、半狂乱で髪を振り乱しているフィルチは正常な判断が出来るような状態ではないのかもしれない。とにかく目に付いた者に怒りをぶつけているように見える。
「アーガス!」
ダンブルドアを先頭に、数人の先生達が到着した。猫を下ろしたダンブルドアはフィルチと四人の名を呼び、着いてくるようにと言った。押し黙ったまま好奇の視線を向けてくる人垣を抜け、ここから一番近いらしいロックハートの部屋へと向かう。
ロックハートの部屋へ入るとダンブルドアは猫を机に置き、指でつついたりじっくりと観察し始める。レイラはぐらぐら揺れる視界に耐えられず、部屋の隅に置かれた椅子にぐったりと座り込んだ。熱がぶり返してきたのかもしれない。
「ミス・マルフォイ、これを羽織っていたまえ」
「セブ……うん、ありがとうございます」
レイラの様子に気付いたセブルスが杖を一振りして取り出した黒いショールを押し付けた。レイラは笑ってお礼を言ったが、ハリー達三人が嫌そうに顔を顰めたのが見えた。スリザリン以外、特にグリフィンドール生にきつく当たるセブルスはあまり生徒から好かれていない。三人はレイラとセブルスが入学前からの付き合いだと知っていても、二人が親しげにしているのを見るのはいい気がしないのだろう。
部屋にはロックハートの話し声とフィルチのしゃくり上げる声だけが響く。ダンブルドアとマクゴナガルは無言のまま猫を調べているし、セブルスはレイラの背後でじっと黙り込んでいる。
気まずい空間の中でようやくダンブルドアが顔を上げ、フィルチに向かって優しく微笑んだ。
「アーガス、君の猫は死んでおらんよ」
「死んでない?それじゃ、どうしてこんなに……固まって、冷たくなって?」
「石になっただけじゃ」
「石に…?」
ロックハートが何かしら言っている言葉を無視してダンブルドアは「そうじゃ」と頷いた。
「ただし、どうしてそうなったのかはわしには答えられん」
「あいつに聞いてくれ!あいつが!あいつがやったんだ!」
フィルチの涙で汚れた顔はハリーを射抜くように睨み付けている。
「あいつが壁に書いた文字を読んだでしょう!あいつは見たんだ。私の事務所で……あいつは知っているんだ。私が、私が……出来損ないの『スクイブ』だって知ってるんだ!」
フィルチが苦々しげに吐き出した言葉にレイラは僅かに目を見開いた。フィルチがスクイブ──魔法使いの家に生まれたのに魔力を持たない人だとは知らなかった。けれどハリーがそれを知っていることと猫が石にされたことと、なんの関係があるのだろう。
「僕、ミセス・ノリスに指一本触れていません!それに、僕はスクイブが何なのかも知りません!」
ハリーが大声で主張した。『穢れた血』のことも知らなかったくらいだ。マグルの世界で生きていた彼はスクイブが何なのか知らないのだろう。
「馬鹿な!あいつは私の部屋でクイックスペルからきた手紙を見やがった!──それか、あいつだ!あの女がやったんだ!」
フィルチのターゲットがレイラに移った。レイラはギラギラ光る目で睨まれ、怯えるようにショールをきつく巻き付けた。
「違います…私じゃありません」
「嘘をつくな!どうせまたいつもみたいに、ほんの悪戯のつもりだったとでも言うんだろう!」
レイラは困惑してハリー達と顔を見交わした。入学してからレイラがフィルチと直接言葉を交わしたのは一度だけだ。入学直後、廊下で見つけたミセス・ノリスを撫で回していたら「私の猫に何をするつもりだ!」と物凄い剣幕で追い回された一件以来、フィルチには近付かないようにしている。
それにレイラは双子とリーの悪戯のターゲットになることはあっても、自分から積極的に悪戯を仕掛けたことはない。こんな風に難癖をつけられる意味がわからない。
「アーガス、二年生にできるものではない。最も高度な闇の魔術をもってして始めて……」
「あいつだ!あの女だ!きっと──」
「校長、一言よろしいですかな」
フィルチの言葉を遮るようにレイラの背後にいたセブルスが進み出た。
「ミス・マルフォイは本日体調不良で医務室に入院していたはずです。高度な魔術を使うような体力などないでしょう」
「本当かね?」
「はい…朝から熱が出ていて…」
「医務室にいるはずの貴方がどうしてあの廊下にいたのです?」
硬い表情のマクゴナガルに問われ、レイラは困り顔でハーマイオニーに目を向けた。医務室は二階、あの廊下は三階だ。ハーマイオニーとロンには聞こえなかったというあの物騒な声について話しても大丈夫だろうか。レイラの考えを読み取ったらしいハーマイオニーが小さく首を振る。
「……えっと…お手洗に行きたくて、それで」
「わざわざ三階に?」
「今朝ピーブズが悪戯をして、二階のトイレは使えないんです」
怪しむように眉を上げたマクゴナガルだったが、ハーマイオニーの言葉に納得したように頷いた。
「そういえば昼頃に生徒から修理の要望がきていましたね。それにしても一階ではなく、三階へ?」
三階の女子トイレには『嘆きのマートル』という女生徒のゴーストが取り憑いてる。彼女は生徒を見るとヒステリックに泣き叫んだり水を浴びせてくるので、生徒達は極力そのトイレには近付かないようにしている。レイラも姿こそ見えないが彼女の泣き叫ぶ声は聞こえるし、水を被った事もあるため普段は使わない。あきらかに不自然だ。
「えっと……お薬を飲んだばかりでぼーっとしてて…寝ぼけてたのかも、しれません」
「……そうですか」
苦しい言い訳だ。それでもマクゴナガルは頷いてくれた。一応だがレイラへの疑いが晴れると、今度はハリー達の番だった。何故ハロウィンパーティーにいなかったのかという質問に、ハリー達は口々に絶命日パーティーの説明をした。
「絶命日パーティーにはゴーストが何百人もいましたから、私達がそこにいたと証言してくれると思います」
「それでは、その後パーティーに来なかったのは何故だ?何故、あの廊下に行ったのかね?」
「それは……つまり……僕達疲れたので、ベッドに行きたかったものですから」
ハリーもレイラと同じように、今あの声について話すのは得策ではないと考えたのだろう。セブルスは意地悪く笑ってハリーを見下ろした。
「夕食も食べずにか?ゴーストのパーティーで生きた人間にふさわしい食べ物が出るとは思えんがね」
「僕達、お腹空いていませんでした!」
ロンの胃袋が空気を読まずに大きく鳴った。勝ち誇ったような笑みを浮かべたセブルスが疑わしいハリーから一部の権利、クィディッチチームから外すのはどうかという提案をしたが、それは厳しい顔のマクゴナガルに反対された。
「疑わしきは罰せずじゃよ、セブルス」
セブルスは納得いかないというような顔をしたが、ダンブルドアがちらりとレイラを見ると不満そうに口を閉じた。ハリーを疑わしいというならレイラも同じだ。
この間授業で使ったマンドレイクが十分に成長すれば、石にされた猫を蘇生させる薬を作れるらしい。それを聞いてレイラは安心して息を吐いた。
「帰ってよろしい──レイラは医務室にお戻り。セブルス、薬の確認もあるじゃろう、レイラを医務室まで送ってやりなさい」
ハリーにあの声のことを聞きたかったが、セブルスの前でするのはやめた方がいいはずだ。三人は気遣わしげにレイラを見ていたが、結局何も話すことなくそのまま階段で別れた。
「ねえセブルス、秘密の部屋ってなぁに?」
「……君が知る必要はない」
医務室への道を並んで歩きながらレイラは気になっていたことを聞いた。けれど案の定、返ってきたのは冷たい返事だった。レイラは頬を膨らませて「ケチ」とセブルスを見上げた。
「そんな事より、何故君が今夜出歩いていたのかについて納得のいく説明をして貰えるのでしょうな?」
「うっ…それは……さっき説明したでしょ?」
「あれを信じると思うか?」
どうしよう。セブルスには素直に話した方がいいだろうか。でもまだよく分からないことばかりだ。もしあれがレイラとハリーにしか聞こえないというなら、そんな話をすれば二人とも気がふれたと思われてしまうかもしれない。本当のことを打ち明けるのは、ハリー達とあの声の話をしてからでも遅くないはずだ。
「だって本当なのよ。信じてくれないの?」
セブルスは探るようにじっとレイラの瞳を見つめ、やがて諦めたように溜息をついて医務室のドアを開けた。
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