
07.壁に書かれた文字
しばらく進むとようやく混雑が落ち着いてスムーズに階段を上れるようになった。
「君たちは秘密の部屋があるって、本当にそう思う?」
「わからない、けど……ダンブルドアがミセス・ノリスを治してやれなかったということは、猫を襲ったのはもしかしたら、うーん……人間じゃないのかもしれない」
「秘密の部屋の怪物がミセス・ノリスを石にしたってこと?」
ハーマイオニーが眉間に皺を寄せたまま頷いた時、四人が辿り着いたのはあの事件があった廊下の端だった。壁の文字はフィルチが躍起になって擦っても消えず、未だに不気味なほどはっきりと記されている。廊下には誰の姿もない。四人は顔を見合わせた。
「ちょっと調べたって悪くないはずだ」
そう言ってハリーが鞄を放り出して廊下に四つん這いになったので、レイラはその鞄を拾い上げて立ったまま廊下を見回した。窓の辺りに何かが蠢いている気がして近付くと、大量の蜘蛛が列になってガラスの割れ目から外へ出ていくようだった。蜘蛛は苦手ではないが、集団でゾロゾロ動く姿は気味が悪い。
「焼け焦げだ!あっちにも、こっちにも──」
「ねえ、これなんだろう…」
「変だわ。蜘蛛ってこんな風に行動するものなのかしら?」
ハリーが見つけたという廊下の至る所にある焼け焦げを見た後、三人は異様な行動をとる蜘蛛に近付いた。誰もこんな動きをする蜘蛛は見た事がない。ふとロンの姿が見当たらないことに気付いたハリーが振り返ると、ロンは青い顔で三人から遠く離れた所に立っていた。
「ロン? どうしたの?」
「僕、蜘蛛……好きじゃない…」
「まあ、知らなかったわ。蜘蛛なんて魔法薬で何回も使ったじゃない」
「死んだやつなら平気なんだ。あいつらの動き方が嫌なんだよ…」
「近くで見ると意外と可愛いよ?」
去年のホグワーツ特急で双子に触らせてもらったタランチュラを思い浮かべながら言うと、ロンは「正気かよ!?」と掠れた悲鳴を上げた。どうやら過去に双子の悪戯でトラウマを植え付けられたらしい。ロンの顔色がどんどん悪くなっていくのに気付いたハリーが話題を変えようと床を指さした。
「ねえ、床の水溜まりのこと覚えてる?あれどこからきた水だろう」
「たしかこの辺りにあったよな?このドアの所だ」
ドアを開けようとしたロンはそこが女子トイレだと気付くと慌てて手を引っ込めた。
「ここは入れない。女子トイレだ」
「多分誰もいないと思うよ」
「何でそんな事がわかるんだよ?」
「だってそこ、嘆きのマートルのトイレだもん」
レイラが答えるとロンとハリーは「あぁ…」と納得した声をあげた。彼らは既に絶命日パーティーで嘆きのマートルと対面しているらしい。
「いらっしゃい。覗いてみましょう」
「は、入るの!?」
ハーマイオニーが事も無げに言ってドアを開けようとしたので、レイラは慌ててそれを止めた。水浸しになりたくない。
「だって現場の目の前にあるのよ?もしかしたら彼女、何か知っているかもしれないじゃない」
「そうだけど…」
今度はレイラが止める間もなくドアは開かれてしまった。以前何も知らずに入ってしまった時と変わらず、中は陰気で汚かった。ひび割れた鏡はそのまま、ペンキの剥げ落ちた個室のドアもそのまま、所々タイルの剥がれた床は湿っている。
レイラはもしもの時の被害を最小限に抑えようと、ハリーの背中に張り付いたまま三人の後に続いた。本当は背の高いロンの方が盾には最適なのだが、怪訝そうに振り払われてしまったのだ。ハリーは困惑しながらも振り払うことはしなかった。
「こんにちは、マートル。お元気?」
ハーマイオニーは一番奥の個室に向かって声をかけた。どうやらマートルはそこにいるらしい。
「ここは女子のトイレよ。この人達、女じゃないわ」
「ええ、そうね。私、この人達にちょっと見せたかったの。つまり、えぇっと……ここが素敵な所だってね」
このトイレを素敵な所だと紹介しようだなんて、余程の美的センスの持ち主しか思わないだろう。レイラは早くここから出たくてハリーに小声で耳打ちした。
「変なお喋りはいいから、早く本題に入るように言って」
「え?」
「マートルに、あの日何か見なかったか聞いてみて」
「何をこそこそしてるの?」
マートルがハリーをじっと見た。マートルからはハリーが誰もいない背中に向かって独り言を言っているように見えたのだろう。
「なんでもないよ。僕達聞きたいことが……」
「皆、私の陰口言うのをやめてほしいの。私、たしかに死んでるけど、感情はちゃんとあるのよ」
「陰口なんて言ってないわ!」
涙声になっていくマートルに慌てて否定すると、マートルは訝るようにハリーの後ろを見つめた。レイラもマートルもお互いの姿は見えないが、声は聞こえる。
「もしかしてまたあんたなの!?なんなのよ!姿も見せないで!私のことからかってるんでしょう!」
「好きで見えないわけじゃないもん」
ヒステリックに叫ぶマートルに唇を尖らせるが、彼女は聞く耳を持たない。マートルが泣き喚きながら便器の中へダイブする前にとハーマイオニーが慌てて口を挟んだ。
「あなたが近頃何かおかしなものを見なかったか、それを聞きたかっただけなの。ハロウィンの日にあなたの玄関のドアの外で猫が襲われたものだから」
「あの夜、この辺りで誰か見かけなかった?」
「そんな事気にしていられなかったわ。ピーブズがあんまりひどいものだから、私ここに入り込んで自殺しようとしたの」
既に死んでいるゴーストでも自殺しようと考えるものなのか。嘆きのマートルはホグワーツの制服を着ていると聞いているし、もしかしたら彼女はこのトイレで自殺したホグワーツの生徒なのかもしれない。
「そしたら当たり前なんだけど、急に思い出したの。私って……私って……」
「もう死んでた」
言葉を詰まらせたマートルにロンが助け舟を出すと、マートルは泣き叫びながら盛大な水しぶきを浴びせるように便器の中に飛び込んだ。ハリーは自分の後ろに隠れていたおかげでほとんど被害にあっていないレイラをじとりと睨む。
「……レイラ」
「えへへ、ハリーのおかげで助かったわ。ありがとう」
「君って本当に……」
怒らずに呆れたように笑ってくれるハリーはやっぱり優しい。四人はマートルのゴボゴボというすすり泣きを背にトイレから出た。直後聞こえた大きな怒鳴り声に全員その場で飛び上がった。階段の上に恐ろしい顔のパーシー・ウィーズリーが立っている。
「ロン!!そこは女子トイレだ!君たち男子が一体何を?」
「ちょっと探してただけだよ。ほら、手掛かりをね」
ロンがなんでもないというように答えると、パーシーは怒りに眉を吊り上げながら大股で近付いてきた。
「人が見たらどう思うかわからないのか?皆が夕食のテーブルに着いているのにまたここに戻ってくるなんて…」
「なんで僕達がここにいちゃいけないんだよ。いいかい、僕達はあの猫に指一本触れてないんだぞ!」
レイラは困り顔でパーシーとロンの兄弟喧嘩を見つめた。パーシーはジニーを心配しているようだし、ロンはそれは建前で、本当は弟が不祥事をやらかして自分の将来を脅かさないか心配してるだけだと反論した。
「グリフィンドール五点減点!」
パーシーが監督生バッジを指で叩きながら言った。いくら何でもやり過ぎじゃないかと思ったが、何も言うことができずにレイラ達は大股で去っていくパーシーの背中を見送った。
その日の夜、睡魔に負けたレイラが早々に寝室へと引っ込んだのを見届けてから、ハリー達三人は今回の事件の犯人について話し合っていた。マグル生まれやスクイブを屑だと思い、ホグワーツから追い出したがっている者──ハリーとロンの脳裏に浮かんだのは、ドラコ・マルフォイだった。
「あいつの家系は全部……レイラ以外はスリザリン出身だ。レイラもそう言ってるだろ?」
「もしかしてマルフォイがスリザリンの継承者だって言いたいの?」
ハーマイオニーは眉を顰めた。
「なにもおかしい話じゃない。夏休みにあいつの父親を見ただろ? どこからどう見たって悪人だ」
「親から子に、何世紀も『秘密の部屋』の鍵を伝えていたのかもしれない。きっと父親のルシウス・マルフォイが息子に渡したんだ」
「レイラはこの件について何も知らされていないってことね?」
確認するようなハーマイオニーの問いにハリーは「勿論だよ」と頷いた。一年間一緒に過ごして、それなりにレイラの性格や考え方は知っているつもりだ。彼女はドラコのように純血主義でもなければ、マグル生まれの者を『穢れた血』と罵る事もしない。多少自分の家族に対して夢見がちというか、好意的に見すぎているところはあるが。
「多分ルシウス・マルフォイはレイラにそういう……悪事に関わるような話を聞かせないようにしてるんじゃないかな」
「そうね。あの子へのマルフォイの態度を見てれば、家でもどういう扱いをされているのか想像がつくわ」
「レイラが僕達の考えに同意してくれたらなぁ。マルフォイから色々聞き出せるのに」
「部屋を開けたのがマルフォイだって?あの子がそれを信じると思う?」
ハーマイオニーの言葉にハリーとロンは無言で首を振った。レイラは自分の周りにいる人間は少し口が悪いところはあっても悪人ではないと信じ込んでいる。ドラコやスリザリン生のような、ハリー達からしたらあからさまな悪人であってもだ。それは彼らがレイラにそういう面を見せないように振舞っている事が大きいのだろう。
三人がマルフォイを犯人だと思っているなんて知ったら、当分口をきいてくれなくなりそうだ。
「レイラ伝いで情報を得られないとなると……ううん、難しいなぁ」
「方法がないことはないわ」
ハーマイオニーの提案はポリジュース薬を使ってスリザリンの談話室に侵入し、ドラコから話を聞き出すというものだった。ポリジュース薬は二年生が作るには難しいものだが、幸いなことにハーマイオニーは学年一の秀才だ。難しくても不可能ではない。
問題は入手困難な材料をどうやって手に入れるか、そして調合法が書かれた『最も強力な魔法薬』という本をどうやって借りるかだ。図書館の禁書の棚にある本を持ち出すには先生のサイン入りの許可証が必要になる。
先生から許可証を貰い、材料を入手し、ポリジュース薬を完成させる。レイラとの友情に亀裂を入れないためには、その行動を彼女に気付かれないように行わなければならない。
三人は覚悟を決め、互いの顔を見交わして強く頷き合った。
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