
13.五十年前
最初は鏡を見ていると錯覚したくらいだったが、よく見るとその少女は微妙にレイラと違うところがあるのに気付いた。レイラの髪は肩より少し長いくらいだが、目の前の少女の髪は腰に届くほどの長さだ。顔立ちはほとんど変わらないが、少女の背はレイラより高い。レイラがあと二、三年成長した姿だと言われれば納得してしまいそうだ。
「危険な城に僕だけを滞在させるわけにはいかないらしい。事件が終わらないと、学校の閉鎖も有り得るそうだよ」
「まあ大変」
少女はまったくそうは思っていなさそうな様子で笑い、リドルの顔を下から覗き込んだ。
「それで? あなたはどうするのかしら」
「……今考えてる。少し黙っていてくれないか」
「はーい」
深刻な顔のリドルとは正反対の楽しそうな笑みを浮かべる少女の姿に、レイラは困惑して隣のハリーへ視線を向けた。
「ねぇ、この人……私にそっくりに見えるのは、私の勘違いかな?」
「ううん、僕もレイラそっくりに見える」
ハリーも困惑したように眉を寄せ、レイラと少女の姿を見比べている。
「レイラのお祖母さんかな?」
「違うわ。お祖母様達が学生の時のお写真を見せてもらったことがあるけど、私とは似ていなかったもの」
ルシウスの母親、ナルシッサの母親。どちらも美しい女性だったが、レイラとはまったく似ていない。なら、この少女は誰なんだろう。二人は困惑した表情のままリドルと少女を見つめた。
しばらくの間リドルは黙って考え込んでいたが、突然何事かを決心したような瞳で顔を上げた。
「どうするか決めたの?」
「あぁ、事件を終わらせる」
強い意志を感じさせる言葉に、レイラとハリーは再び目を合わせた。きっと今からリドルは継承者を捕まえに行くのだ。
「君は先に寮に戻っていろ」
「いやよ。私も行く」
リドルはぐっと眉間に皺を寄せたが、結局何も言わずに歩き出した。少女はその隣を歩く。レイラとハリーも見失わないように二人の後についていった。
しばらくは誰ともすれ違わずに歩いていたが、玄関ホールに着いた時、階段の上から二人を呼び止める声がかかった。見上げた先に立っていたのは、長い鳶色の髪と髭を蓄えた背の高い魔法使い。きっと今より五十歳若いダンブルドアだ。
「トム、レイラ。こんな遅くに歩き回って、何をしているのかな?」
レイラの心臓が、大きく飛び跳ねた。
彼は今、この少女をなんと呼んだ?
「はい、先生。校長先生に呼ばれましたので」
「私は付き添い。最近は一人で歩き回るのはよくないみたいだから」
少女の顔からは先程までの楽しそうな笑みは綺麗さっぱり消え、ゾッとするような無表情で淡々と答える。そんな少女にダンブルドアはなんとも言えない表情で「そうか」と頷いた。
「それがいい。さあ、早くベッドに戻りなさい」
疲れたような溜息をつき、ダンブルドアは去っていった。リドルは姿が見えなくなるまでその後ろ姿を見ていたが、少女は無表情のままじっと正面を見つめている。
「……ハリー、」
さっき自分が聞いたのは聞き間違いだろうか。ハリーにも聞いてみようと口を開いたが、リドルが急ぎ足で石段を下り始めたので聞くことはできなかった。
継承者を捕まえに行くか『部屋』に続く隠れた通路やトンネルに進むのかと思ったが、リドルと少女が入ったのは魔法薬学で使っている教室だった。松明が点いていない教室は暗く、リドルがドアを閉めるとほとんど何も見えなくなってしまった。少女が歌うように何か呟くと、ふんわりと灯りが浮かび上がる。
「レイラ」
「だって暗いのは嫌いなのよ」
「一応僕は隠れているつもりなんだけど?」
「じゃあドアの隙間を塞げばいいわ」
ダンブルドアの前にいた時の無表情が嘘のようだ。少女は拗ねたように頬を膨らませたかと思えば次の瞬間にはくすりと笑い、教室の一番後ろの席に腰を下ろした。リドルが杖を一振りすると僅かに廊下から射し込んでいた光が消えた。きっと少女の言った通りに隙間を塞いだのだろう。
それからしばらくの間、誰も口を開かなかった。リドルはドアの陰に立って外の廊下へと意識を集中しているし、少女は机に肘をついてぼんやりしている。ハリーはこの少女についてレイラに尋ねようと思ったが、レイラが顔を顰めて考え込んでいるのを見て声をかけるのをやめ、リドルと同じように外の廊下へ意識を向けることにした。
レイラは唇を噛み締めて石畳の床を見つめていた。心臓が変な音を立てている気がする。ダンブルドアだけじゃない、リドルも少女のことを「レイラ」と呼んだ。聞き間違いなんかじゃない。五十年前のホグワーツに存在している自分と同じ名前の、自分そっくりの少女。訳が分からない不気味さに、レイラは顔を顰めたまま少女を見つめた。
子供に両親や祖父母、親しい友人の名前を付けることは多いから、自分と同じ名前なことはそこまで不思議なことではない。この少女は祖父母の友人だろうか。でもそれだとここまで自分にそっくりな理由がわからない。祖母ではない。それは確かだ。両祖母はレイラとは髪色が違うし、顔も似ていない。そもそも名前が違う。血が繋がっていない赤の他人でもこんなに瓜二つになるものなのだろうか。
いくら考えても答えが出ない疑問に頭が痛くなり始めた時、ハリーがハッと息を呑む音が聞こえた。ドアの向こうから何かが聞こえる。誰かが廊下を歩き、この教室の前を通り過ぎて行ったのがわかった。リドルが音も立てずにドアを開け、少女を振り返ると、少女はふわふわさせていた灯りを消して立ち上がり、リドルと並んで廊下を通り過ぎた誰かの跡を付け始めた。
それから五分程歩いた時、リドルが足を止めた。ドアが開く音に続き、誰かの話し声が聞こえてくる。
「おいで、ほら……お前さんをこっから出さなきゃならんくなった。さあ、こっちへ……この箱の中に…」
どこかで聞いた事がある声だ。どこで聞いたのか思い出そうとしていると、突然リドルが物陰から飛び出した。レイラとハリーも慌てて後に続いたが、少女はつまらなそうな表情で物陰の壁に凭れて動かない。
「こんばんは、ルビウス」
鋭く放たれたリドルの言葉を聞き、レイラは驚いて少女から目を離し、リドルの前に立つ人物を見上げた。薄暗い場所にいるせいで顔は見えないが、規格外の大きさの少年だ。
「トム、こんなところでお前さん、何してる?」
今より五十歳若い、まだホグワーツに通う学生だった頃のハグリッドだ。レイラは信じられない思いでハグリッドを見つめた。
「ルビウス、僕は君を突き出すつもりだ。襲撃事件が終わらなければ、学校が閉鎖される話まで出ているんだ」
「なんが言いてぇのか…」
「君が誰かを殺そうとしたとは思わない。だけど怪物はペットとしてふさわしくない。君は少し散歩でもさせてあげるつもりで放したんだろうが……」
「こいつは誰も殺してねぇ!!」
ハグリッドは叫びながら閉まっているドアの方へ後ずさりした。ドアの向こうからはガサゴソカチカチという奇妙な音がしている。そこに怪物がいるのだと気付き、背筋がゾッとした。
「明日、死んだ女子生徒のご両親が学校に来る。彼女を生き返らせることはできないが、娘さんを殺したやつを始末することはできる」
「こいつがやったんじゃねぇ!こいつにできるはずねぇ!」
喚くハグリッドへ冷たい視線を向け、リドルは杖を取り出して一振りした。ハグリッドの背後のドアが勢いよく開き、何かが飛び出してきた。その姿を見た瞬間、レイラとハリーの悲鳴が重なった。
毛むくじゃらの巨大な胴体、絡み合った黒い複数の肢、ギラギラ光るいくつもの眼、剃刀のような鋭い鋏──暗がりに浮かぶ恐ろしい姿がこちらへ向かってくるのが分かり、レイラはまた悲鳴を上げてハリーの腕にしがみついた。
リドルが杖を振り上げるよりも早くその生き物がリドルにぶつかり、リドルは廊下に転がされた。毛むくじゃらの生き物はその隙をついて大急ぎで廊下を逃げていく。それでも諦めずにリドルが素早く起き上がって杖を振り上げた瞬間、ハグリッドが「やめろおぉ!!」と叫びながらリドルに飛びかかり、杖をひったくった。
その時だった。レイラがしがみついていたはずのハリーの腕が消えた。腕だけでなく、ハリーの姿はどこにもない。
「……ハリー? ハリー?」
途端に心細くなり、レイラは必死に薄暗い周囲に目を凝らした。しかしハリーらしき人影は見当たらない。もしかして自分だけ帰ることができなくて、置いていかれた?
顔を青ざめさせるレイラの目の前で眩い光が走った。
「……っ!!」
リドルを投げ飛ばそうとしていたはずのハグリッドは勢いよく壁に打ち付けられ、ぐったりしている。
「リドルに手を出したら許さない」
気絶したハグリッドを見下ろし、杖を構えた少女は無表情で言い放った。リドルは乱れたローブを叩きながら立ち上がり、少女を見て顔を顰める。
「君が手を出さなくても僕一人で十分だった」
「知ってるわ」
少女は金色の瞳を細め、うっそりと笑った。
「怪物には逃げられちゃったけど、優秀な生徒のお手柄によって『部屋』を開けた犯人は無事に捕まり、それ以降ホグワーツで襲撃事件が起こることはありませんでした。めでたしめでたし。これでハッピーエンドかしら?」
「そんなわけないだろう──でもまあ、これでひとまずは終わりかな」
「それじゃあさよならを言いに行かなくちゃ。この前、………」
二人の会話は続いている。ちゃんと最後まで聞きたいと思うのに、視界がぐらりと反転してレイラは真っ暗闇に落ちていった。ぐるぐる回る視界が気持ち悪くてぎゅうっと目を瞑ると、すぐ耳元で「レイラ!レイラ!」と呼ぶハリーの声が聞こえた。ハッとして目を開けると、心配そうな顔をしたハリーがレイラを揺さぶっていた。
「レイラ…!よかった! 目が覚めたのにレイラはぐったりしたまま動かないから、戻ってこれないのかと思った…… !!」
「……ハリー…」
綺麗なエメラルドグリーンの瞳を見つめ、ちゃんと戻ってこれたのだという安心感で涙が滲んだ。レイラは感極まったようにハリーに抱き着き、その体温にさらにほっとする。
「よかったぁ…!突然ハリーがいなくなっちゃうから、置いていかれたのかと思ったのよ」
「戻ってくるのに時差とかがあったのかな? とにかく、レイラがちゃんと戻ってこれてよかったよ」
ハリーもホッと息を吐き、自分に抱き着きながらぐすぐすと泣くレイラの背中を叩いて微笑んだ。
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