
15.time is up
今まさに試合が始まるというタイミングで試合の中止を告げたマクゴナガルに連れられ、ハリーとロンがやってきたのは医務室だった。医務室の扉の前で立ち止まり、ハリーは嫌な予感に震えながらロンと顔を見合わせた。きっと自分の顔もロンと同じように真っ青になっているのだろう。そんなことを考えながら足を踏み入れた医務室のベッドに横たわっていたのは、目を見開いたまま固まった友人の姿だった。
「ハーマイオニー…!!」
ロンが苦しげに呻く声が医務室に響いた。石になったように身動きひとつしないハーマイオニー、その隣のベッドには同じように固まった巻き毛の上級生が横たわっている。
「二人は図書館の近くで発見されました。ポッター、ウィーズリー、これが何だか分かりますか? 二人のそばに落ちていたのですが…」
そう言ってマクゴナガルが手にしたのは小さな丸い手鏡だった。ハーマイオニーが今年のクリスマスにこれと色違いの物をレイラにプレゼントしたらしく、「お揃いなのよ」と幸せそうに笑い合う二人の姿を覚えている。……そうだ、レイラはどこにいるんだろう。ハリーはハッとして顔を上げた。
「マクゴナガル先生、レイラは……!」
「彼女はスネイプ先生の所にいます」
マクゴナガルは安心させるつもりで言ったのかもしれないが、ハリーとロンの眉間には濃い皺が刻まれた。教師と一緒にいるならレイラは安全だ。だがそれがセブルス・スネイプというのが気に食わない。ハリーは複雑な気持ちで頷いた。
「ミス・マルフォイは酷くショックを受けています。落ち着くまで少しの間そっとしておいてあげましょう」
マクゴナガルは普段からは考えられないくらい優しい声で告げ、物憂げに目を伏せた。
「さあ、あなた達は寮へ戻りなさい。グリフィンドール塔まで送っていきましょう」
「──…今度のことは全部スリザリンに関係してるって、誰にだって分かりそうなもんじゃないか?」
談話室にはリーの大演説が響く。ハリーは力強く話すリーの姿をぼんやりと眺め、先程マクゴナガルがグリフィンドール生に向かって告げた言葉を思い出していた。
夕方六時以降に談話室から出ることは禁止、授業への移動は先生の引率がつくこと、夕方以降の一切のクラブ活動の禁止、そして……
「……これまでの襲撃事件の犯人が捕まらないかぎり、学校が閉鎖される可能性もあります。犯人について何か心当たりのある生徒は申し出るよう強く望みます」
犯人が捕まらず、学校が閉鎖されたら……自分は再びダーズリー一家と暮らすことになる。ホグワーツでの生活を知ってしまった今、再びあの地獄のような生活に戻ることは何よりも恐ろしいことに思える。きっとハグリッドのことを密告したトム・リドルもこんな気持ちだったに違いない。
「どうしたらいいんだろう? 」
スリザリン生を追い出すべきだと熱っぽく話す周囲の生徒達に聞こえないように、ロンがハリーの耳元で囁いた。
「ハグリッドが疑われると思う?」
「今回の事件の犯人がハグリッドだとは思わない。でも前に怪物を解き放したなら、どうやって『秘密の部屋』に入るのか知ってるはずだ。ハグリッドに会って話さなくちゃ」
「だけどマクゴナガルが授業以外で寮から出るなって……」
「今こそ、父さんのあのマントを使う時だ」
二人は遅い時間まで談話室で待ったが、レイラが戻ってくることはなかった。マクゴナガルはセブルスの所にいると言っていたが本当に大丈夫なんだろうか。もしかしたら実はレイラも石にされていて、今は医務室のベッドに横たわっているんじゃ……少しでも気を抜くと悪い想像ばかりが浮かんでくる。大丈夫。マクゴナガルが嘘をつくわけがない。レイラは無事だ。同室のネビル達の討論の声が静かになり、完全に寝息しか聞こえなくなったのを確認してからハリーは静かに起き上がった。
ハリーが父親から受け継いだ透明マント。ハリーとロンはそれを被り、校内を警備する先生や監督生、ゴースト達に見つからないようにハグリッドの小屋を目指した。小屋に到着し、透明マントを脱いで戸を叩いた二人を出迎えたのは石弓を構えたハグリッドだった。
「二人ともこんなとこで何しとる?」
「ハグリッド、それ、なんの為なの?」
「いや、これは……なんでもねぇ、なんでも…」
ハグリッドはもごもごと口ごもりながら二人を招き入れ、お茶を用意してくれようとした。けれどハグリッドはどこか上の空で落ち着かない。ヤカンの水を零したりポットを粉々に割ったりと散々な有様だ。そんなハグリッドを心配してハリーが声をかけた時、大きなノックの音が響いた。ハリーとロンは慌てて透明マントを被って息を潜めた。二人の姿が完全に見えなくなったのを確認してハグリッドは石弓を掴んで勢い良くドアを開けた。
「こんばんは、ハグリッド」
訪問者はダンブルドアともう一人、背の低い恰幅のいい男性だった。
「あれ、パパのボスだ! コーネリウス・ファッジ、魔法大臣だよ!」
興奮したように小声で囁くロンを肘で小突いて黙らせ、ハリーはファッジを見て眉をひそめた。魔法大臣がどうしてこんなところに?
ハリーのその疑問に対する答えはすぐに分かった。事件に対して魔法省が何か手を打ったという印象を与える為だけにハグリッドを連行するのだと言う。ハグリッドが犯人だという証拠は何もなく、前科があるというただそれだけの理由で。
ダンブルドアが「ハグリッドを連れていったところで、事件解決には何の役にもたたんじゃろう」と言った言葉にハリーは心の中で強く頷いた。
「私の身にもなってくれ。プレッシャーをかけられている。私にも立場というものがあるんだ。ハグリッドを連行せねば──」
「俺を連行? どこへ……まさかアズカバンじゃ?」
ハグリッドの震える声にファッジが答える前に、再びノックの音が響いた。ダンブルドアがドアを開けると、そこにいたのはルシウス・マルフォイと背の高い黒髪の女性、そしてルシウス・マルフォイの腕にぴっとりとくっ付くレイラだった。
ルシウスは黒い旅行マントに身を包み、冷たい微笑みを浮かべながら大股で小屋に入ってきた。いつものようにレイラにじゃれつこうとしたファングは彼女の隣に立つルシウスを見上げ、その場で低い唸り声を上げる。
「もう来ていたのか、ファッジ。よろしい、よろしい…」
「おお、ルシウス──それにミス・リッジウェルまで。丁度良かった、貴女には先日の援助のお礼に、」
「お久しぶりですわ、大臣。そのお話はまた今度改めて」
にっこりと微笑まれ、ファッジは少し慌てたように「あ、あぁ…そうだな、そうしよう。今はこちらの案件を片付けねば」と頷いている。あの女性もマルフォイ家のように魔法省に顔が利くような人間なんだろうかと考えながら大人達の姿を見ていたハリーはルシウスの腕にしがみつくレイラを見たファッジが奇妙な表情を浮かべたのに気が付いた。ファッジはその奇妙な表情のまま何か言いかけたように見えたが、結局何も言わぬまま口を噤んでしまった。
「それで? 貴様は何の用があるんだ? 俺の家から出ていけ!」
ハグリッドの怒鳴り声が響き、レイラがびくりと震えてハグリッドを見上げた。甘い蜂蜜色の瞳は痛々しいほど赤くなっていて、ハーマイオニーの事を知って泣き腫らしたのだろうと容易に想像できる。
「あ、あのねハグリッド、こんな時間にいきなりお邪魔してごめんね。お父様は校長先生に会いに来たのよ」
「レイラ……お前さんはどうしてここに? 生徒は夕方以降は出歩いちゃいかんことになったはずだ」
そう言った後、ハグリッドは落ち着かない様子で部屋の隅に目を向けた。そこには透明マントを被ったハリーとロンがいるのだが、皆にはハグリッドの外套や動物の世話用のバケツ等が乱雑に置かれているだけの何もない場所に見えているはずだ。なのにハグリッドがそんなふうにこっちを見たら怪しまれてしまう。お願いだからどうかこっちを見ないでほしい。
「セブ……えっと、私さっきまでスネイプ先生のお部屋にいたの。ルースが帰る時間だから送っていこうってお喋りしてたらお父様が来て、校長先生に用があるっていうから着いてきちゃったの」
「セブルスは見回りの時間になったし、部屋に生徒と部外者だけを残して行く訳にもいかないでしょう? この子が出歩く許可はセブルスから貰っているわ」
ルシウス達と一緒に部屋に入ってきた女性はローブのポケットから取り出した羊皮紙をピラピラと振って見せた。
「そうか。ではレイラのことは後でわしが責任をもってグリフィンドール塔まで送り届けるとしよう──それで、ルシウス? わしに何の用があるというのかね」
「酷いことだがね、ダンブルドア。理事達は貴方が退く時が来たと感じたようだ。ここに十二人の理事全員が署名した『停職命令』がある」
物憂げな表情でルシウスは羊皮紙の巻紙を取り出してみせた。それを見た途端、レイラは「そんな!」と悲鳴を上げた。
「校長先生がいなくなっちゃうの!?そんなのだめよ!」
「その通りだルシウス……ダンブルドアが停職…?……だめだだめだ、今という非常時にそんな…それは困る…」
レイラに続いてファッジも顔を青ざめさせるが、ルシウスはわざとらしく残念そうな表情を浮かべて首を振った。
「残念ながら私ども理事はダンブルドアが現状を掌握出来ていないと感じておりましてね」
「でも、でも……ダンブルドア先生にも解決できない事件を、誰が解決できるの?」
「それはやってみなければわからない。それに今日もまた二人襲われたのだろう? 一人はレイラの友人だというじゃないか。この調子ではホグワーツのマグル出身者は一人もいなくなってしまう」
優しい声色で言い聞かされ、レイラの瞳に涙が浮かぶ。そんな娘の頭を慰めるように優しく撫でるルシウスだが、その瞳に意地の悪いものを感じてハリーとロンは透明マントの中で舌を出した。
「だがルシウス……ダンブルドアの停職は困る…」
「校長の任命も停職も、理事会の決定事項だ、ファッジ。それに十二人全員が投票で──」
「そんで、貴様はいったい何人脅した? 何人脅迫して賛成させた!?」
ハグリッドが立ち上がり、物凄い剣幕でルシウスに詰め寄った。
「やめて、ハグリッド! お父様が脅迫なんてするわけないじゃない!」
「お前さんはこいつのことを知らんからそんな事が言えるんだ」
「お父様のことはちゃんと知ってるわ!家族だもん!お父様は 誰かを脅すなんて、そんな悪いことしないもん!」
レイラはむぅ、とハグリッドを睨み上げる。彼女は本気で自分の家族は清廉潔白な人間だと信じているのだ。改めてそれを思い知らされてハリーは頭が痛くなった気がした。
「お前さんは騙されちょる!そいつは──」
「落ち着くんじゃ、ハグリッド。理事達がわしの退陣を求めるなら、勿論わしは退こう」
厳しくも落ち着いたダンブルドアの言葉を聞き、ファッジ、ハグリッド、レイラの三人は異を唱えた。ダンブルドアはそれに首を振り、じっとルシウスの冷たいグレーの瞳を見詰めた。
「ただし、覚えておくがよい。わしが本当にこの学校を離れるのは、わしに忠実な者がここに一人もいなくなった時だけじゃ。ホグワーツでは助けを求める者には必ずそれが与えられる」
一瞬、ダンブルドアの目がハリーとロンをしっかりと捉えた。透明マントを被った二人の姿は見えていないはずなのに、間違いなくダンブルドアは自分達を見たと、そう確信できた。
「あっぱれなご心境で」
ルシウスとルース、不安そうな表情のレイラ、そしてダンブルドアが小屋から出ていき、ファッジは山高帽を弄りながらハグリッドが外に出るのを待っているようだった。ハグリッドはぐっと体に力を入れ、大きく深呼吸して慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「誰か何かを見つけたかったら、蜘蛛の跡を追っかければいい。そうすりゃ、ちゃんと糸口がわかる。──あー、俺が言いてぇのは、それだけだ」
ファッジは突然何を言い出すんだと呆気に取られてハグリッドの大きな姿を見上げている。ハグリッドは満足したらしく、厚手の上着を羽織って「それと、誰か俺のいねぇ間ファングの面倒を見てやってくれ」と言い残して小屋から出ていった。
ドアが閉まり、残されたハリーとロンは透明マントを脱ぎながら真っ青な顔を見合わせた。ダンブルドアがいなくなった。これでは本当に、次は殺しが起きるかもしれない。
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