
15.time is up
五月になり、気付けばホグワーツにも夏の気配が広がっていた。だが、城の中を支配するのは気候とは正反対の恐怖や不安に怯える冷たい空気だ。クリスマス休暇前、ほとんど首なしニックが石にされた時にはゴーストだろうと怪物の餌食になるのだという恐怖で生徒達は混乱に陥ったが、今回の混乱はそれ以上だった。魔法界一偉大な魔法使いの保護下から離れるというのはそれだけで生徒達の恐怖を煽る。
ダンブルドアがいなくなった事で先生達も今まで以上にピリピリした空気を纏い、これ以上の被害が出ないようにと学校中に警戒の目を光らせているようだった。
生徒達は単独行動を禁じられ、集団行動を義務付けられた。朝は寮監の引率で大広間へ向かい、学年ごとに固まって寮のテーブルで朝食をとる。教室の移動も先生の引率で、十八時には寮の談話室へ戻りそれ以降の外出は許されない。
安全の為だとわかっていても、そんな徹底的に監視された生活は息苦しくて仕方ない。寮の違うドラコやセドリックとはほとんど会話することは出来なくなってしまったし、当然だがユニコーンとセストラル達に会いに禁じられた森に行くことも出来ない。
仕方なくグリフィンドールの談話室で過ごしていると、時々「この事件の犯人はスリザリン生に決まっている」「スリザリン生を学校から追い出せばいい」というような会話が聞こえてくる。確かにこの状況ではスリザリン生が疑われても無理もないのかもしれない。なにせスリザリンの継承者≠セ。
それにドラコを筆頭にスリザリン生はこの状況を楽しんでいるような言動をとるものだから、自ら周りの猜疑心を煽っているようなものだ。自業自得と思わなくもない。
それでもやっぱりスリザリンへのあらぬ疑いの言葉は聞いていて気分がいいものではない。レイラは日に日に談話室で過ごすのを避けるようになり、自室にこもる時間が増えるようになった。
今日も夕食後少しだけフレッドとジョージがしゃっくり飴と糖蜜ヌガーを混ぜ合わせて新種の悪戯グッズを生み出すのを手伝った後、自室に戻って大きな溜息と共にベッドに倒れ込んだ。いつも通り授業を受けただけなのに、疲労感で押し潰されそうだ。
その原因ははっきりわかっている。昨日の夜、禁じられた森で蜘蛛の餌になりかけて逃げ帰ってきた。その時の疲労がまだ抜け切っていないせいだ。
ハリー、ロン、レイラの三人は昨日ついに蜘蛛が数匹禁じられた森へ向かう姿を発見することができた。夜になり、三人は透明マントを使って森へ向かい、ハグリッドのアドバイスに従って蜘蛛を追いかけた。
そしてレイラが足を踏み入れたことがないような森の奥で三人を待ち受けていたのは、小型の象程もある巨大な蜘蛛アクロマンチュラ──学生時代のハグリッドが卵から孵し、アラゴグと名付けて可愛がっていたペットだった。レイラ達は危うくそのペットと子供達に食べられるところだったのだが。改めてハグリッドに怪物≠ニペット≠フ違いを教えてあげなくてはいけないと思わされた。
そんな命の危険に晒されてまでアラゴグに会いに行った結果得られた情報は、役に立ちそうもない微かなものだった。
アラゴグは秘密の部屋の怪物ではなかったし、怪物の正体については教えてくれなかった。新しく分かったことといえば、五十年前に殺された女の子が嘆きのマートルかもしれないということだけだ。けれど今更それが分かったところで、単独行動を禁止されている現状ではマートルに話を聞きに行くこともできない。
結局ハーマイオニーが石にされたあの日から何一つ進んでいない。事件解決の糸口を見つけるのが先か、次の犠牲者が出て学校が閉鎖されるのが先か──そういえばもうすぐ夏休みが始まる。何も分からないまま夏休みに入る可能性が一番高いだろうか。
そうだ、あと数日で学年末試験が始まるから、少しでも勉強をしなくちゃ。今回は学習計画表を作ってくれるハーマイオニーもいないし、一緒に勉強をしてくれるドラコやパンジー達、丁寧に教えてくれるセドリックも頼れない。全部一人でやらないと。とりあえず得意な薬草学の教科書を確認して、それから……。
ベッドに倒れ込んだまま、上手く働かない頭で考えるうちにレイラは襲いくる疲労感と睡魔に負けて意識を手放した。すぅすぅと小さな寝息をたてる寝顔は人形のように美しく、けれどその顔色はいつもより悪く、薄らとクマが浮かんでいる。
リドルはぼんやりと透けた指先をレイラの目元に伸ばした。最近レイラがあまり眠れていないことは知っている。スリザリンとグリフィンドールの板挟み、友人や兄、甘えられる人間と関われないこと。様々な要因が重なって心労になっているのだろう。
この程度の事で心を乱すなんて以前のレイラだったら@Lり得なかっただろうと考え、リドルは懐かしむような嘲るような笑みを浮かべる。ここまで上手くいくとは思わなかったが、これでいい。だがまだだ。もっともっと、孤独から遠ざかれ。人に甘えて、目一杯甘やかされて、愛情というぬるま湯に浸り続けて。
「全てを知るその時まで、そのぬるま湯を享受すればいいさ」
眠るレイラに顔を近付け、愛おしそうに金色の目を細めて笑う。
何も知らない眠り姫。目覚めるにはまだ早い。まだ足りない。
「今度こそ間違えない」
少しかさついたレイラの唇に己の唇を重ねる。実体を持たない体では当然触れることはないが、リドルは何度も啄むように口付けを繰り返した。
カーテンから射し込む光の眩しさに顔を顰め、レイラは唸り声を上げながら寝返りをうった。どうやら昨日あのまま眠ってしまったらしい。制服を着たままだし、シャワーもまだだ。時計を確認すると思ったより早い時間で、寝坊したわけではなさそうだ。とりあえずシャワーを浴びて──と起き上がろうと体を起こしたはずが、体に力が入らず再びベッドに倒れ込んでしまった。
「あ、れ……?」
「おはよう、レイラ」
目の前がぐるぐる回る感覚にレイラは横たわったまま戸惑いの声を上げた。体に力が入らない。体が怠い。どうしたんだろうと考えていると、いつもと同じ爽やかなリドルの声が聞こえて目を開ける。視界がぼやけてリドルの顔もぼんやりと見える。
「随分体調が悪そうだ。今日は休んでいた方がいいよ」
「……うん、すごいふらふらする…」
喋るのも億劫でレイラは素直に頷いて目を閉じた。今は毎朝寮監の引率で大広間へ向かうため、談話室を出る前に全員いるか確認をとっている。時間になっても降りていかなければマクゴナガルが部屋まで確認に来て、必要ならマダム・ポンフリーを呼んでくれるだろう。それまでもう少し眠っていよう。
次に目を覚ました時には予想通りマクゴナガルとマダム・ポンフリーがいて、レイラの脈をとったり熱を測るマダムの後ろでマクゴナガルが心配そうな表情を浮かべているのが見えた。
「心労からくる疲労でしょう。栄養も睡眠もしっかりとっていますか?」
「……一応…」
最近あまり食欲もないし、夜も寝付きが悪い。小さな声で答えたレイラにマダムは「まったく!育ち盛りなんですから栄養と睡眠は……」と小鼻を膨らませながらいかにそれらが成長期に必要か説いた。レイラは大人しくそれに頷きながらマダムが鮮やかな手付きで調合した薬を飲み干した。
「薬を飲んで一日ゆっくり休めば少しは良くなるでしょう。今日は大人しく部屋で寝ているんですよ」
「談話室には必ず誰かしらいるでしょうから、もし何か問題が起こったらすぐに言うように」
「食事はこちらのトレーに出すように言っておきますから、ちゃんと食べるんですよ」
二人から交互に言われる言葉にしっかりと頷いて返す。二人ともまるで物語に出てくる口煩くて優しいお母さんみたいだと笑いそうになり、レイラはバレないように毛布を口元に引き上げた。そんなレイラの姿を見て何を思ったのかマクゴナガルは慈愛に満ちた表情でレイラの頭をそっと撫でた。
「安心しなさい。この後他の生徒達にも伝えることですが、マンドレイクが収穫期を迎えたそうです。今夜にも石にされた人達を蘇生させることが出来るでしょう」
「……っ!!ほ、本当ですかっ!?」
「えぇ。ですから貴女は戻ってきた友人に心配をかけないためにも、しっかりと休んで元気な姿で迎えてあげるんですよ」
「はい、はい……っ!!」
涙ぐみながら何度も力強く頷くレイラに優しく笑いかけてマクゴナガルとマダム・ポンフリーは部屋から出ていった。
「よかった……ハーマイオニー、戻ってくるんだ…」
安堵と嬉しさで涙が溢れてくる。ハーマイオニーが戻ってくる。
石にされたうちの誰かは襲った者の姿を見たかもしれない。襲ってきたのがどんな怪物か分かれば犯人も分かり、無事に事件は解決するだろう。
結局レイラ達は犯人が誰か、怪物の正体が何か突き止めることはできなかったけれど、そんなのもうどうでもいい。だって今夜になれば全てわかるんだから。
「嬉しそうだね」
「当たり前よ。だってこれで全部解決だもん。やっと怖い事件が終わるのよ!」
はちきれんばかりの笑顔で答えたレイラにリドルは意味深な笑みで返す。その表情の意図が掴めず首を傾げると、リドルは横たわったレイラの額に手のひらを乗せた。じんわりと熱さを感じた直後、その熱は血液が循環するように全身に広がっていく。途端に先程までの目眩や体の怠さが嘘のように消え去った。
「え…? リドル、今何したの…?」
「一時的に君から抜き取っていた魔力を返したんだ。これでもう体の不調は感じないだろう?」
「どういうこと? なんでそんなこと……」
「魔力不足は体調不良で片付けられるからね。今日の授業を休ませるには一番手っ取り早い」
説明を聞いてもどうしてリドルがこんなことをしたのかわからない。とりあえずいつも通り動くようになった体を起こし、ベッドに座ったままリドルを訝しげに見上げる。
「どうして授業を休ませたかったの?」
「そろそろだろうと思ったんだけど、ぴったりだったみたいだ。レイラ、タイムアップ──時間切れだよ」
「時間切れって…?」
「真実を知るか、何も知らないままでいるか」
心臓が大きくドクリと音を立てた。
「知りたくないというのならそれでもいい。君は今から眠りについて、目が覚めた時には全てが終わっている。君はただ真実を知る機会を永遠に失う、ただそれだけだ」
そんな言い方、狡い。これ以上選択を先延ばしにすることはできないということだ。知りたいのなら今選ばないといけない。
「…………真実を知りたい、って言ったら?」
「今伝えられることは全て教えてあげる。君が見た五十年前の彼女のことも、秘密の部屋に関する事件の全ても」
「なんでリドルがそんなこと、」
「ストップ。これ以上は君が選ばない限りは教えない」
「……ずるいわ。そんなの、……選ぶしか、ないじゃない…」
不服そうに睨まれてもリドルは美しい笑みを浮かべたままだ。レイラは一度大きく深呼吸をして、ギュッと唇を引き結んだ。
「教えて。真実を」
リドルの金色の瞳が熱っぽく揺らめいた気がした。
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