18:一触即発?


  

一度、元の世界に戻れたのだから、おそらくまた戻れるだろうという安心感がある。そのせいか、今回は名前の世界にいても、気持ちの面で前とは少しだけ違うような気がした。
ただ、そのいつかが“いつ”なのかは誰にもわからない。
その時までは慣れないこっちでも生活をしなければならない…違いがありすぎていつまでも慣れる気がしないが、それを言ったところでどうにもならない。
名前も同じような気持ちでいるらしく、今日は仕事に行った。
こっちにいる間は名前に頼るしかないのが正直悔しいが…
部屋の中で出来ることを見付けて、剣の手入れをしたり、テレビで何かヒントがないかと情報を探したり、何となく掃除をしてみたりして1日を過ごす。
向こうで何でも屋をしていた時はあっという間に時間が過ぎて行ったのに、こっちでは出来ることが限られ過ぎていて、時間が進むのが極端に遅い。

「……………」

有益な情報も得られないまま、何とか時間を潰し、気付けば外は徐々に暗くなってきていた。
チラリ、と改めて壁にかかる時計へと目を向ける。
…帰り、遅いな…
そういえば…と、今朝出掛け際に名前が言っていた言葉を思い出す。
確か「何とか明日から有給もらえないか相談してくる」…と言っていたはずだ。その“ユウキュウ”というものはよくわからないが、要するに明日から休みがもらえるようにしてくる、という内容だったはず。帰りが遅いのは、そのせいなのか…?

「……………」

はぁ、と小さく息を吐いて、時計から目を離す。
名前の帰りが遅かろうが、俺には別に関係ない。そう自分に言い聞かせてソファに座るが、静まり返った部屋の中では時計の秒針の音だけがいやに大きく聞こえて…耳障りだ。再びその音の出所を睨みつけて、立ち上がると剣を壁に立てかけた。
名前には「クラウドは外に出ないでね」と言われたが…知ったことか。
だいたい、部屋の中で得られる情報なんて、たかが知れているんだ。
ここにはいない名前にそう反論すると、俺はクローゼットを開けて、以前彼女に渡された紙袋の中身に手を伸ばした。






「え、と…」

退社しようと会社の外に出たところで、あたしは正直困り果てていた。
今朝出掛ける前に決意した明日からの有給は、無事もらえることになった。今まで真面目に出社していた甲斐があってか、有給もたくさん残っていて、上司も2つ返事で了承してくれた。今が閑散期だったことも幸いしたな、と思う。
ただ、明日からしばらく休みをもらうとなると、今日中にまとめておきたい資料とか、引き継ぎとか、その他諸々…とにかく、いつもよりやることが多くて、帰りがすっかり遅れてしまった。
家で退屈しているであろうクラウドのことを思うと、一刻も早く帰らないと…と思うし、彼が携帯電話の類を持っていないこともあたしを焦らせた。連絡手段があれば『遅くなる』と一言伝えられるのに…
そんな数多のことが頭の中をグルグルと回る中、あたしは困ったように目の前の人物を見上げた。

「ごめんなさい、今日は早く帰らないと…」
「そうなの?残念だなぁ」

そう言いながら、背の高いその人はわずかに眉毛を下げ、笑った。そう言うなら、ここを避けてくれればいいのに…そうは思っても口に出して言えないのがもどかしい。
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、まだ食い下がるその人の様子に困惑を隠せない。

「明日からしばらく出社しないって、さっき後輩に聞いたんだけど…本当なの?」
「はい、ちょっと色々ありまして…有給を頂くことにしました」
「そっか。だったら、やっぱり来て正解だった…苗字さんにしばらく会えないと思うと、寂しいよ」
「…はぁ…」
「だから、ちょっとだけ…駄目かな?一緒に夕食が難しかったら、軽くお茶するだけでもいいから」
「いや、でも…」
「苗字さんに、話したいこともあるし…」

もし、男性に慣れていれば、こんな状況でもうまく断ることが出来るんだろうか…お世話になっている取引先の相手だけに、無下にも出来ないし…これ以上、どうお断りすれば納得してもらえるのか…
そんな風に頭を悩ませている間にも、目の前の男性は「ちょっとだけ…ね?」と追い打ちをかけてくる。もういっそ、軽くお茶だけご一緒した方が、さっさと解放してもらえるんじゃないかとすら思えて来た。
そんな考えを打ち消すようにフルフルと頭を降る。家で待たせているクラウドのことを考えると、やはり早く帰りたい…自分が置かれている現状を思うと、考えたいこともたくさんあって、気もない男性と時間を共有する気にはなれないのが本音だ。
よし…今度はしっかり、強めに断ろう。
そう意を決して、目の前の男性のことを見上げた…その時だった。

「…っ……!」

突然、後ろからグイと腕を引かれて言葉を詰まらせる。
そのまま引っ張られるように1歩後退りながら、慌てて振り返るとそこにいたのは見知った顔だった。いつもと違う服装をしているから一瞬見間違いかとも思ったけど、こんな特徴的な容姿は彼しかいない。

「…ク…ラ、ウド…?」

何で、ここにいるの?だいたい、どうして会社の場所がわかったの?どうやって来たの?
場違いな疑問がいくつも頭に浮かんでくるのに、1つも口から出てこない。唖然としたまま、何とかその名前を呼ぶと、彼は一瞬チラリとあたしに視線をやっただけで…また目の前の男性へと向けた瞳をわずかに細める。
完全に睨みつけているようなその表情に、あたしは1人凍り付いていた。

  

ラピスラズリ