
名前が履いているヒールの音はよく響く。少なくとも向こうの世界では、あんな風に歩行音がはっきりと鳴るような靴を履いているヤツは俺の周りにはいなかった。
ただでさえ、ソルジャーをしている時から耳の良さは自負している。名前が徐々にこの家に近付いてくる音も、気配も、普段からよく感じているものだった。
だからこそ、今夜のそれはいつもと違う、とすぐに気がついた。濡れた食器を水切りの上に並べて、水を止める。名前には「いいって言ったのに」と笑われる気がしたが、世話になりっぱなしなのは俺自身どうしても許せず…結局汚れた食器を洗い、ちょうど終わったところだった。
足早に…いや、もはや小走りにも近い様子で名前の足音が近付いてくる。何をそんなに急いでいるんだ?普段とは違う様子に当然疑問が浮かんで来た俺は、グローブを装着し、側に立て掛けておいたバスターソードを背中に背負いながら玄関へと足を向ける。
その時、ガチャガチャとやはりいつもより幾分乱暴に鍵が回されて、名前が帰って来た。いや…家に駆け込んで来た、と言ってもいいくらいの焦り様だ。
「…どうした?」
まさか俺が玄関まで来ていたとは思わなかったのか、声をかけると名前がひどく驚いた顔を見せた。そうかと思えば、一気にホッとしたような…力が抜けた顔をする。何なんだ、一体。
「…ックラウド…!」
「何だ?」
「………居、た…」
「は?」
名前が呟いた言葉の意味が全くわからない。眉を寄せる俺だが、ふと名前の瞳が潤んでいることに気が付く。走って帰って来たせいなのか、それとも…
靴も脱がずにその場に座り込んでしまった名前の側に片膝を付いて目線を合わせる。
「何があった?」
ただ、友人に会うと言って出掛けたはずの名前に、何かあったことは明白だった。俺の言葉に反応した彼女がゆっくりと瞳を合わせてくる。
「なんか、もう、色々ありすぎて…」
「……………」
「…どうしよう、もう訳わかんない…」
「名前…?」
瞳を潤ませながら、フルフルと首を横に振っている名前の姿から混乱している様子が伺える。むしろ、パニック状態に近い、と言っても過言ではないように思えた。俺の瞳をじっと見て来たかと思えばまた俯いてしまったり、ブツブツと何かを呟いていたり、とにかく普段の名前からは想像もできないほど動揺している。
俺はそんな彼女に目を向けたまま、そっと両肩に手をかける。その肩の細さに、少し驚いた。
名前の瞳が再びゆっくりと俺に向けられる。
「名前、落ち着け」
「…クラウド」
「大丈夫だから…ちゃんと順を追って話してくれ」
「……………」
無言のまま、名前はゆっくり頷くと、まるで自身の緊張を解くかのように小さく息を吐いた。名前の瞳の中に俺自身が映っているのは、何だか少し不思議な気分だ。
「…クラウドは、何処か来たの…?」
「何を言っている?俺の世界になら名前も一緒に行っただろ」
「そうなんだけど、そうじゃなくて…だから…」
「………?」
「…あの世界って、一体何なの…?」
「何、って…」
何故、急にそんなことを言い出す?俺の世界と、名前の世界…本来なら相容れないはずだった2つの世界を繋ぐ何かがきっとあるのだろう。それが俺たち2人が今のところ予想できていることだ。その“何か”を見付けないことには何も始まらない。これからどうすべきかも、帰り方を探すのも、全ては“何か”がはっきりしてからだと…そう2人で話した。名前の様子は1つの可能性を思わせる。
その“何か”に触れたんじゃないのか…?
だから、こんなにも動揺しているんじゃないのか…?
何にしても、ゆっくりでなければ名前から話を聞き出すのは難しそうだ。そう思った…瞬間だった。
「…っ…」
「…っ…!」
またしても、2人の足元に一瞬にしてひび割れができる。こう何度も経験していれば、これから起こることも容易に想像ができる。俺も…名前も…それなのに、すぐ近くにいた名前は何故か俺にしがみついて来た。このままでは、彼女まで一緒に俺の世界へ戻ってしまう。それじゃ、意味がないんだ…俺だけが戻らなければ…
「……………」
頭では、理解していた。今すぐに行動しなければいけない。少し手荒になるが、名前の体を突き飛ばせばいい…この際、仕方がないんだ。このまま、名前まで再び俺の世界に連れて行ってしまうくらいなら、突き飛ばした方がずっといいに決まっている。
だが、頭で考えることとは裏腹に、俺自身の体が言うことを聞かなかった。こんなことは、初めてだ。
「…クラウドッ…」
気が付くと、小さく俺の名を呼ぶ名前を強く抱きしめていた。以前のように、途中で決して離れてしまわないように…俺たちの体は、みるみる光に飲み込まれていった。目を開けることすら辛いと思わせる強烈な光だった。
