48:連行


  

目の前に突然現れたこの人のことは、忘れようとする方が無理な話だった。エアリスと初めて会ったあの教会で、クラウドと一戦交えた姿をこの目で見ているし、彼でさえ苦戦していた様子が目に焼き付いている…それほどの実力者だ。
赤毛に、胸元を大きく開けたスーツというあの時と全く同じ姿で、再び目の前に現れたその人に頭の中では警戒音が鳴り響く。一体、何をしに来たのか…この店の主であるマダム・マムに用事だろうか?それとも…

「…え、と…」
「待っててやるから、着替えてこいよ」
「…はい?」

それは、あまりにも予想外の一言で…言葉を失った上に、足までその場に縫い付けられたかのように動かなかった。瞬きしか出来ずにいるあたしを見て、その人はただ可笑しそうに笑って「そんな格好でヘリに乗られちゃ、こっちが仕事にならないぞ、と」と軽口とも取れる言葉を発している。
ただ、今の一言で目的がマダム・マムではなく、あたしであることがはっきりしてしまった訳だけど…ヘリに乗せられる?あたし、どこかに連れて行かれるの?どうして…?
考えても考えても、理由なんて見付からなかった。それ以上に、抵抗する術すら見付からず…色々と考え、パンク寸前の頭を持て余しながら、何とか着替えを済ませた。あの男がどういう理由で着物姿を良しとしなかったのかはよくわからないけれど、動きやすい格好に着替えられることはあたしにとっても好都合のはず。

「……………」

竦んでしまいそうになる足を叱咤しながら受付に戻ると、どこか強張った表情を浮かべるマダム・マムと目が合った。

「へぇ…想像してたより利口だな。変な気は起こさなかったか」
「……………」

着替えながら、今なら窓から逃げられるんじゃないか、と当然考えた。だけど、どこまでも隙が無さそうなこの男の今の一言で、やはり実行に移さなくて正解だった、と確信した。あたしが着替えている間に、この男とマダム・マムとの間でどんな会話が交わされたのかはわからない。でも、今のマダム・マムの様子を見れば一目瞭然。立場的に、この男の方が上なのだろう…たぶん、圧倒的に。
何の監視も付けずに着替えることを許された辺りからも、あたしが窓から逃げようとしたところで成功する確率はゼロに近かったのだろうことが容易に想像できる。それどころか、お世話になったマダム・マムとこのお店に迷惑をかける結果になっていたかもしれない。これで良かったんだ…と自分に言い聞かせた。

「…アンタ」
「お世話になりました。本当に、ありがとうございました」

何かを言いかけた様子だったマダム・マムに頭を下げてから、さっさと店から出て行こうとする赤毛の男の後に渋々続く。隙あらば、逃げ出したい。この男の目的だって、よくわからないのに…頭に浮かぶのはそんな考えばかりなのに、どうしても体が動かなかった。店の外に出れば、教会のときみたいにヘルメットを被り、銃を構えた兵士のような出で立ちの人たちがいるのだろう、と思っていたのに…誰もいない。この人、1人だけ。あたしは、拘束されている訳でもない。

「……………」

…もしかしたら、逃げられるかもしれない。
そうは思うのに、体が動かない。逃げたところで、この人にとってはあたしなんて余裕で捕まえられる自信があっての“隙”なんだろう、と察して、尚更怖くなった。

「なぁ」
「っ…!」

先を歩く男性から突然声をかけられて、思わず肩が跳ね上がった。前を向いたままなのに、そんなあたしの様子ですら筒抜けであるかのようにその男性は声を押し殺すように笑っている。

「名前、なんて言ったっけ?」
「……………」

教えてなんかやるものか…とせめてもの無言の抵抗。それなのに、少しの沈黙の後で「…あ〜、名前ちゃん、だったか、確か」と自力で思い出したのか、元々忘れてなんかいなかったのかよくわからない独り言を呟くのが聞こえてくる。続けて「俺は、レノな」と何故か自己紹介をされた。意図がわからず、思わず眉を寄せると歩きながらわずかに後ろを振り返ったレノの視線があたしへと向けられて、一瞬細められた。

「仲良くしようぜ?」
「……………」
「迎えに来たんだ。アンタ、こっち側の人間だぞ、と」
「……………」

仲良くなんて、なれる訳がない。この人も、この人が属する組織も、クラウドたちにとっては敵であることは一目瞭然。あたしまでこの人と同じ側の人間…?有り得ないし、言っていることも意味がわからない。いつまでも黙っているとは思わないでもらいたい。少しでもチャンスがあれば、すぐにこの場から逃げ出してやるのだから。
心中では次から次へと反論の言葉が浮かぶのに、悲しいかな、その1つさえも口に出すことは出来なくて…あたしの一挙手一投足に、面白そうに目を細めているレノから、あからさまに顔を背けた。
やがて、六番街スラムの外れにひっそりと降り立っている漆黒のヘリコプターが見えて来る。嫌でも目に入る『神羅』と書かれた赤いマークを見て、改めて思った。
あぁ…やっぱりあたし、あのマーク、大嫌いだな…って。

  

ラピスラズリ