49:あたしが知らない“あたし”の存在


  

ヘリになんて、今まで乗ったことがなかったから、その後部が意外と広々していることに少し驚いた。固定されている小さな椅子に座るよう促されて、そこから離陸した様子をぼんやりと眺める。ヘリの中から見下ろすウォールマーケットは、ただただ綺麗だった。その明かりの下で行われていることを思えば、手放しには感嘆出来ないところもあるけれど、散りばめられたネオンの明かりには無意識のうちに視線を取られる。
…何で、こんなことになったのだろう…ほんの少し前までは、あたしだってあそこにいたのに…クラウドたちの帰りを待っているはずだったのに…
はぁ、と小さく息を吐きながら眼下の景色から目を離した。運転しているのは、スキンヘッドにサングラス…表情の読めない男性だ。だけど、あたしはこの人に覚えがあった。伍番街スラムに向かう途中で、今と同じようなヘリから降りて来たのを目にしたことがある。クラウドが彼を“タークス”と呼び、殊更警戒していたことも…覚えている。

「……………」

赤毛の、レノと名乗った男性と、クラウドが警戒していたこのスキンヘッドの男性は仲間…だったのか。そういえば、初めてこの人を伍番街スラムで見かけた時も、レノと同じスーツ姿だったことが気にかかっていたことを思い出した。それにしても、どうしてクラウドですら警戒するような人たちが、あたしを迎えに来るのか…あぁ、わからないことだらけだ。
スキンヘッドの男性のヘリを操縦する手元をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていた、その時だった。
暗いヘリの中、突然あたしの目の前はダークカラーのスーツで埋め尽くされて…驚いて目を丸くしていると、その人物は間近でストンとしゃがみ込み、暗がりに嫌でも目立つ赤が視界に広がった。

「何だよ?相棒に見とれてんのか?流石に妬けるぞ、と」
「……………」

何故、そういう考えに至るのか…否定する気にもならなくて、思わず眉を寄せてしまったあたしを見たレノが「ははっ」と笑った。そしてどういう訳か、しゃがみ込んだまま頬杖を付くようにしてジッとあたしに視線を向けて来る。わずかに細められた薄い青の瞳に観察されているような気さえして、落ち着かない。
「…なに?」と耐えきれずに口を開くけれど、レノは相変わらず笑みを貼り付けたまま。

「いや?可愛いなー、と思って」
「はい?」
「やっぱ、聞いてた年齢より随分若いよな?」

目の前で首を傾げたレノが同意を求めるかのように運転席に座る男に「なぁ?ルード」と声をかける。もう一人のスキンヘッドの男性はルード、という名前らしい。運転席からは「…女性に年齢の話をするのは失礼だぞ」と驚くほど紳士的な意見が返って来た。一体何なんだ、このやり取りは…呆気に取られていると、再びレノの視線があたしへと戻って来る。

「それはそうだけどよ…まぁ、間違いようもねぇか」
「………?」

…わからない。あたしの話をしているはずなのに、あたしの知っている情報が何もないのだから、混乱するなという方が無理な話だ。黙っていると、目の前で頬杖を付いているレノの口元がゆっくりと弧を描くのがわかった。

「名前ちゃんさぁ…」
「……………」
「逃げる気あんのか?それとも、俺ら相手に鬼ごっこを楽しんでた?」
「…え?」
「タークスを引っ張り出せた辺りは、流石だけどな」

そう聞かれたところで、言っている意味がわからない。何も言わずにただ眉を寄せるあたしを見て、レノはどう思ったのだろう。目の前で、どこか楽しそうな笑みを見せているレノの表情から、本心は読めなかった。

「まぁ、いいけど。何にしてもその目、隠しとかないとバレバレだぞ、と」

そう言いながら自身の目尻をチョンチョン、と指で触れて見せるレノを見て思った。聞くなら、今しかない、って…

「…あたしの瞳が、何なの?」

元々ごく普通の茶色い瞳は、こっちの世界にいるときだけ、太陽の色に変わる。不思議な色合いに、以前鏡でじっくりと見てみたことがある。虹彩の中に金箔がまぶされたかのように、キラキラと輝いていて…自分自身、有り得ないその色に腰が抜けそうになったことを思い出す。この瞳がもたらす意味は何なのか…当然知りたい。
あたしの問いかけに、レノは少し驚いた顔を見せた。だけど、すぐに運転席に座るルードが「…レノ」と低く名前を呼ぶのが聞こえて…

「わかってるって、相棒」
「……………」
「余計なことは言わないぞ、と」

開かれかけたかに思えた扉が一瞬で閉まってしまったらしいことを痛感する。だけど、やっぱりこの人たちは“何か”を知っている…のだろう。さて、どう切り出そうか…あたしがそんなことを考えていると、ふいに運転席のあたりから機械的な声が聞こえて来る。ヘリの音がうるさくて、後部に座っているあたしには、その内容までは聞き取れなかった。すぐ間近にしゃがんでいるレノも同様に聞こえていないらしく、やがてルードがわずかに振り返った。

「レノ、予定が変わった」
「…あ?」
「柱での抵抗が思いの外激しいらしい。このまま任務に向かう」
「…そうかよ」

柱…?任務…?一体何のこと…?
運転席の方に視線を向けながら、入って来る膨大な情報を何とか整理しようとするけれど、頭の中は混乱するばかり。その時だった。突然、顎を固定するかのようにムニッと両頬を片手で掴まれて…驚いて視線を目の前に戻すと、レノが少し困ったように笑っている。

「と、いうわけだ。これからお仕事だぞ、と」
「な…何するの…?」

お仕事って、何?何をするの…?
嫌な予感しかしない。そして、こういう時の予感こそ当たってしまうことも、よく理解している。絞り出すようにそう聞くと「…アンタは見なくていいことだ」という言葉がやけにはっきりと聞こえて…次の瞬間、唇に感じた熱にハッとした。目の前に広がる赤…赤…あか…
とっさに押し返そうとして初めて、膝の上で重ねていた両手がいつの間にかレノの片手で押さえ込まれていることに気が付く。顔を背けようにも顎を固定されていて、動けない。間近で光るレノの瞳に耐えられなくて、ギュッと目を閉じた瞬間、唇をこじ開けたレノの熱が口内に侵入してきた。そして、奥にグッと押し込まれたそれに思わず肩が小さく跳ねる。何かを飲ませようとしているっ…そのことだけははっきりとわかって、動けない代わりに必死に嚥下しないよう堪えた。けれど、あまりにも奥に押し込まれたそれは、一瞬頬を離したレノの手によって、顎の下を軽くポンと叩かれた刺激だけでゴクンと体の奥深くへと落ちていった。

「な…」

言葉すら、もう出てこなかった。何を飲まされたのかもわからないまま、こんなにも早くみるみる意識が濁っていく。目の前のレノが、どこか申し訳なさそうに笑っていて「ごめんな」と言いながら、名前を呼ばれた気がした。額に何故か優しい熱を感じながら、あたしの意識は暗闇に覆い尽くされていった。

  

ラピスラズリ