「運命に呪詛を吐いたの」


ポート・マフィアの中層階。
始めて踏み込んだ此の場所で、私は今ノートを広げシャーペンを持ち、目の前の壁に映し出された映像を惘乎と見ていた。

向かいに立つのは初老の男性で。
彼は背の高く、細い机にノートパソコンを起き、もう片方の手に黒い──恐らくレーザーポインターを握っている。

「──却説、此れから君には、人体、、について学んで貰います」
「人体……ですか……?」
「ええ、人体です」

そう問いかければ、にこりとした微笑み。
朗らかではあるものの、蛇みたいな顔だなあと思いながらも一応頷いておく。
因みに此の頷きに、其処までの意味はない。
逆らいませんよという念の為の意思表示だ。

此の人は、冨岡鉄斎さん。
森さん直属の部下、、、、で、或る一つの部隊を任せられている人らしい。

なんでも私は今後、なんか偉い人である素敵帽子さんの監視下にありつつも此の鉄斎さん──そう呼ぶようにと言われた──の下に就いてお仕事のお手伝いをすることになったらしい。
其の理由は──まあ十中八九、此の間の異能が原因だろう。

此の間、求められるが儘に異能とやらを使ったあの日。
よく判らないけど、私の異能はお眼鏡に叶ったらしく、晴れて此の鉄斎さんから指導を受けることになったのである。
結局あの人は、あの後動かなく、、、、なっちゃ、、、、ったから、、、、、何がよかったのかは正直わからないけれど。

「君の異能は、非常に面白い。"読み上げた物語を相手の脳内に植え付ける異能"。実に興味をそそり、また奥が深い異能だ」
「………奥?」
「そう、奥ですね」

にこりと微笑まれて、其の儘カチリと手元のレーザーポインターらしきものののスイッチを入れた。
するとパッと画面が切り替わって──あまりにも猟奇的グロテスクな映像が表示されていく。
あのレーザーポインターは、なんとマウスの役割も兼ね備えているらしい。

──流石一見大企業、一々機材がお高そう。
そんなことを思い乍ら、私はちらりと視線を上にあげていく。
艶々と光沢を纏った赤黒いもの。
恐らくは、内蔵的なものだろう。
然しなんだろう、形に凄く、既視感がある。

「……切断面?」
「ご名答。まあ云うなれば、生身の人間を使用した人体模型ですね」
「あぁ……」

──それは、違法性の高い奴なのでは?
と、思いはしつつも、まあ此処マフィアだし、非合法の組織だし、と思い直す。
ついでに、人体模型と云われて納得した。
確かに理科室に置いてある人体模型に、一寸似ている。

わざわざそれっぽくカットしたんだろうか。
それだったら、少し面白い。

まあ、あれだ。
こういう非合法で悪の組織的なとこだと、人間で人体模型も作ったりするんだろう。
むしろ現物じゃなくてこうして画像なだけ未だ配慮されてるのかもしれない、なんて。
少しではあるものの一応感謝し乍ら、続きを促す様に鉄斎さんへと視線を向けた。

「紬さん。貴方には、此れから人体について学んで頂きます」
「……其れが、先程の異能の話と、如何繋がるんでしょうか?」

そう問えば、再度にこりとした笑顔。
だけどやっぱり目は笑っていないんだろうなと、其の金縁のレンズの向こう側を見てそう思う。

黒いサングラスの向こう側は勿論距離があってもなくても見ることは出来ない。
それでもなんか、此の人の雰囲気的に、素直に笑ったりしないんだろうと思ってしまうのだ。
だって多分、此の人は根っからの悪人だ。

「繋がりますよ。貴方の異能は、恐らく貴方の"知識"と深い関りがある」
「深い、関り?」
「ええ、関わりです」

そう云い乍ら私から視線を外して、鉄斎さんは手元のパソコンを片手で弄った。
すると今度は何やら分類分けされた文字列のようなものがパッと画面いっぱいに表示されていく。

「此れは貴方の今迄の記録です」
「記録、ですか?」
「ええ。──貴方が今迄読み上げてきた絵本の種類と系統。そして被験者、、、の状態をまとめたものです。貴方の異能を受けた際の思考及び視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の状況を、聞き取り調査にて言語化しています」
「へえ。そんなことしてたんですね」
「情報は宝ですからねぇ」

云われた言葉と共に、画面へと目を向ける。
其処には先程の言葉通り、"視覚"、"聴覚"、"嗅覚"、"味覚"、"触覚"──の五つのワードに枠組みされており、其々の枠の中に言葉が並べられていた。

例えば視覚の中には、"ほぼジャッジ状態で目蓋を閉じても効果なし"とか。
私からだと皆さんの視点とか心情とか判らないから、こうやって言語化された──まあ或る意味感想なものを見れるのは、素直に面白い。

「現状では貴方の異能力は、"読み上げた絵本の世界に精神を引き摺る"だと分析されています。然し、本当に其れだけなのか? 範囲は? 効果は? 使用する媒体は絵本のみなのか? 漫画は? 活字は? 将又絵其の物を"読み上げた場合"は如何なのか──? 其れらをひとつひとつ解明して初めて、"異能"と云うものは形を確立するのですよ」

また画像がパッと切り替わる。
其処には、あの生々しい"人体模型"。

「そうして更に、貴方の異能は精神操作。精神操作と云うのは、文字通り精神、、に作用、、、するもの。其れは場合によっては、異能力、、、の認識、、、によって威力を増すものが多い」
「……威力」
「そう、威力ですよ。例えば──此の前使用した"地獄"」

また画像がパッと切り替わる。
其処には"地獄"の絵本の内容と──此の前の、異能を掛けた男の人の、成れの果て、、、、、

「嗚呼──少し刺激が強すぎましたかな?」
「否、大丈夫です。特に何も感じないので」
そうですね、、、、、。では話を進めましょう」

そう云って、手元のレーザーポインターで画面を照らしていく。
地獄の絵本の、罪人が鬼にお腹を切られている処だ。

「例えば此の腹部を鋸で切断している部分。貴方は此れを如何思って読みましたか?」
「……"お腹を切ったら、死ぬ程痛いだろうな"、と」
「では其れは──"お腹"の、どの部分で?」

どの、ぶぶん。
それは詰まり──どの、臓器か、、、

──ああ、そういうことか。

「私が人体について学べば学ぶ程、場合によっては、ピンポイントな精神攻撃が可能になる……?」
「其の通り。察しが善くて大変宜しい」

誉められた。
内容は如何であれ、誉められることに感しては悪い気はしないと云うか、まぁ、素直に嬉しいと思う。
なので一寸目線を伏せつつ、取り敢えず手元のノートに"人体知識=精神攻撃強化"とメモしておく。
まあ一応、念のためだ。

「例えば単に腹部と云っても、其の範囲には20に近い臓器が収められています。そうして人の躯は繊細だ。其の中に走る神経によっては、違う範囲への刺激を及ぼす事もある」

パッとまた画面が切り替わる。
皮を剥がれた人のお腹を、前面と後面から其々写していて、其の一つ一つの臓器に判りやすく名前が振ってある。

「君には、先ず此の腹部への理解を深めて貰います。何がどの臓器なのか。どういった役割を持っているのか。其れを損傷した場合はどれ位の痛みを有するのか。其れらを、先ずは確りと知識として修めて貰いたい」
「はい」
「自身が体験しない痛みと云うのは理解しにくいものですが、其処は安心なさい。確りと、、、実技の、、、時間も、、、用意、、してますから、先ずは視覚から理解しましょう」
「はい」

──実技と云うからには、勿論、生身の人間を遣うんだろうか。
だったら、結局矢っ張り非合法だったなと思いつつ。
私は未だ太陽の、、、昇って、、、いる此、、、の時間、、、に、鮮度の高い画像を見ながら、ふうと息を吐いた。

構成員とやらになって早一ヶ月。
此の日初めて、私は学校に往く権利を奪われた。




処変わって、一番最初の、あの広い部屋。
前と同じように私は椅子に座っていて、前と同じように"首領さん"も居る。
けれど前と違うのは、あの時のように私を取り囲む黒服の男たちは居らず、また私の隣には鉄斎さんが座っていること。
そうして、三人が座る椅子が、凡て同じで距離がとても近いと云うこと。

ふわりと薫る紅茶の香り。
ものの善し悪しなんて判らないけれど、其れでも上等なものなんだろうなと、西洋卓テーブルの上に乗る三つの紅茶と一つの苺のショートケェキを見ながら惘乎ぼんやりと思う。

「嗚呼紬ちゃん、其の西洋菓子ケェキは君のだから、食べちゃって構わないからね」
「……はい、ありがとうございます」

にこりと微笑まれて、正直薄気味悪いな、と思うけれど。
然し此処で食べなければ其れは其れで面倒くさそうだなと思うので、差し出される儘素直に西洋菓子ケェキへと手を出した。

白地に金の装飾のお皿の上に乗った、分厚いショートケェキ。
其の横に置かれた銀色のフォークを手に取って、其のずしりとした重さにちらりと手元へ目を遣った。

フォークは其の色の通り恐らく銀製で、ああ、矢張り非合法組織の自覚あるんだなとひそりと感想を抱いく。
なんたって銀は、毒除けの代名詞だ。

「美味しいかい?」
「美味しいです」

濃厚な舌触りのショートケェキは、文句なしに美味しい。
私が一人もぐもぐと咀嚼していれば、にこりと人当たりの善い笑みを浮かべた儘だった首領さんが、こう言葉を切り込んできた。

「順序が逆になってしまったけれど──今後君の"教育"を、其処の鉄斎さんに一任することはもう理解しているね?」
「……、はい」

ごくんと呑み込んで、返事をする。
因みに名前を呼ばれた当の鉄斎さん本人は、我関せずといった風で優雅に一人お茶を飲んでいた。
相手は自分の上司だというのに、意外と、いやかなり自由だ。
いやまあ、そういうものなのかもしれないんだれど。
マフィアってよくわかんない。

「詰まりは、紬ちゃんの"正式な雇用"って事になるんだけれど──自ら志願して入った訳じゃない以上、只遣れと云われても君、遣る気出ないでしょ?」
「まぁ、そうですね」

──と云うかぶっちゃけ、ミスらない程度に遣れば云いかなとすら思ってる。
未だ一ヶ月しか在籍していないものの、私か思っている以上に"異能保有者"と云うのは其の絶対数が少ないようなのだ。
詰まりは、私は相当の事を遣らかさ、、、、ない限り、、、、は、命の危険はないと云う事になる。

そしてそんな私の甘い思考を、此の人はあっさり見通してたのだろう。
其の証拠に、某童話の某猫の様ににんまりと歪められた瞳が、愉快そうに私の事を見詰めている。

「隠さないねぇー」
「隠しても意味がなさそうだったので」
「うんうん、此のバサッと来る感じ。昔世話してた子を一寸思い出しちゃうなぁ」
「そうですか」

──屹度、碌な人間じゃなかったんだろうな。
そう思って、また一口西洋菓子を口に運んだ。
ふわふわの生クリームは、舌に乗ればしゅわりと蕩ける。
軽やかな会話な筈なのに、まるで喉仏に蛇が巻き付いているかのような息苦しさを感じてしまう。

此処には大きい蛇が、二匹いる。
どっちも姑息で、狡猾で、ねちっこくって。
嗚呼早く、Qちゃんの処にでも、往ってしまいたい。

「──だからね。そんな君に、ご褒美を用意する事に決めたんだ」

不穏なことを、蛇が囁く。

どうせ、碌でもない事だ。
私は知ってる。こういう大人は、人の善い顔をして他人を地獄に突き落とすのだ。
然も当然というように。恰も、仕方がなかったのだと云うように。
──そして其の大概が、一度目をつけられてしまったら、逃げ道なんて残されていない。

知ってる。知ってた。判ってた。
だから続けられた言葉に、私は厭りとした心地で息を吐く事しか出来なかったのである。


「君の働きに応じて、Qに外出、、、、許可を、、、与えよう、、、、


私が此処に来て、おおよそ一ヶ月程。
毎日せっせと足を運んで、毎日せっせとあの座敷牢へと通い詰めた。

其れは、そうしろと命じられたからで。
其れは、私を待つ子が、彼処には居るから。
私しか寄る辺のない子供が、独りで待っているから。

詰まりは──木乃伊取りが木乃伊になったと、云うことだ。

──これだから、大人ってほんと嫌い。
そう心底思って、また厭りとする。
そして、まんまと術中にハマった、私も私で大莫迦者だ。

「君は鉄斎さんの元で技術を学び異能を磨き、今後鉄斎さんの"弟子"として彼の仕事の補佐をして貰う。既に一度経験済みだからもう理解していると思うけれど、彼は尋問官でね。あの部屋で、今まで口を割らな、、、かった、、、人間、、の再度の"事情聴取"を行って貰っているんだよ。そうして其れに、君の異能は最適だと結論がついた」

話を聞き乍らも、口に西洋菓子を運んでいく。
半場もう、自棄糞だ。

然し、そんな私に注意はされない。
注意どころか、また愉しそうに笑われる始末。
詰まりは、私はそういう扱い、、、、、、なのだろう。

「君が成果──此の場合は、尋問成功になるかな。まあ、此の成果を上げれば上げる程、君に特典を与えていこう。Qの危険性を考慮すると連れ出せる場所は人気のない場所か、若しくは貸しきりになるけれね。其れでもずっとあの場所に居るQにとっては、これ以上ない好事だろう?」

成功の範囲を聞こうとして──止めた。
今此処で其れを明確化してしまったが為に、自分で難易度を上げるような結果を招きたくはない。

なんせ未だ、私の異能とやらの研究も鍛練も、何一つ始まっていないのだ。
詰まりは今の私にとって、此の前其の存在を知った私の能力の限界は完全に未知数。
そんな中で下手に実現不可能な上限を設けられでもしたら、叶う事も叶わなくなってしまう。

──なんて、考えている事もどうせお見通しなんだろうけど。

「返事を、聞かせて貰えるかな?」

前みたいに、私に向けられる銃はない。
詰まりは私に意思を問い、私に決定権がある様に思わせ、私自身に、、、、選ばせ、、、たいん、、、だろう、、、

そうして、私自身の手で、逃げ道を壊させようとしてる。
──矢っ張り此の人は、碌でもない男だ。

「…………」

待ってる。
両隣の大人たちが、首を擡げて私が罠に架かるのを今か今かと待ち構えている。

厭な人達。厭な大人。
だけど其れ以上に、自分の声も満足に出せない私こそが、一番厭な奴なのだろう。

──あーあ。
遣っちゃったなぁと、素直に思う。
深入りするつもりなんてなかったのに、深入りさせる気しかなかったのに。
最初から逃げ道なんてなかったとしても、もう一寸上手く、私なら出来ると思っていたのに。

幾つもの怨み言が胸の内に浮かんで消えていく。
未だに逃げ回っているのだろう諸悪の根元に、どうか厄いあれと望みを抱いて。
ちっぽけな私は、酷く怠慢に、ゆるやかに、紡ぎたくもない言葉を紡いでいくのである。
凡ては、私の意思として。

「──ご厚意、ありがとうございます」

心にもない言葉。
非常に冷めきった音の並び。
然し其の判りきった内面なんて気づく素振りも見せないで、此の蛇の王様はにこりと私に微笑みを向けるのだ。
待ちくたびれたと、愉しげに。

「其れは、了承の意味でいいんだね?」

最後の念押し。
其れに矢っ張り誤魔化されないかと、最早完全降伏の心境だ。

「はい。よろしくお願いします」

──あーあ。
矢っ張り、大人なんて大嫌い。

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