「いなくなれると思わないでね」


※この話以降、一部にグロテスクな表現があります。

──俺は、此のポート・マフィアに在籍する者である。
階級は、下積みをコツコツ積んでこの前やっと中級に上がったばかり。
まあ云うなれば、成長過程にある男である。

そんな俺は、現在と或る仕事を任されている。
それはまぁ、簡潔にいってしまえば──子守りだ。

その対象は二人いる。
先ず一人は、組織の地下牢で幽閉されている頭のトチ狂った餓鬼、Q。
そうしてもう一人は、父親の所為でそのQの"教育係"となった小娘、久語紬だ。

このQという餓鬼のヤバさはポート・マフィアでは有名なものであったから、俺自身の警戒は当初全てQの方に向いており、小娘は完全に添え物だった。
なんなら、莫迦な親の所為で確実に死が近づいた小娘に軽く同情まで抱いていたほどだ。

──が、それもこの小娘のヤバさ、、、を知ってしまえば、露と消える。

この女は、小娘、、だなんて可愛らしい生き物ではなかった。
それどころか化け物と云っても差し支えなく、更に化け物どころか、その精神はQに負け巣劣らずの悪鬼に近いという有り様だ。
"情緒教育"だなんて大層な役目を賜っているが、確実に其の"教育"が必要なのはこの女の方だと俺は仕事をする度にいつも思う。
それくらい、この娘の頭はヤバい。

何故なら、久語紬と云う女は、恐らく人の心を解していない。
しかも心の代わりにそれらしく、、、、、かざしてる"感情"には程遠い何かで取り繕われたそれは、実に打算的で利己的な、心というにはあまりに粗末なものなのだ。
つまりは、18という癖して、あの内面は全くと云っていい程育って、、、いない、、、のだろう。

表面上は何処にでも居る小娘だと云うのに、其の内面はまるで汚泥のようで。
こちらを見ているのに惘乎ぼんやりとした目の焦点はこちらに定まらないし、言葉を交わしているのに其の真意も感情も薄っぺらく読み取れない。
仮にその心のうちを読み取ろうと腕を突き入れようものなら、底無し沼のようにずぶずぶとこちらの事を汚染してくることだろう。

あの現実を現実と捉えていない、他人事の視線。
例えて云うなら、動物園の薄い硝子一枚隔てた壁の向こう側から、この女は俺達ポートマフィアの事を観察、、しているのだ。

そして、この女をより"異形"に仕立て上げる異能力。
それこそが、正にこの女の異常性を顕にしているのである。

一見すれば、ただのぬるま湯のような力。
朗読した絵本の"世界"に、他人の意識を引きずり込むと云う、餓鬼が大手を振って喜びそうな其の能力。
が然し、其れは表面上のものでしかなかった。

恐らく、この能力の本質は、感情操作、、、、だ。
本来なら抱きもしない感情を、この女の、、、、気分次第、、、、で勝手に植え付けられてしまうのである。

最初は全く判らなかったが、回数を重ねて異能を受けていけばどんどんと其のおぞましさを理解していく。
この女は自分の曖昧な"主観"で、"このくらいの恐怖"、"このくらいの悲しみ"、"このくらいの喜び"、"このくらいの怒り"等と、植え付ける、、、、、感情の、、、を恐らく自分で変更することが出来るのだ。

だからこの前の"3びきのかわいいオオカミ"では、この女の"きっとこのオオカミたちは死にそうな程怖いんだろうな"と云った軽い感想、、、、の所為で、こちらは死に間際の恐怖を、第一戦でしか感じることのない心臓が凍りつくような絶望を、三度も、三度も味あわされたのだ。
因みに軽い感想については、Qの地下牢から出る際に久語紬本人を問い質して発覚した。

なんでも読みながら、本当に軽い気持ちで"こんなに怖いブタに追い立てられたら、いっそ殺してと思うのかな"と云った感想を抱いていたらしい。
その感想は俺的には全く軽く、、はないのだが、この女の心情は理解できるものではないのでそこはもう突っ込まない。

なんせ、一度あの"精神世界"に引きずり込まれてしまえば、外部からじゃ何をしたって脱出することはできないのだから。

耳を塞いでも無駄だった。
機械の向こうからでも効果は同じだった。
一度始まったらこの女が朗読を止めなければ終わることがない。
そうしてその世界で、この女の主観に塗れた身勝手な感情を、まるで自分自身の心情のように抱いてしまう。

それは実に一方的で、おぞましいにも程がある"地獄"だ。
なんたって、感情を植え付けた本人はそれらを把握していないのだから。
だからあの能力には、加減、、、が存在、、、しない、、、のだ、、

そうして、更にあの能力には恐ろしい面がある。
それは、あの異能に精神を取り込まれた人間は、すべからく無抵抗、、、になってしまうことだ。

音源を落としたモニターから確認したところ、牢屋の内側のQも、牢屋の向こう側に居る俺達も、見えない、、、、何か、、に怯え、その場、、、から逃げ、、、、ること、、、なく、、泣き叫んでいたらしい。

自分自身でも確認したが、それは立ち竦むのとはまた違う、移動すると、、、、、いう行、、、動その、、、もの、、を忘れてしまったかのような姿だった。

例えばこの時に敵に襲われでもしたら。
恐らくは、ただ動くこともなく、抑も敵を認知することもなく、殺されてしまうのだろう。
つまりは、あれは、それだけ殺しに、、、向いて、、、いる、、異能というわけだ。

そうして──今。
自分の目の前を歩く女から一度も目を反らさすに、これからこの久語紬と云う人間が入る部屋、、、、に思いを馳せる。

"あの場所"で、この女がどんな姿を見せるのか。
それが気になると共に──どこか、忌避したがる自分が居た。

それは、確かに恐怖、、と云う感情だったのだ。




Qちゃんとの会談が終わって、本来ならホテルへと直行するこの時間。
だけど私は何故か、知らない場所へと連れ往かれていた。

基本的に、私の行動範囲は狭い。
あのロビーから突き当たりの扉を潜って、更にそんな処に?って感じの場所に隠れてる隠し扉を5つ越えた先の、エレベーター。
其の最下層のQちゃんが居る座敷牢が、主な場所。

あとはロビー回りの小部屋だったりとか、お手洗い場所くらいしか、私の行動許可は降りてない。
二階から上はそれこそ初日のあの時くらいしか上がったことがない程度には、私の行ける範囲は少なく、且つ限定されたものだった。

──そんな私が、今よく判らない処を歩いている。

Qちゃんのとことは違う隠し扉を3つ通って、曲がり角を降りた場所にあったエレベーターを下って。
そうして今は多分、Qちゃんの居る階層よりは上の場所を歩かされているのだと思う。
だって、下降が大分浅かったから。

だけどなんだろう。
確かにQちゃんとこよりも階は上な筈なのに、如何にも湿っぽさはこっちの方が上な気がする。
なんというんだろうか。こう、空調をしっかり整備していない感じ。
異様に湿っぽく冷えた空気が、肌に張り付いて少し気持ち悪い。

いつもの黒服さんは、私の後ろを歩いてる。
今私の前に居るのは、初めて見る男性だ。

背骨はやや曲がってて、猫背気味。
うねる髪の毛にはかなり多く白髪が混じっていて、この男の年齢が私よりも大分上なのだと教えてくる。
なんというか──一寸、ねちねちした雰囲気のある人だ。
こういう雰囲気の人は、大体が一度怒ると長く引きずる。

「中々に口が固い男でねぇ」

唐突に、目の前の男がそう言葉を漏らした。
世間話みたいな声のトーン。
だけど誰に対して話しかけているのかわからないから、結局答えることはしなかった。

「まあ、裏は大方取れてるンで、あとは確認出来ればそれでいいンですよね。だけどそれが如何にも手こずっていまして。ほら、万が一って事があるでしょう? だから、此方としては口を割ってもらわなきゃあいけないンですよ。それが例え、判りきったものでもね」

歩いていく内に、重たそうな扉に行き着いた。
だけど、Qちゃんとこの扉とは全然違う。

処々錆び付いた赤褐色の鉄の扉。
それは何故だか、酷くボロボロ、、、、だ。

「さ、お入り下さい」
「……失礼します」

私は其の扉を一歩、滑り抜けた。
そして──其の先の光景に、ひとり、目を見開くのだ。

其処は、恐らく、、、拷問場とでも、云うべき場所だった。

幾つもの、手術の時にでも使いそうなカートがあちらこちらにあって。
其の上には、赤黒い何か、、、、、に塗れた"器具"が乱雑に置かれている。

それらには処々、固形物のようなものがへばりついていて。
ああ、肉か、、と私に実感させるのだ。
つまりは──此処は、本当に"拷問場"なのだろう。

視線は、其の儘部屋の中央に居る、、男へと流れてく。

其処に居る、座り心地の悪そうな椅子に雁字搦めに縛り付けられている男は、黒い布で目隠しをされていた。
だけど其の下の口には猿轡を噛ませられていて、私は惘乎ぼんやりと、"これじゃあ答えられないじゃないか"と不思議に思う。
だって、答えようにも口を塞がれていたら、言葉なんて吐き出したくも吐き出せない。

端から見ても乾いた頬に滑る涙のような、、、、、血液に、、、、あの目隠しの下にはきちんと眼球が残っているのかしらとも思いつつ。
首から下をきっちりと黒い布で覆われた男を隈無く見終えた後に、私はだからなんなのかと、私を先導した男へと目を向けた。

其の男は、正面から見ると、背面から見るよりも齢を重ねているようだった。
と云うよりも、初老と云うべきなんだろうか。
昔懐かし、と云った風の歴史ヴィンテージ感溢れる丸眼鏡型のサングラスを掛けていて、其の表情は読めない。
ただ、金の金具に鼈甲が飾られる其のサングラスは、嘸やお高いんだろうと私に思わせた。

「さあ、どうぞ」
「……! これは、」

初老の男性は、私にひとつの絵本を差し出した。
そう、ホテルに置いて、、、、、、、ある筈の、、、、私の、、絵本を、、、、差し出してきたのだ。

それをされるが儘に受け取って、其の表紙を確認する。
其れ、、は、確かに此の場所には相応しい、、、、もので、、、
だけど──だから、何故今此れを、ホテルに置いてあった筈の此の絵本を、差し出されたのか判らない。

「貴方の異能は聞き及んでおります。いやはや、中々に興味深いものですな。実に面白い」
「……ありがとうございます?」

誉められているのかは正直わからなかったけれど、まぁ、貶されてはいないようだったので取り敢えず礼を述べる。
すると、其の対応で"正解"だったのだろう。
彼は口許だけでにこりと笑い、私の後ろにいたいつもの黒服さんに指先だけで指示をして。
あの拘束された男から少し離れた場所に、古めかしい木製の椅子を置かせた。

背中に置かれた赤地に金糸で飾られたクッション迄古めかしい形ヴィンテージで。
ああ、此の人の趣味なんだなぁとひっそりと理解する。

「どうぞ、お掛け下さいなお嬢さん」
「……では、失礼します」

椅子に座れば、其の方向的に如何してもあの拘束された男が視界に入る。
ひゅーひゅーと溢れる、時折痙攣する息は実に不安定で。
恐らくは現在も、私には判らない苦しみを感じているらしい。
ぽたりと、男の顎からまた血液が落ちた。

「お察しかとは思いますけどね、お嬢さん。貴方には此れから其の絵本を読んで頂きたい。そうしてね、ただ読むのではなく──其処に、、、描か、、れる、、人間を、、、凡て、、其の、、男だ、、と思って、、、読んで欲しいンですよ」

──此の男だと思って読む?
私は手元の本と、目の前の男のことを見比べた。
そうして、思う。
まあ──それくらいなら出来るだろう、、、、、、、、、、、、、、と。

ギシリと、座る椅子の背凭れに、初老の男の手が置かれた。

「多分、出来ます。遣ったことはないけれど、恐らくは」
「……ほほう。其れは其れは」

後ろから私の本を覗き込むようにして男は、其の儘私の耳元でこう問いかける。
其れはとても、愉悦を滲ませた音の響きだった。

「──朗読時間は、如何程で?」
「……おおよそ、10分くらいですかね。じっくり読みたいので」
「結構ですよ。では、其れ迄私らはに居ましょう。終わったら如何ぞ、扉を開けて出てきて下さい」
「判りました」

其の言葉を皮切りに、男は椅子から手を離して出入りのあの重い扉の方へと歩いていく。
一緒についてきたいつもの男性は、初老の男と私を何度か見比べた後、わざとらしく咳き込んだ初老の男に急かされるように扉の方へと歩いていった。

私の背後で、鈍い音を立てて扉が閉まる。
其れと同時に、高い機械音と共に、あの男、、、の猿轡、、、がカシャリと外れて、混擬土コンクリートの地面に落ちた。

──途端に、酷くささくれだった、死に絶えの男の声が此の密室空間にぐわんと巡る。

「舐めやがって! 誰が云うか! 祖国の為に! 許さねぇ! 報復してやる! 俺は折れない! 貴様ら何ぞに負けるものか! 死ね! 報いを受けろ! 殺してやる! どんな手を使っても! 報いを! 仲間が! 貴様らなんぞ! 死ね! 殺す! くそったれども! 死んじまえ!」

──椅子が離れてて、よかったな。
もしも近くにいたら、あの血液混じりの唾が飛んできていたことだろう。
血は中々落ちないから、特に自由に買い物のできない今、無駄な出費は避けたいのだ。

そうして、遠目からでも歯が何本も欠けているのに、元気だなぁと思いつつ。
私は手元の本をぺらりと捲って、ゆったりと唇を開くのだ。
そう、其の表紙の──タイトルを。

「其れでは、始めましょう。──"地獄"」

別名、皆のトラウマ。




日もすっかり沈み、大きな月が宵の空を照らしている。
まるで笑うような暁月は、此方を見下ろすように鋭利な弧を見せびらかしていた。

「──恐ろしい、異能ですな」

初老と仮呼びされた男が、そうぽつりと声を出した。
彼の手元には、と或る絵本が開かれていて。
ぺらりぺらりと捲った後に、男は其れを目の前の──彼よりは幾分か若い男へと丁重に手渡した。

「見るからに怖いからねぇ。いやぁ、私がもしも彼女に此れ、、を読まれたらと思うと、ぞっとしてしまうよ」
「ふふ、私もです、首領、、

首領と呼ばれた男──森鴎外は、にこやかな表情の儘、初老の男性と同じように絵本を開く。
其処には、数多の方法で、地獄の鬼に、、、、、拷問を、、、受ける、、、人間、、が、まるで掛け軸のような古めかしいタッチで鮮明に描かれていた。

舌を抜かれる者、腹を裂かれ、臓物を抉り出される者。
生板で生きた儘捌かれる、、、、様は、見るだけでもぞっとする。

「こんなものが子供向けだなんて云うんだから、絵本の世界と云うのは奥が深い。私が親だったら、先ずは読ませないと思うけど」
「まぁ、これらの書物には、と云う役目もありますからね」
「躾! ああ其れは確かに。いやぁ、面白い」

一頻り笑い声を溢した後に、鴎外は其の絵本を机へと置いて。
肘おきに肘をつき、其処には自らの顎を乗せた後、側に控える初老の男性に「それで、」と言葉を投げ掛けた。

「如何かな彼女は。中々に、逸材だと思うんだけど」
「ええ。実に、素晴らしい才能ですとも。他人、、の生死、、、には、指ひとつ動かさない。訓練を重ねても、中々ああ、、はなりませんよ」

そう初老の男性が云えば、然し鴎外は意外そうに目を瞬いた。
そうして其の疑問の儘に、やや不思議そうに口を開く。

「あれ、そうなのかい? 割りと彼女、此処で話した時は積極的に怯えてたと思うけど」
「それは自分の生死が関わっていたからでしょうね。あれは恐らく、大分感情が止まってる、、、、、

初老の男性はそう云って、更に「しかもかなりの年期を感じますな」と続け様にそう述べた。
その表情は──しかし、愉しげだ。

「君がそう云うンだったらそうなんだろうねぇ。なんせ、君には、感情は、、、丸見え、、、なんだから」
「──ふふ。ただ、人より少しばかり奥迄視えるだけですよ」

そう云って笑う男に。
鴎外も同じように笑みを浮かべた後、どこか探るように瞳を細める。

「それで、上手く育てられそうかい? 私、あの子には割りと将来性を感じるのだよね」
「でしょうな。なんせ、私の、、部屋、、に送り込むくらいですから」

そこまで云って、男は少し言葉を止めた。
そうしてやや間を開けた後に、ゆっくりと途切れた言葉を続けていく。

「──私も、そろそろ弟子、、が欲しかった処です。前のは潰れてしまいましたからなァ。同じ轍は踏まぬよう、大事に大事に育て上げましょう」
「よろしく頼むよ、鉄斎さん、、、、

鉄斎と呼ばれた男は、それに「任されました」と口にした後、恭しく礼をして。
其の儘机の上の絵本を手に取った後、用は住んだとばかりに、扉へと足を向ける。

鴎外はそれを思惑の見えない表情で見送って。
完全に男の姿が見えなくなった頃に、足を組み直して頭上の月を仰ぎ見た。

「……いやぁ、怖いよねぇ」

なんて漏らす、其の顔は。
然し笑みを浮かべた儘、また弛やかに瞳を細めた。

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