「う゛っ、ひっ、うぅっ、う゛ぇっ、げふっ、う゛ぇ゛ぇっ、う゛〜〜っ」
「ふっ、ぐっ、……っ、……ッ、……、!」
「うぅぅ……ッごんっ、……っ」
「なんでだよ、なんでだよぉぉ……っ」
「ウ゛ぉえっッ! げっふぉっ! う゛ぇっ」
思ったよりも多い啜り泣きが、聞こえる……。
──なんだかなぁ。
私は変わらずソファーに一人腰かけながら、戸惑いの儘周りを見渡している。
いやもう、えっ、まさか
まずは、目的だったQ。
もう、凄く号泣。大きな目がと溶け落ちるんじゃないかって位、泣きに泣き濡れている。
何なら結構な頻度で息が詰まる呼吸音を響かせていて、過呼吸に片足突っ込んでないかなと不安になる勢いだ。
そして、此処からが意外だった。
牢屋の向こう側の、お兄さん達。
あれだけにこりともしなかった人たちが、揃いも揃って崩れ落ちて泣いているのだ。
特に帽子のお兄さんとかヤバい。
しゃがみ込んで顔をぐしゃぐしゃにしながら涙をこぼし続けている。
遠くの壁側の方に飛ばした帽子は、あれか。
涙で濡らさない様に放り投げたんだろうか。
「…………えっと」
なんかもう如何すればいいのかわからなくて、私は小さく声を出すけれど。
然し私の些細な声なんて、本気で大号泣している人たちの耳には届いてない様で、皆泣いては咳き込むばかりで私に対して反応を呉れない。
──如何しよう、まだ絵本あるんだけど。
「えぇっと、次の話、読んでも佳い……?」
「っ、! うあ゛っうぇ゛ぇ! ひっ、ッひぐっ、うっ、うぇ、や゛ッ、だっ、ッ、げふっ、ゃ、やだぁッ、……ごほッ、!」
「お゛っまえっ……マジっ、ぐっ、……ッ、や゛めっ、ろっ、」
「えぇ……でも……情緒教育……」
「いいがら゛っ、や゛め゛ろ゛ッッ!」
──えぇ……。
いや、やるなって云うならやらないけれども。
だけれど、ええ、えええ……。
じゃあ私はいったい、如何すればいいのだろうか。
──と云うか、そんなに朗読上手かったんだろうか。
学校とかじゃあ一段落にも満たない言葉の連なりを喋るくらいしか読み上げはしないから、実は、地味に今回が初めての朗読だったのだけれど。
私、意外と朗読の才能があったのかも、なんて。
号泣の大合唱をやや呆然と聞きつつ、思ったりしてしまう。
と云うかちょっと、泣きすぎじゃない?
なんてことを思っていたら。
『──あーー、中原君。
「っ!」
「うわっ吃驚した」
突然上から
何処かに
この調子だと、恐らくカメラもあるんだろう。
『此方も少々
「ッ、……ぐっ、…っひっ、ぅ゛っ、……っ」
『…………喋れなそうだねェ』
「……っ、すびば、っ、せ……ッ!」
『いやいや、佳いんだ』
頭上で交わされる会話に、私はおろおろするばかりだ。
いやだって、なんだ、私は如何すればいいんだ。
と云うかアレだろうか、異様な事態って、もしかしてカメラの向こうでも泣いてる人が居ると云う事だろうか……?
私の朗読で……?考えすぎ?そんな事ってある?
『──お嬢さん』
「……あっはい」
声を掛けられて、一瞬呆けたものの。
此の場に居る"お嬢さん"は私しかいないわけで、じゃあ私に話しかけてんのかとほんの少し背筋をぴんと伸ばして姿勢を正した。
『君は、この状況を如何思っているのかな?』
「えっと……。皆さん、まさか泣くとはと云うか、こう、感受性豊かなんだなと、思って、います……?」
『ふむ……』
──え、なんだろう、恐い。
そんなに泣くの、いけない事だったんだろうか。
いや拳銃持ってたしな、こう、箔的な問題で涙は見せちゃいけないとかあるのかもしれない。
そう思って、目の前で結局過呼吸になりびくびく震えている子供と、一生懸命呼吸を整えようとして失敗しているお兄さんたちを眺めて。
そうして、先程の自分の考えを思い浮かべて、こう思いなおす。
……いや……ないだろ……。
『うーん、お嬢さん』
「あ、はい」
一人結論づけていたら、
なんかもう、いっぱいいっぱいで恐怖を感じる暇もない。
と云うか情けない泣き声で、恐怖感が如何にも薄れてる。
『君は、何をしたんだい?』
「……えっと、絵本を、朗読しました」
『何の絵本?』
「"ごんぎつね"です。好きなので」
『あぁ……確かに情緒教育に向いていそうで泣けそうな絵本だねえ』
何となく、見せた方が佳いのかなと思って何処にカメラがあるのか判らないけど天井に向けて絵本を傾げてみる。
次いで、泣けそうな絵本ではなくて泣ける絵本だと訂正しかけて、やめた。
下手な言葉は云わないでおこう。
『
「はい」
『そして読み終わったら周りの人間が
「はい。読み終わったら泣いていました」
むしろ読み終わってから大変驚いた。
だってQと云う子供は愚か、大の大人まで顔を涙と鼻水でべしゃべしゃにしていたのである。
『読んでる最中は周りの泣き声は気にならなかった?』
「……読むのに夢中で、気付かなかったです。あの、きちんと朗読したの、今日が初めてだったんで」
『……はじめてか』
──え、なんで"はじめて"に反応すんの。怖くてキモい。
無駄に感じてしまった嫌悪感に、本をぎゅっと抱き込んで居れば。
『う〜ん。試してみないと判らないな。君、他に絵本持ってないの?』
「あ、あります」
「っ!?」
『じゃあそれ一寸読んで貰っても佳い?』
「はい」
云われるが儘に次の絵本を出していれば、お兄さんたちがぎょっとしたのが判った。
ついでに云うと、何人か出ていこうとしてる。
「しゅ、しゅりょっ……!」
『うんありがとう。エリスちゃーん、一寸こっち御出で〜〜絵本の朗読が始まるよ〜〜。あ、中原君たち。君たちは其処から出ちゃ駄目だからね』
「…………!!」
──社会人って、大変だなあ。
そう思いながら、私はぱらりと絵本を開いた。
これは如何だろう。
人によっては、あんまり涙腺は刺激しないかも。
「じゃあ、はじめます。──"100万回いきたねこ"」
ただこれも、込み上げるものがあって、私好きなんだよね。
言葉ひとつで考えさせられ、じわじわ心に沁み入る話の、なんと素晴らしいこと。
何か響けば、嬉しいな。
物語を読み終えて、ぱたりと絵本を閉じる。
果たして挿絵を見ない儘で面白かっただろうか──と若干不安に思って、未だ何処にあるのか判らない監視カメラに伺いを立てようと顔を持ち上げた。
──ら、其の時になって、やっと周りの現状に気が付いたのである。
「………生きてますか?」
「……………、…」
返事がない、只の屍のようだ──なんて。
云ったら殺されたりするんだろうか、と思いつつ。
前方と牢屋の向こう側に視線を遣って、躊躇いがちにもう一度声を掛けようとして、やめた。
なんだろう、なんか、凄く大惨事と云うか、一寸乱暴されたみたいになってる。
お兄さんたちは揃いも揃って、ひゅうひゅうぜぇぜぇ呼吸を荒げていて。
さっき大号泣していた名残だろうか、真っ赤に染まった顔の儘、躰を支えることも出来ずに冷たい床に崩れ落ちてぴくぴく動いてる。
其の中でも元帽子のお兄さんは顔が取り分け綺麗なこともあって、なんか、こう、大変な感じだ。
写真を撮って売ったらもの凄く高く売れそう。
たまにびくんと大きく跳ねる躰が、なんというかこう、凄く卑猥。
そうして目の前の男の子は、もうなんか、気絶していないだろうか此れ。
お兄さん達よりも大分大袈裟にびくんびくん動く躰は、然しベッドの中に沈んでいて他に動く素振りを見せない。
其れに死んでないといいなと思いつつ。
死にたくなければ触るなと云われているばっかりに、背中を擦ってやることも出来ない。
取り合えず、此の距離からQが生きていることを願うばかりだ。
まあ、絵本で死ぬ人間なんて居ないだろうけど。
『面白かったわ! 難しくって寂しい話ね。でもアタシ、好きよ!』
「よかったです」
きゃっきゃと可愛らしい笑声が聴こえて、ほっと息を吐く。
此の子は多分、
華やかな、可愛らしい声だ。
そうして、楽しんでいただけたらしい反応に、ほっと息を吐く。
佳かった。やっぱり絵が見れないと詰まらないとか云われたら如何しようかと思った。
「そう云えば、あー、"リンタロウ"さん? が試したいとか何とか仰られてましたけど、如何でしたか?」
『ん〜? リンタロウー、質問されてるわよ』
『………、…』
『ダメね。使い物にならないわ』
えっ使い物にならないとは。
なんとなく、ぱちくりと瞬きをして、辺りの死屍累々の惨状を視界に入れる。
──え?もしかして?
「えっ。え、え? リンタロウさんも、こう、えっ感動されたんですね。意外」
『あら、リンタロウは泣き虫よ』
「……そ、そうなんですね」
ほんと、意外ってか、え、マジか。
確かににこやかな顔はしていたはしていた。
でも、其の実あまり心揺らがないタイプの人かと思っていたのだけれども。
意外と、人は見かけによらないのかもとも、思いなおしたり。
まあ実際、一言二言話しただけなのだから、其れで知った気になって居る方が間違っているのだろう。
──と、そんな事を考えていたら。
『……お、おじょう、さん』
『あ、ねぇ、リンタロウが復活したわよ』
「あ、はい。なんでしょうか」
心なしかぜぇぜぇとした荒い呼吸が聴こえる様な気もしないもでもないが、まあ聞き取れるから佳いかと耳を澄ませる。
"エリスちゃん"と云う女の子曰く"復活"したリンタロウさんは、然し息も絶え絶えの声の儘、絞り上げる様にこう言葉を吐き出した。
『──一寸、お話があるから上まで上がって来てくれるかな……。勿論、中原君たちと一緒に』
「……はい、わかりました」
え、なんだろうやっぱり殺されるのかな。
私結局絵本読むことしか出来ないで殺されるとか、なんかもう情けないにも程があるなあ、なんて。
思いつつも、然し如何にも出来ないから膝に置いていた絵本を鞄に詰めて腰を上げる。
すると其れとほぼ同時刻に鉄格子が
未だ通算二回目だけど。
「あの、上に往くように云われたんですが……大丈夫ですか?」
「…………」
私の問い掛けには一切答えずに、其の人は息も絶え絶えの壗、鉄格子に捕まって立ち上がった。
足が若干覚束ないと云うか、一寸ぷるぷるしている。
──大丈夫だろうか。
此れは手を貸した方がいいのでは、否然し、と考えていたら。
其の元帽子の人は、ぷるぷるぶるぶる震えながらも、其れでも二本足で確り立って。
其の儘未だ蹲る人たちを「オラ立て」と蹴り飛ばして立たせたので、こっわ、と思いながら私は壁の方に放り投げられていた帽子を拾い上げる。
なんかよくわかんないけど、高そうな帽子だ。
「あの、どうぞ」
「……あァ、どうも」
おずおずと控えめに差し出せば、微妙そうな顔をされたけれど、然しちゃんとお礼をして呉れた。
めちゃくちゃ意外である。
ついでに云うと、鼻がとても真っ赤。
そうしていると、次第に周りの人たちも復活してきたらしくて。
未だに嗚咽の声が響くけれど、其れでも立ち上がる人たちは──明らかに私の事を避ける様にして立っている。
何と云うか、往きよりも大分距離感ある感じ。なぜ。
「お前は残れ。Qの様子が少しでも可笑しかったら連絡しろ」
「っ、は、はい、」
帽子の人は一番泣き腫らしている人にそう声を掛けて。
そうして私を含む残りの人をぐるりと見渡した後、私が腕に抱える鞄を指さした。
「誰か、其の女の荷物を持て」
「はい」
鞄には、大したものは入っていない。
だけれど、此処にはお財布とか携帯とか、教科書とか筆箱──あと絵本とかが入っていて。
あんまり渡したくないなあと思いはするけど、拒否することも勿論できないから腕を伸ばしてくる人に渋々渡す。
携帯は、せめてポケットに入れておけばよかった。
「往くぞ」
私が鞄を引き渡したのを確認してから、帽子の人はそう云って。
私も、往きと同じく──否大分控えめにはなったけれど──背中を押されるが儘、歩み始めていく。
「……」
最後にちらりと振り返ってみたけれど。
あのQと呼ばれた男の子は、いつの間にかすっぽりと頭まで布団を被ってしまったみたいで、結局姿は見れなかった。