あとついでに、道端なんかに咲いてる花も引っこ抜いて。
其れらを手にポート・マフィアの入り口で
ちなみに一応、黒服の人たちも着いてくる。
だけど基本だんまりで、時間以外の事を云ってくることはなく、そのマネキンみたいな様子はまるでターミネーターのようである。
ただ、"一日一回"と決まった朗読用の絵本を見て、一喜一憂する姿は正直云うと少し面白い。
明らかにお涙頂戴な絵本を持ってくると、皆さん、言葉はなくともまるで死地に逝く兵隊みたいな顔をするのだ。
別に死ぬことなんかないのに。情けない。
と云うかそういう顔されると、
──ゴゥン、と音がして。
エレベーターが示すランプは、最下層。
最早勝手知ったると云った様子で地下廊下へと足を踏み出せば、コツン、と冷たい石の音がした。
いつもの如く、此処の地下はとても肌寒い。
今度からカーディガンを羽織ってこようかな。
コツコツと、ローファーの音を立ててほの昏い灯りを頼りに歩いていく。
そうして数分もしない内に見えた扉に、私はほっと息を吐いてその数歩手前で立ち止まった。
黒服さん達が、重たそうな扉に手を掛けて、推し開いて往く。
なんでかいつも私はその扉に触れさせては貰えなくて。
其れに徹底してるなあと思いつつ、まあいつもの事かと私は其の開いた扉を潜るのである。
「こんにちは、………え、えっと、……その、……紬、ちゃん」
「うん。こんにちは、Qちゃん」
ソファーに座っていたQちゃんは、私を見て、一瞬だけ身体を跳ねさせて。
そして其の儘、何処かそわそわしつつ、しどろもどろにそう言葉を呟いた。
なんというか、此の前から妙に私の事を"初めてのお友達"と意識してしまっているらしく。
毎回こんな感じで、出会い頭はそわそわ落ち着きのない様子になってしまうのだ。
まあ、毎度別れ際には慣れるんだけれど。
最初こそ、私もつられてやや照れてしまったものの。
だけど其れで私までそわそわしてしまったら、多分きっと此の空間そのものが落ち着きなくなってしまうわけで。と云うか実際一度如何にもやりにくい時があったので。
あんまりこっちは意識しない方が善いんだろうと、私は極めて普通を貫いて少し開いた鉄格子の中へと入るのである。
そうしてソファーに座るQちゃんの隣に腰かけて。
絵本を膝に置いて、其の儘尚もカチカチに緊張しているQちゃんの手を取って、その手に買った花束を持たせてあげた。
「……なにこれ?」
Qちゃんは、子供らしく意外と単純だ。
どんなに緊張していても、少し興味を
例えばそう、こんな風に。
「此処に来る途中のお花屋さんでね、買ったの。ガーベラって云うお花。そしてこっちが適当に詰んでみたナズナってお花」
「なずな」
「ぺんぺん草とか呼ばれたりもするね」
「ふぅん」
発色の強いガーベラと色味の薄いナズナ、どっちに興味を持つかなあと見ていれば。
意外にも、Qちゃんが興味を見せたのは、ナズナの方だった。
オレンジ色の包装紙で飾られたガーベラの小さな花束を膝の上に置いて、興味深そうにナズナの花を手に取ってまじまじと見ている。
「なんでぺんぺん草って云うの?」
「それはね、此処のとこ。此の細かく飛びでた先っぽが、三味線って云う楽器のバチに似てるんだ。三味線は三本の線をバチで、こうやって
「そんなに似てるの?」
「一寸待ってね……あ、こんなの。どう、似てるかな」
鼻先にぺんぺん草を近づけながらそう聞いてくるQちゃんに、携帯で検索して、三味線の画像を見せてあげる。
するとQちゃんは、其処に映る楽器の形に、えぇ、と実に素直に言葉を漏らすのだ。
「似てなくない?三角じゃん」
「あら、こっちも三角だよ?」
「でも違う三角だよ。全然似てない!」
「じゃあ、もう一個の理由を教えてあげる。貸して」
中々に、Qちゃんは厭なものは厭と云う厳しい判断基準を持っているようで。
ぺんぺん草の一般的な言い伝えには納得いかない様子なので、私的に、もう少し信憑性のある"理由"を披露することにする。
と云うか懐かしい。
私もお母さんに教えて貰った時に、同じ反応をした気がする。
そしてその時も、こうやってもう一個の理由を教えてもらったっけ。
「ぺんぺん草のね、此処んとこ。此の、飛び出てる処を引っ張ります」
「え、抜いちゃうの?」
「ううん、違うよ。取れちゃうギリギリの処まで裂くの。やってご覧」
「うん……」
やや訝し気な視線で見られつつも、手渡せば恐る恐ると云った様子で其の小さい手は根元を掴んで、引っ張り始めた。
正直一個くらいは引き裂き切っちゃうかなと思ってたんだけど、Qちゃんは意外と器用らしい。
絶妙な力加減で、全部ひとつも引き裂き切ることなく、上手に伸ばして呉れた。
昔の私よりも上手いかも。
「わぁ上手。じゃあ其れをね、耳元に寄せて、こうやってくるくるって茎を回してみてみて」
「え? こ、こう……?」
「うんと、違うね。こうだよ」
手首ごと回し始めたから、Qちゃんの手ごと軽く掴んで、指の間でくるりとぺんぺん草を回してみる。
すると抑々距離が近いから、私の方にも
詰まる処──"ナズナの音遊び"である。
「! 鳴った!」
「鳴ったねぇ」
「シャミセンじゃないよ! 名前、絶対こっちだよ!」
「なのかも。昔の人は三味線みたいーってナズナの事をぺんぺん草って読んだけど、現代人の私たちからすると、三味線よりもこっちの音の方がぺんぺん草っぽいよね」
私がそう云えば、Qちゃんは指先を擦り合わせてくるくるとぺんぺん草を回転させながらも、私の方をじぃ、と見上げて。
そうして、少し小莫迦にするような顔で、こう呟いた。
「昔の人って莫迦だね」
「感性が豊かなの」
Qちゃんは、いつもの如く、やや言葉選びが悪い。
と云うかなんかこう、相手の事を煽る事が得意と云うか、絶妙に喧嘩を売るのである。
私は別にいいけど、そんな風に相手を煽る言動を繰り返してたら、此の血生臭いヨコハマの事だから、変に突っかかられたりしそうで少し怖い。
こんな小さな躰なんだから、殴られでもしたら簡単に吹き飛んでしまう。
「あんまりね。莫迦とか周りに云っちゃだめだよ?」
「なんで?」
「煽り耐性のないおじさんとか、直ぐ頭に血が上る人って多いんだから。怒って攻撃してくるかもしれないよ。只でさえ、ヨコハマって治安悪いんだから」
「お姉さんも大概じゃない?」
「あ」
「……あっ」
なんとなしにQちゃんに、一応年上として注意をしていれば。
Qちゃんは、ぽろりと私のことを
そう、
瞬間に、
私はにんまりと、唇を吊り上げて思わず笑ってしまった。
「あ、あ〜〜っ! ちがっ違うから! 今の、違う!」
「違わないねぇ。はい、絵本ポイント1点追加。あと4点で10点溜まっちゃうよ。頑張ってー」
「ああ゛〜〜〜っもうっ!」
私とQちゃんは、と或る
ルールは簡単。10点を満点として、私がQちゃんを"Qくん"と呼んだら減点1点。
逆にQちゃんが私の事を"お姉さん"と呼んだら加点1点。
私とQちゃんの点数を足し引きして合計10点に到達してしまったら、一日一回の絵本に追加して、"お涙系絵本"を続けざまに読むという内容だ。
あんまりにも私の事をちゃん付で呼んでくれないQちゃんに痺れを切らして始めた
ついでに云うと、鉄格子の向こう側の黒服さん達も、言葉こそ出さないがなんとなく一喜一憂しているのを感じて、正直面白い。
そんなに泣きたくないのかな。
日頃使わない涙腺、使うのも別にいいんじゃないかと思うんだけど。
「ちなみにねえ、タイトルは選ばせてあげる。今候補にあるのは、"泣いた赤おに"、"スーホーの白い馬"、"チロヌップのきつね"」
「やだよっもうタイトルからして嫌な予感しかしないよ……ッ! 赤鬼と馬とキツネになにか起きるんでしょ判ってるよ……!!」
「個人的にお勧めは、う〜ん、まあシンプルに泣いた赤おにかなぁ」
「シンプルってなに? 他二つは複雑なの……?」
いやぁ別にそう云う訳じゃあないんだけども。
だけど、あれか。タイトルから内容を予想するのも、或る意味頭使うし勉強になるかなぁと思って、にっこり笑うだけに留めることにする。
すると何故かQちゃんの顔が盛大に引き攣ったんだけど──まぁ、面白いから佳いか。
段々と、色んな表情を見せるようになってきて呉れたなあと、こんな事を思える立場ではないけれど、少しだけほっこりする。
「じゃあ、取り合えず今日の絵本を読もうか」
「えっ此の流れで?」
「大丈夫、今日のお話は怖いお話じゃなくて楽しいお話だから」
「……ほんとに?」
「ほんとほんと」
なんでこんなに信用無いんだろうかと思いつつ。
膝に乗っけていた絵本──あ、裏返しだった──を、引っ繰り返す。
すると、横にくっついていたQちゃんの躰が、何故だか
「……
「え? うん。全然怖くないよ。楽しいお話だもの」
まぁ、登場人物──動物?からすると、恐い話かもしれないけれど。
だけどこの話全体からすれば、恐怖なんてひとつもない筈だ。
なので私は、やや胡乱気なQちゃんの様子はさらりと流し。
ゆっくりと膝に乗せた絵本を開きながら、口を動かすのである。
「じゃあ、お話するね。──"3びきのかわいいオオカミ"」
──怖くないと、思ったんだけど。
目の前には、否横には、ソファーの端ギリギリまで離れて震えているQちゃん。
其の下の、床には
しかし、ええ、なんで?
「……Qちゃん? お花可哀想だよ?」
「さ゛わ゛り゛た゛く゛な゛い゛」
「ええ? なんで?」
床に転げ落ちている花束とぺんぺん草を拾って、如何しようか迷った末にサイドテーブルの上へと置いた。
そうだ、ぺんぺん草は兎も角ガーベラは花瓶かなんかに入れてあげないと。
じゃないと、直ぐに弱ってしまうだろう。
然し此処に花瓶はあるんだろうか。
──最悪ペットボトルで如何にかするかなあ、なんて思っていれば。
ソファーの端で、ぶるぶると震えていたQちゃんが、こちらを振り返って怨めし気に睨みつけていた。
その目尻には──何故だろう、涙が見える。
「こ゛わ゛くないって、恐くない゛って、い゛っだのに……!」
「怖くないよ。ハラハラドキドキ楽しいお話だったじゃない」
「お姉さんはぁッッ!」
──あ、追加1点。
然し今其れを指摘すれば本気で泣くかもしれないと、取り合えず笑って吐き出される言葉を待つことにした。
お姉さんは、一体なんだ。
「
「……うん?」
──のうりょく?
云われた言葉に、思わず首を小さく傾げる。
別に、それは──判っている心算、だったけど。
然し、如何にもQちゃんが思っている
ええ〜?と少し疑問に思いつつ、一応、と云った感じで取り合えず口を開いた。
「朗読したら、絵本の中に聴いた人を招待しちゃうん、だよ、ね?」
厳密に云えば、絵本の世界が目の前で再生されるんだっけか。
でもまあ、大まかに云えばこういう解釈で間違いない筈だろう、とひとりでに納得してれば。
然し、ぷんぷん怒り始めたQちゃんは、そうじゃないと声を荒げるのである。
「違うよ! お姉さんの異能は、招待なんて
──うん?
詰まり?どういうこと?
そんな、思わず考え込んでしまった私に。
未だ怒り心頭のQちゃんは、段々と目尻を真っ赤に染めていきながらも、きっと尖がらせた唇で言葉を続けていく。
「僕はっずっと
ぼろり、と。
堪えられなくなった涙が、遂に大きな瞳からぼろりとこぼれた。
其れを私は呆然と見ながらも、動けない。
云われた言葉に、思考が硬直して、動けない。
「僕はオオカミじゃないのにっ
目尻処か、どんどん鼻先まで真っ赤に染まって。
最終的には、眉間にぎゅっとしわを寄せて、Qちゃんは俯いて泣き始めてしまった。
うわぁんと、其の震える声を聴いて。
其処で私はやっと、はっと躰を動かすことを思い出したのだ。
あとね、花はね、純粋に良い匂いだったから心が洗われたんだと思うよ。
「ご、ごめんっ、ごめ、ごめんね、Qちゃん」
──え、ど、どうしよう。どうしたら。
年下を泣かせたのなんて──否と云うか誰かを泣かせたのなんて初めてで。
如何すればいいか判らなくておろおろと狼狽えていたら、不意に鉄格子の向こうに居た黒服の内の一人の人が、
因みにその周りの人たちは、皆顔色が真っ青である。
一瞬その人が何をしているのか判らなくて、ぽかんとしてしまったのだけれど。
然し、あんまりに鬼気迫る其の様子に、再度亦はっとして、同じジェスチャーをした後にQちゃんを指さしてみた。
すると、すかさずにもの凄い勢いで頷かれたから、ああ、そういう事かと未だにぼたぼたと涙をこぼしてぶるぶる震えているQちゃんに、にじり寄る。
そうして、腕を其の小さな躯に回してみれば。
Qちゃんは、一度
──地味にショックである。
「ほ、
「ッ、……っ、うぅっ、…うぇっう゛〜〜ッ」
「ごめん、ごめんね。今回は、笑って貰おうと思ったの」
「うぅ〜〜っ、うぇ、うぇぇッ、!」
「Qちゃんに笑って貰えるって、思ったの……」
──だって、ブラックジョークとか、好きそうだったから……。
否もう、だからもう、かなり吃驚と云うか、本気でショックである。
なんだろう、こんなんだったら普通に"三びきのこぶた"にしとけばよかった。
オオカミの感情に引っ張られたっていうんだったら、あっちだったらオオカミは加害者で、恐くなかっただろうに。
笑って蟻の巣に炭酸を注ぎそうなタイプだと思ったのに、とんだ誤算である。
そうか、此の子は意外と、追い立てられる様なタイプの絵本は苦手なのか……。
凄く意外、だなんてことを思いつつ。
何度厭がられても背中を擦っていれば、段々と離れようと動く腕が、弱まり始める。
逃げるの諦めたのかな。
「……っ、も、もう、あんなの、やだ」
「うん」
「こ、こわ、こわかったっ。ほんっ、ほ、ほんとに、ッ、こ、こわかっ、たぁ……!」
「うん、ごめんね」
次はもっとこう、追い立てる側の気持ちになって読むことにしよう。
ぶっちゃけると自分は絵本の世界とやらがどんなのかは全くと云っていい程判らないために、其の感情とやらがどんなものなのかは判らないのだけれど。
若しかしたらあれだ。今回は、そう、襲われる側のオオカミの気持ちになって読んでしまっていたのかもしれない。
だから、襲われる気持ちを共有してしまったと、そういう事なんだろう。
それは悪いことをした。
──此の異能とやら。そこんとこも、もうちょっと理解したいな。
うん、次は襲う側の気持ちになって読んでみよう。
多分感情をそっちに向ければいけると思う。多分。
なんて思いつつ、繰り返しごめん、と謝り乍ら背中を擦り続けていれば。
段々とQちゃんの呼吸も落ち着いてきて、やや引き攣けは起こしているものの、ハリネズミみたいにトゲトゲしていた感情も、大分穏やかになってきたみたい。
ずび、と時折鳴る鼻に、ティッシュ何処にあるかなと思いつつ。
ああそう云えば、と、私は出来るだけ優しく努めながら、こう囁くのである。
だって、ルールはルールだし。
「
「──〜〜〜〜〜ッッ!!」
ちなみに此の後、Qちゃんは何故か再度、火が付いた様に号泣を再開して。
私は何故か、今の今まで適切な距離を保っていた筈の黒服さんたちに、帰りの地下道でひたすら適切な距離を保ったまま、遠回しな表現で"お前に心はないのか"と怒られ続けられることになるのだった。
と云うかあれだ、怒られると云うか、遠巻きに、まるで危険物を扱う時みたいに一定の距離を保ったまま怒られ続けた。
別に、私は危なくもなんともないのに。
否もう、なんでだろう。