あの王国はお砂糖まみれ

世界が、急速に染め上がる。

頭の中が蕩ける様な、なのに心の内を擽られているような、ふわふわぱちぱちしたこそばゆい感覚。

一瞬前の自分の思考なんて何処かに飛んでいって、"此れが本物"と云わんばかりに何倍も鮮明な世界が視界の中を一新していく。
理解できるのに、自分が理解できない。
なのにそれすら心地よくて、痺れる吐息を小さく震わせた。

あの人を中心にどんどん世界が色づいて、瞬きをする度にきらきらと輝きが増していって。
なんなら、今すぐにでも花すら綻んでしまいそう。
ああダメだ、自分のことを、支配できない。

──見詰めないでほしい。
───もっと私のことを見て欲しい。

そんな相反する感情が頭の中に散らばって。
此の躯を廻るありとあらゆる全神経が、引っ張られるようにあの人の方へと向いてしまうのだ。

あの人の、中原幹部の視線が此方を見詰めるだけで、じりじりと肌が焼け焦げてしまう錯覚すら覚えてしまう。
それが恥ずかしくて──なのに、嬉しいんだからもう、どうしようもないのかもしれない。
ダメだ、自分で自分がわかんない。

自分の呼吸が、逆上せる程熱くて。
そして喉が震える度に、意味もなく躯も震えてしまいそうで。
まるで泣き出してしまいそうな程の"羞恥"にも似た、熟しきらない林檎を齧ったような感覚に。
私は成す術もなく恥じ入るように視線が斜め下へと吸い込まれてしまう。

目の前が、直視できない。
なのに爪先まで、燃えるように熱い。

もぞりと、丸まった指が絡まった。

「ねぇ、ねぇ! 真智、今どんな感覚なの? どんな気持ちなの? チュウヤのことをどう思ってるの? アナタは今何を考えてるの?」

はしゃぐ子供の甘やかな声が聴こえて、熱に浮かされる意識のままでとろり、、、と視線を動かした。

其処には、我らが首領の愛玩たる少女がいて。
興味津々と云ったような、わくわくとした視線を此方に向けるエリス嬢に、ゆっくりと瞬きをし乍らも頭を満たす言葉を舌に載せようと唇を動かしていく。

わたしは、いま。
考えること──そんなの。
ひとつ、ひとつしか。

燃えるように熱い頬に。
思わず呻くように手のひらを押し当てて、潤む視界を堪らずに細めてしまう。
そうして言葉を漏らそうとして──ダメだ。
色んな感情がごちゃ混ぜで、頬ばかりが弛んでしまう。

「え、えっと、えへ、うふ、その、んふふ」
「もうっダメよ! 勿体ぶらないで早く教えてちょうだいっ」
「えー、んふ、んふふ」

考えよう、伝えようとする度に頭の中がふわふわし出す。
そうして、地に足の着かない感覚というか、酔っぱらってる時みたいというか。
まるで無重力空間に揺蕩っているような、不思議な感じ。
だからか、エリス嬢に下からくんと服を引っ張られて、其の儘私は素直にぺたりと膝をついてしまった。
質の善い絨毯の感触が、服越しに足に伝わる。

そうしてゆらりと視線を持ち上げれば。
ヒスクドールを彷彿とさせる碧眼が、爛々とした瞳で私のことを見詰めていた。
わくわくとした興味を隠す気もない、無邪気な眼差しだ。

其の、中原幹部とは同じようで違う色の碧に。
最早ゆるゆる過ぎてなにも隠せない私は、それでも恥じらいはあるものだから「あのね、」とまごつかせた唇を重ねた両手の平で挟み隠して。
そうして其の儘エリス嬢の小さなお耳に其の手を近づけ、ごにょりとか細くこう囁くのである。

なかはらかんぶ、格好いいなぁって
「まあ! 他には? 他にあるんでしょ?」
え〜〜? えへ、えっとぉ……
「待て待て、二人でこしょこしょと隠すでない。わっちも仲間に入れておくれ。そうさな。彼方で女子おなごだけで離れて語らおうぞ」

麗しいお顔の尾崎幹部が、少し離れた処を指さしてそう仰る。
私はぼんやりと其の佳く手入れの行き届いた爪先を見て、其の儘その指が指し示す場所を目で追って。
再度ゆったりと尾崎幹部のお顔を見詰めて、ひとつこくりと頷いた。

「ねぇ梶井君、彼女なんか性格変わってない?」
「ええ。基本的には上下関係を気にする質の筈なんですが……。異能の影響ですかね」
「…………」

ずりずりと男性三人組から椅子を離して。
ついでに私の椅子まで用意して頂けて、其処で三人で膝を付き合わせながらきゃっきゃと言葉を重ねていく。

そう、きゃっきゃ。
正にきゃっきゃと云う表現が相応しい程、きゃっきゃしてる。
頭の中では"自分らしくない"って判ってるのに、なんでか其れが、言葉と繋がらない。
でも楽しいから、如何でもいいかとも思う。

変なテンションだ。
矢っ張りなんか、酔っぱらってるみたい。

「却説はて。それで? 其方は中也の何処が好ましいのかえ?」
「ん〜〜んふ、えっと、んふふっ。最初は、綺麗な目だなぁって。深い青で綺麗だなって」
「あら! アタシのは?」
「エリス嬢の瞳は、明るい碧で素敵です」
「ふむ。目か。異能の発動条件じゃな」

口許を袖口で隠して笑う尾崎幹部は、非常に淑やかだ。
いつもならばきっと見惚れてしまう其の仕草も、然し今は如何してかそっちのけで。
早く早く、あの人の好い所を伝えなければ!と勝手に心が急ってしまうのだ。

「好きなのは目だけかえ?」
「え〜? いや、ん、ん〜〜、一寸固いけど、大きくって、確りした手とか……。あと、声も好きです。喋り方も、格好いいなぁって。えへ。えへへ」

「赤裸々だねぇ」
「脳味噌が弛んでますね。今尋問でも受けたら非常に危うい。今後はアレに掛かった異能が発動したら、軟禁するようにします」
「うん。其の方がいいかもね」
「…………」

──あと、なんだろう。
いっぱいあって喋りきれない。
目も好きだし、髪も、顔のパーツも、全部好き。
意外と長い睫毛だとか、口角の上がった唇とか、ずっと見ててもきっと飽きないし。

でも、顔だけじゃない。躯だけじゃない。
それは誤解されたくない。
私は、そう、だって中原幹部、中身も格好いいんだから。

「……此処だけの秘密なんですけどね?」
「おや。なんじゃ?」
「ヒミツね! わかったわ」

こそりと顔を近づければ、同じように整った顔が二つ近づいてくる。
話を聞く体勢になってくれてることがなんでか非常に嬉しくて。
私は、未だ記憶に新しい"あの時"のことを思い出し乍ら、どきどきと高鳴る胸を押さえてひっそりと言葉を呟いた。

「この前、A幹部に絡まれちゃって、そのときに、中原幹部、扶けて呉れたんです……」

「秘密筒抜けだね」
「頭が莫迦になってるんでしょう。筒抜けですね」
「……、……」

あの時のことを思い出して、うっとり、、、、と頬を綻ばせていれば。
そんな私の弛んだ頬に、尾崎幹部の細い指先がつう、と触れた。

「それで? 彼奴はどんな風に其方を扶けたんじゃ?」
「そうね。好き! って思ったポイントを重点的に教えてちょうだい」

「ほら、中原君。ちゃんと聞いとくんだよ。中々ないよ、自分のこと好いてくれてる年下の女の子から明け透けな好意をぶつけられるだなんて」
「確かに」
「………………否、異能の所為なンですから、無効でしょう」

頬を滑った指先が、其の儘つぅ、と顎に到達して掬い上げてくる。
然し其れには特に抵抗しないで、寧ろされるが儘に顎を持ち上げられ乍らも、ほんのりと首を傾げた。
だって、重点的ってむつかしい。

「……A幹部に捕まっちゃって、話が長くって困ってたンですけど」
「判るぞ。彼奴は諄い上にしつこいからな」
「そうそう。ほんっとにしつこくって。梶井さんに提出しなきゃいけないのに離してくンなくて、如何しよっかなぁって困ってまして……。そしたら」
「そしたら如何したの?」
「中原幹部が颯爽と現れて! A幹部云い負かして、其の儘こう、こんな感じでくいって私のこと掴んで、連れ出してくれたんですっ!」
「え〜〜っ! 凄いわ、とっても少女漫画みたいじゃないっ!」
「ほんにほんに。やるのぅ中也め」

「…………、っ、」
「いやぁ本当にやるねぇ中原君。行動が完全にイケメンだよ。君は何処のヒーローだい?」
「真逆そんなドラマがあったとは。いやはや流石は幹部殿。此れは中々真似出来ないですねぇ」
「おい梶井手前ぜってぇ褒めてねェだろ其れ」
「いやいや真逆そんな。真実を述べた迄の事ですよ」
「そうだよ中原君。ありのままの事実だと思うよ?」
「っ、……!」

──あとはなんだろうか。
ああ後は、其のあとのこととか。

「其れで、連れ出してくださった後も私のこと気遣ってくださって。えへ、気にすんなとか、目を見ない様にして呉れてぇ。あぁ此の方は、下級構成員の私にも親切にしてくださるんだなって。優しい人だなぁって」
「まあ! 其れは高ポイントね! チュウヤったらやるじゃない」
「うふふ。女の扱いが上手くなったなぁ。のう? 中也」

そう云いながら尾崎幹部は視線を流して。
其の先に居た中原幹部は、気まずそうに尾崎幹部からの視線を反らして─────なかはらかんぶ?
──あれ。中原幹部、が、そこにいる……?

「…………」

はた、と、思わず動きが止まる。
私の視線の先には、さっきよりも躯を小さく縮めている中原幹部──そんな小動物みたいな仕草も可愛い──と、梶井さんと首領が、居て。
──あれ、ひみつなのに、三人が、居て?

え、あれ、おかしい。
秘密なのに、こっちみてる。
わたしは秘密だから、彼処から離れたのに。
なのにあの三人は彼処で、こっちの話を、聞いていて?
なんで─────秘密、なのに?

「………………ひどい
「うん? 如何したんじゃ」
「あっちみて如何したの?」

じわじわと、お腹の奥底からちくちく、、、、した感情が湧きあがってくる。
でも、そんな。ひどい。ひど過ぎる。

私、ひみつって、云ったのに。
秘密の話は──きいちゃいけないのに。

じわりと、目の奥が熱くなる。

「…………ひどい」
「待て、お待ち。お主、何を」
「やだ。此の子ったら──泣いてるの 、、、、、?」

ぼろりと、瞳から熱い滴が零れ落ちる。
だけどそんなの気にしない。
だってそれより、こんなのって、ないだろう!

嗚呼──ひどい、ヒドい、酷い!
秘密って云ったのに、秘密は聞かない約束なのに!
だから離れたのに、女子だけの秘密なのに。男は聞いちゃいけないのに!
酷い。聞いた。嘘ついた。約束破った。秘密を守ってくんなかった!
私は、ちゃんと、離れたとこでしゃべったのに!

「みんな酷いっ!!! なんで聞くの!? 嘘つきっ嘘つき!! 三人とも、、、、聞か、、ない、、でよぉ、、、っ!」
「! これ、」
「ワァ。爆発しちゃった」

カッと視界が赤くなって、力の限り、、、、そう口叫ぶ。
だけどそれじゃあ足らないくらい心が悲しくて、裏切られたショックでいっぱいで。
ぼろぼろと涙を次から次へと溢し乍ら、私はひぐ、と喉を震わせて強張る舌に力を、、込める、、、のだ、、

「う゛ぅ、ひどいひどいひどい゛っ酷いよぅ、ッ、やだやだっ、秘密だったのにぃっ、うぇ、うぇぇん……ッ、!」

悲しくって悲しくって。
火が付いた様にわっと泣き叫べば。
途端に、何処か焦った様な尾崎幹部の声が宥める様に掛けられた。

「あ、嗚呼。おぉよしよし。彼奴等は酷い奴じゃな? 然し男なんてそンなもの故いちいち気に等していたら身が持たんぞ? ほぅら、そう泣くでない。花のかんばせは萎ますものではない」
「そうよ。リンタロウ達にはアタシがし〜〜っかり怒ってあげるわ」
「ほれ。エリス嬢もこう云っておる。故になぁ、アレ等に掛けた、、、ものを解いて、、、は呉れ、、、んかの、、、? 佳い仔じゃかならな。ほれ、な?」

ひぐひぐと声を漏らしていれば、頭を撫でられて。
其れがまたブロークンハート中の心に響いて、ぼろりと大粒の涙となって顎を滴り落ちた。
尾崎幹部が指し示す先には嘘つき、、、の三人が居て。
──なんでか、中原幹部は、、、、、背を、、向けてて、、、、
其れがまた、無性に悲しい。

「なん、な、なんでッ、うぇっ、なんでこっち見て、く、くんないンっ、です、っかぁッ……!!」
「そうじゃそうじゃ。何故こっちを見んのか。責任くらい取らんか」
「コウヨウ、今リンタロウ達耳聴こえてないみたいだから云っても判んないと思うわよ」

佳い香りのする尾崎幹部の手巾ハンケチで目尻を拭われる。
だけど其れでも泣き止まないと思ってか、尾崎幹部は私に其の手巾を持たせた儘腕の中に抱きとめてくれた。

ふんわりとお香の様な匂いに包まれた儘、よしよしと頭を撫でられる。
なので私も、ぼろぼろと零れ落ちる涙を手巾に吸わせ乍らも、其の腕の中に身を明け渡すのだ。

背中には、エリス嬢の小さな手が添えられて。
其れが慰める様に私のことを擦ってくれる。

女の子たちはこんなにも優しいのに、酷い、酷い。
こんなに想ってるのに、如何して私のこと、見て呉れないの!




「─────たいっっっへん申し訳ありませんでしたぁ!!!」
「否、佳いよ佳いよ。こっちもどうなるかのお試しみたいな処あったし。異能も無事解除してくれたし。だから顔を上げなさい。そして土下座も止めなさい」
「……! ぼ、ぼす……!」

お優しいお言葉に、毛足の揃った絨毯に擦りつけていた頭を恐る恐る持ち上げる。
そんでもってお判りいただけるだろうか、私は今絶賛土下座中である。
マジで絨毯の質が高すぎて、膝も痛くないしぶっちゃけそんなに辛くない。

「然し首領に危害を加えたのは事実ですからね。処しますか?」
「………! ぼ、ボス……!」
「処さない、処さないから。煽るの止めなさい梶井君。君も覚悟決めなくていいから」

──梶井さんなんなん??私に恨みあんの??なんでそう云う事云うの???
思わず信じらんれないものを見る目で鮮やかに裏切る上司を仰ぎ見れば、梶井さんはふん、と鼻で笑って私の事を見下ろしている。
これは確実に楽しんでるやつだ。なんて男だ。

面白がるにしても状況とかもっと色々考えて云ってくださいよ!と未だ引き、、摺って、、、"恋の微熱"とやらで、またじゅわりと目の奥から潤んでいけば。
からからとした笑い声が、楽し気に振ってきて頭を撫でられた。

「──ほほ。いやはや、とても愉快な余興じゃったぞ? 其方、まるで乳飲み子の様に泣くものよな」
「お、尾崎幹部……! お着物汚してしまってすみませんでした……! クリーニング代申しつけてください、全額出しますので……!」
「おおよいよい。私がしたくて遣った事じゃ。故にそう頭を床に擦りつけるでない」
「お、尾崎幹部ぅ……!」

「あれ、なんか私の時よりも感激してない?」

──あの後、恐らく敵の異能によって精神がぶれぶれ、、、、になった私は、そりゃもう酷い有り様だった。

尾崎幹部の胸元に抱き付いて、エリス嬢に泣き付きながら酷い酷いと泣き喚いて。
第二波が来る前に首領達が避難しようとすれば異能をちらつかせて嚇し、恐らく10分という時間を稼ぐ為に私に背を向ける中原幹部に延々と寂しい、こっち振り向いて等の情けないことを云ってはまた泣いて。
──否もうマジで、穴があったら入りたい処か今すぐにでも蒸発して消えたいレベルで酷い醜態を晒してしまったのである。

まっじで死にたい。否死にたくないけど。
概念的に死にたい。否概念的ってなんだろ。

「いやぁ、然し面白かったねぇ。報告では知能指数は其処まで落ちないってあったけど、確実に精神年齢退行してたよね?」
「そうさな。乳飲み子……否、10代なりかけ位かえ? 好いた男に振り向いて貰えずに泣く、だなんて幼い事、流石に往々の其方もしまい?」
「……はい、あんな風にピーピー泣いたりしないと思います。と云うか、あんな風に異能暴発させたのも初めてでした」

何と云うか、思い出したくないけど記憶を振り返ってみると喰らったショック、、、、が強くて、もの凄く自分の内面が攻撃的になった様に思える。
手当たり次第嫌いなもの、、、、、は攻撃してやろうと思ったと云うか。
然し、其処まで思って、ん?と思考を止める。

──否あれ?中原幹部のこと、好きなのに攻撃したのか私。
なんでだろ。可愛さ余って憎さ百倍みたいな感じなんだろうか。

「以前に調べた時は早々に中原幹部にはご退室願いましたからね。いやぁ、善いデータが取れました!」
「………ん? え、ん? データ? データ収集が今回の目的だったんですか?」

なんて考えていたら耳に届いた言葉に、疑い気味に顔を上げれば。
其処には気色ばむ梶井さんの姿があって。
先刻のは聞き間違いじゃないのかよ、と一寸待てとそう問いかける。

いやだって、え、なにそれ。
え?データ採集が目的だったんだったら、首領とかいる必要なくない?
私こんな組織のトップと幹部に恥晒す必要なくない???

然しそんな私に対して。
梶井さんは、恰も"仕方ない"とでも云わんばかりにやれやれと首を振ってこう云うのである。

「山田、今の君はいつ爆発するか判らない時限爆弾みたいなものだろう。君自身が異能持ちだと云うのが更に問題だ。今回の様に、君自身が異能を暴発させて無抵抗の人間に危害を与える可能性がある。抑々、君の異能は其の口を封じる以外回避の仕様がないからね」
「……それは」
「危険要素が少しでもあるのなら、可能な限りの解明を行うのが正しい"危険物処理"の作法だろう? 違うかい?」
「……そうです」
「ふむ。判ればいい」

──いや、そうなんだけど、そうじゃなくない??
一応納得しつつも、矢っ張り納得しきれずに微妙な顔を浮かべていれば。
視界のに、中原幹部のおみ足がチラ見えして。
思わずと云った感じで、否寧ろ過去最高速度で、私は顔面を勢いよく床へと再度叩きつけるのであった。

「あれま」
「……今凄い音したが、頭平気かお前」
「………いえその、お気遣いなく…………」

正直打ち付けた額がジンジン痛むが、背に腹はかえられない。
なんたって、またうっかり中原幹部の瞳を見て、異能が再発するのだけは避けたいのだ。
二度目の醜態は流石に切腹ものである。耐えらんない。

そしてそんな私の心境を判っているのだろう。
中原幹部は「あ゛ー、」とお声を出した後に、衣擦れの音と共に恐らく足を曲げてしゃがみ込んで。
恐らくは私が顔を上げる気がないと確信しているのだろう、やや気まずげな声の儘、こう言葉を掛けて呉れるのである。

「その、なんだ。マジで気にしてねェから、お前も気にすんなよ」
「…………はい」

──いやぁ、気にするわぁ。
寧ろ気にしか出来ねーよ、とは、此方を気遣って下さってる手前、口が裂けても云えないけども。

「……では首領、俺は此れで失礼します」
「嗚呼うん。付き合ってくれてありがとうね、中原君」

最小限の衣擦れの音と、絨毯に沈む革靴の音。
其れがどんどん遠くなると共に扉の開閉の音が耳に届いて。
私は床の押し付けていた自分の顔を、のろのろと持ち上げた。

──いやもう、だめだ。気まずさがヤバい。
もう真面に中原幹部の顔を見れないかもしれない。
否今は見たらアウトなんだけれども。

なんてことを真剣に思っていたら、背中に強い衝撃が。

「ぐぇっ」
「真智! もうケンショウは終わったんだから、次は私と遊ぶ番よ!」
「え゛っ」

楽し気な、幼い子供の笑い声。
其れと共に背中への圧力と首に回る華奢ですべすべの腕の感触に、背中に乗り上げる少女が落ちない様に後ろ手に支え乍ら私は躯をゆっくりと起こした。
否でも待って、首領の秘蔵っ子と遊ぶの?私。

「……ふふ。では私もそろそろ暇させて頂こうかの。今度は是非、素面、、の其方と語り合いたいものじゃな」
「ええと、はい是非。と云っても私、色恋沙汰とは本当に無縁なンであんまり楽しい話題提供は出来かねるのですが……」
「おや、別に惚れた腫れただけが女の茶飲み話ではあるまいて。──では首領殿、此れにて」
「うん。紅葉君もありがとうね」

最後にするりと私の頬を撫でて。
尾崎幹部も、其の儘退室してしまった。
否なんと云うか──中原幹部の教育係と云うのが納得の姐御感である。

なにあれ。
なんで指先でこう、つぅって感じで頬撫でてくるんだろう。
マジで尾崎幹部ってべらぼうに美人だから、そんな揶揄いされるとうっかり惚れそう。
ほんと控えて欲しい。どきどきするわあんなん。

「ほら、真智! あっち往くのよ。おんぶして!」
「は、はい」

──え、此れはマジで遊び相手になる奴?
私がお相手で大丈夫ですかと云う確認を込めて首領の方を伺えば、にこりと心情の掴めない笑顔の儘で手を振られて。
ああ〜これはOKサイン〜と思いつつ、腰に絡みつく足を後ろ手で支えた。
アハ、と後ろから聴こえる声音は華やかな分、粗相をしたら如何しようと今から心臓がばっくばくだ。

「ほら、あっち! あっち往って!」
「はい。では首領、エリス嬢のお相手をさせて頂きます」
「うん。エリスちゃんが満足する迄付き合ってあげてね」
「、はい」

──おっと真逆の指示が来たぞ。
なんてことを思いつつ、早く早くと急かす美少女に背負い直し乍ら、指示される方へと足を向けていく。
エリス嬢が指し示す場所は、此のお茶室の更に奥で。
あんなとこ入るの初めてなんだけどと思いつつ、最後にぺこりと首領に頭を下げて一歩を踏み出した。

「あっちに往ったら、先ずはお馬さんごっこよ!」

──確実に私が"馬"なんだろうなぁ。
そう思い乍ら、未だ腹の奥に重くのしかかる失態の数々に蓋をして。
最早空元気と称する方が相応しい笑顔を浮かべて、こうなったら全力でエリス嬢に付き合うぞと思う訳である。

まっじで、タイムマシンどっかに落ちてないかなぁ。


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