天国に御座します父母よ。
一寸娘の悩みを聞いて下さい。

「脱いでください」
「……厭だ」

右手にはシャワーヘッド、左手には此れでもかと泡を含ませたスポンジ。
それらを構えながら、娘は今、黒い生き物と戦っております。

「脱ぎなさい」
「断る」

娘の格好は腹掛けの上に羽織を着こんで適当に腰紐で結わえると云う、非常に恥ずかしい姿です。
嫁入り前の女のする格好ではないことは百も承知ですが、これにはのっぴきならない事情がありまして──ああもう面倒臭い。

「脱ぎなさいと! 云っているんです! もうなんでいつもは善い子なのに此れだけは云う事聞いてくれないんですの!?」
「善い子などと、云うなと云っている……!」

──背景、天国の父と母よ。
反抗期男子の取扱説明書を、至急娘に手配してください。




あれから色々あって、私は此の芥川龍之介と云う太宰様"お気に入り"の新人君の面倒を見るお役目を賜ったのである。

其の面倒と云うのは簡潔で、肉体改善を主な目的とした生活習慣の指導だ。
食べ物、飲み物から眠り方なんてとこまできっちりと管理して、今にも枯れ果てそうなその小さな躯を修復しなければならないのである。

ちなみに、普通私がこんなお役目を頂くことはない。
一応ではあるが、私は其れなりの地位を戴いている専用治癒担当員。
だというのにこうして私にそんな、、、お役目が回ってくるだなんて、其れだけでどれだけ此の子が将来を有望視されているのかが判るというもので。

──そう、わかる、判るのだ。
判るからこそ───云う事を聞いてもらわなければならないというもので。

「もうっ湯治は歴とした治療です! 貴方の今にも詰まりに詰まって枯れ落ちそうな中身、、を少しずつほぐしてほどいていくんですって最初に説明したでしょう? 貴方も"承知した"って云ってたじゃあないですか!」
「……風呂は嫌いだ」
「嫌いでも入らなきゃダメです! と云うか其のお洋服だって、そろそろお洗濯しなきゃダメなんですからね? 銀ちゃんを見習って下さい。あの子はちゃんと云う事を聞いてくれますよ?」
「……」

銀、と云うのは此の龍之介君の妹さんだ。
あの無法地帯の中で珍しくも血の繋がりのある兄妹らしい。
確かに目元なんかがよく似ていて、よくもまあ、あんな極悪な環境で生き残ったなあと感心した記憶は新しい。
彼女も、"ついで"と云うことで共に私の治療を受けている、私の患者なのである。

龍之介君は私に決して暴力を振るわない。
勿論彼の殺傷能力が高すぎる異能だって、今の今まで一度も私に遣う素振りを見せてこない。
其れは彼が兄に──否兄代わりに強く言い含められたからで。
其れのお陰で、非戦闘員である筈の私でも、ばりばりの戦闘員である彼を此のシャワールームに押し込むことが叶うのである。

ついでに云うと、此の少年は私に対して何やら"力を込めれば簡単に死ぬ"とでも思っている節があるようで。
如何にも少しおっかなびっくりが過ぎると思う事がよくあったりする。
流石の私だって其処迄脆くはないのだけれど。
まあでも、都合がいいから訂正はしない。

「……」
「……もう、なんでそんなに脱ぎたくないんですの?」

龍之介君は、そりゃもう頑なだ。
私の事を傷つけはしないものの、完全に"舐めている"彼は、こっちの云う事をいつも元気よく聞かない。

遣れと云えば、一応は遣ることはきちんと遣るのだ。
だけれども、それは決して私の目の前では遣らない。

例えば課題として出した読み書きの学習帳ドリルなんかも、此の子は私が居なくなった後にせっせと遣って、私が戻ってきた時に出来たものをドヤ、と見せてくるのである。

もうなんで普通に目の前で遣らないのか、その変なプライドがほんといつも不思議だ。
一体彼の何がそこまでさせると云うのか。
本当に、其の意地無駄じゃない?

まあ、マッサージこそお気に召した様で、その時ばかりは呼べば来るものの。
他は未だ疑心暗鬼と云うか"素直に従ってなるものか"と云う反骨精神がちらちらチラリズムしていると云うわけなのである。

全くもう、厄介な思春期君だ。
お前は餌目当ての懐かない猫か。

私だって、他にもお仕事はあるもので。
その中でも時間を見つけて、マッサージとか食事改善とか、あと出来てた方が屹度いいからその他一般教養をせっせと教えてあげているのだ。

なんなら、鉛筆とかお箸の持ち方から教えてあげてるのに。
なのに此の反抗期真っ盛りの龍之介君は、中々素直に教えたことを遣ってくれないのである。

今の気分は、突然夫が他所でこさえた思春期の男子を問答無用で押し付けられた子無しの妻そのものだ。
否、別に太宰様は兄代わりであって私の夫では間違いなくないのだけれど。

でも本当に、そろそろスプーンの赤ちゃん持ちは止した方が善いと思う。
と云うか私が教えてないと思われるから、そろそろやめてほしい。切実に。

「……やつがれの異能は、悪食の獣。僕と黒衣の獣は共に在らねば術を無くす。故に獣が宿りし此を僕は手離したくはない」
「……気持ちは判ります。無防備になるのは厭ですものね? ええ、其れは判りますとも」

──出たよ直ぐ此れだよ日本語で喋ってくれ〜〜〜。
否日本語なんだけど、もう一寸こう、最先端の日本語を駆使してほしいマジで。
教えてないよそんな喋り方。むしろ誰から教わったんだ其の言葉のチョイス。
銀ちゃんは普通に会話出来てるよ見習えよ妹を。

何故お喋りし乍ら私はこんなにも脳内変換を頑張らなきゃいけないんだろうと思いつつ。
しかし此処で下手に口調とかに突っ込み入れたら、屹度口開いて呉れなくなることはお察し案件なので、賢い私は脳内だけで突っ込みつつもスルーを決め込むのである。
否でもマジで、其の言葉のチョイスはほんと如何にかすべきと思うけどね。

「……ですが此処は、私の個人部屋プライベートルーム。御存知でしょうが、此処に辿り着く迄には様々な監視の元を通らねばなりません。無頼者が押し掛けようとも、道中できっちり息の根を止める仕掛けが至る処に仕掛けてあります」

──いつか誤作動、、、起こされそうだなとは、まあ、思わない訳じゃないけど。
でも其れは、今は別に云わなくてもいいことだ。

「此処は完全に安全です。貴方は屹度、安全と云う言葉なんてお好きじゃないし信じてらっしゃらないとは思いますけれど、少なくとも、此処が組織の要塞たる砦の中であることは確かなことです。此処での暴挙は、其の儘"死"に繋がる。其れは貴方だって、御存知でしょう?」
「……」
「此処に置いて、自ら死に突き進む脳無しは早々に現れません。現れたとて、此の階に辿り着く迄に恐らく首と胴体はもう繋がってないでしょう。なんせ此処は中級以上上級階級寄りの専用階層。資格なき者は何人足りとも許可なく踏み込めません」

──なんか、龍之介君と喋ってるとつられてこっぱ難しい口調になるんだよなぁ。
やだなぁ、太宰様とかに見られたら揶揄われそう、だなんて事を思いつつ。
黙りを決め込んでいる龍之介君に向けてシャワーヘッドを静かに向けた。

「なので──もういいです、其の儘洗いますから。私もお仕事溜まってるんですよ」
「──な、」

そう、いつまでもいつまでも反抗期に付き合ってらんないのである。
そりゃ確かに、とろとろに解れた龍之介君は可愛い。赤ちゃんみたいに可愛い。
だけど起きてる龍之介君は可愛げがない。吃驚するほど可愛げがないのである。

なのでもう、仕方ないから、服ごと洗う。

「ま、待て、ま──ッ!」
「はぁいお口開いてるとお湯が入りますよ。はいはい其処に座って。湯船に浸かるのは洗い終わってからです」
「待てと……!」
「異能遣ったら太宰様から"お仕置き"ですよ」
「……!」

容赦なく頭上からシャワーを浴びせていれば、本当に猫の様に身を竦ませて縮こまる。
そんなに嫌いなのか、とも思いつつも、私が辞める気がないと向こうも察したのだろう。
渋々と云わんばかりに椅子に座るので、ああやっと始められると私も近寄って其の儘スポンジを一度置き、シャンプーを手に取った。
シャワーヘッドは壁に掛けつつも、お湯は出しっぱなしで龍之介君に向けた儘だ。

「頭から洗いますからね。その次は躯を洗います。異能は其の衣服に触っていれば問題はないのでしょう? 全部は剥いだりしませんから、最終的には全身洗いますからね」
「…………」
「お返事」
「……………承知した」
「はい、宜しい」

向かいから掛けるシャワーのお湯を自分自身にも浴びながら、纏わりつく布地に一寸億劫になる。
たすき掛けをしておいて本当に善かった。してなければもう鬱陶しくて脱ぎ散らかして腹掛け一枚になって居た処だ。

因みに腹掛けは、熊に跨るあの金太郎がつけてる赤い布の事である。
あれは水仕事をする際に結構便利なのだ。
まあ、こういう時くらいしか使う場面なんてないのだけれど。

「痒いとこあったら云ってくださいね」
「……」

──正直此処迄する必要あるのかとは、まあ、思うけれど。
しかし此の風呂と云う行為に対してとことん忌避したがる無精君は、放っておけば適当に水を掛けて終わりにしかねない。
と云うか一度其れを遣られているので、こうして手ずから洗い込んで遣るというわけだ。

ついでに、此の先当たり前にすっぽんぽんになって頂く訳なのだが、残念な事にそんなものに可愛らしく悲鳴を上げられる様な初心さは持ち合わせていないのである。

悲しい哉。
何事も慣れと諦めが肝心、と云う訳なのである。