閉鎖された君の居場所
ここでの私の呼び名は色々だ。
普通に名前で呼ばれる事もあれば、お姉ちゃんとか姉ちゃんとか呼ばれる事もあるし。
なんだったら一部の女の子や小さい子からはママとかお母さんと呼ばれさえもする。

多分だけど、皆心のどこかでに"大人は敵だ"と思っていて。
だからこそまだ"大人"の括りに入っていない私に甘えているのかなと、そう感じる事はよくあるのだ。

そして私もそこは年上だし。
それに他の子と違って外に行っても"役立たず"だから。
だから私に甘えることでメンタル面であの子達の支えになれるのならと、甘んじてそれを受け入れてるのが現状だったりする。

そんな私の毎日は、朝昼晩と、意外と余裕がない。
というのも、数年前に比べて羊のメンバーはもの凄く増えてしまったのだ。

だから前なら少しの時間で済んだ調理時間が、人数が増えるにつれどんどん長引くようになってしまって。
今じゃ朝起きたら即効で調理して、朝ご飯が終わったらお昼ご飯作って、お昼ご飯を作り終えたら夕飯を作りにかかるという、余裕のない時間配分になってしまっているのだ。

唯一の救いは、お皿洗いは他の子も手伝ってくれてる事だろうか。
その時間が、ある意味で私気の抜けるというか、休める時間で。

そこで小さい子を集めてお風呂──といっても、湯船に浸かることはお湯がもったいないしほぼないけど──に入ったり、次の日の献立を考えたりして一日をなんとか送っているのである。

他の女の子達は何処かからか取ってきた美容品なんかを使ってるらしいけど、正直私はそれを使う余裕もなくて。
お姉ちゃんも使いなよと言っては貰ってるものの、正直お風呂もお風呂で小さい子達を洗うのは中々大変な作業なので、毎回お断りしてしまうという残念な結果に終わってる。

なので毎回、使うとしたら簡単に手に入って泡立ちのいい固形石鹸ばっかりである。
ついでにそろそろ毛先が死んできたので、またナイフを借りてバッサリ切っちゃおうかなと今考え中だ。

──そんなこんなで今も、やっと一日の作業が終わった頃で。
小さい子たちがせっせと洗ってくれた食器を一応確信しつつ、冷蔵庫と野菜置き場を覗きながら明日のメニューを考えているのである。

ここにあるのは小さな冷蔵庫だけだから、基本的に入れられるのはお肉とお魚とか、常温じゃ保存できないものだけ。
残りの野菜や粉類は、お肉とお魚に比べればまだ室温でも保存が効くから箱の中に分類分けして仕舞っているのだ。
それでもやっぱり痛むものはどんどん痛んでいくから、食べ物が腐りきる前に調理してしまうのが、ここでの私の仕事なのである。

「うぅん……。お肉つかう……? でも量がなあ……足んないんだよなあ。細かくして、あーうん、お米があれば……小麦粉でカサ増して……。でも量……う〜〜ん」

──羊のメンバーは、日に日に増えていく。
それは数が正義とでも言うようにあぶれた子供に声を掛けているからで。
それだけこのヨコハマに親の居ない子供が沢山増えて増えて増え続けているからで。

最近、なんでもヨコハマで一番権力を持っていた組織の偉い人トップが、死んでしまったのだという。
それで一旦抗争は止まるのかと思いきや、全然そんな事はなく。
寧ろ下克上だの反旗だのなんだで争いはもっと激化してしまっているらしい。

そんなわけで、そもそもこの場所に居ること事が多かった私は、外は危ないからと、今じゃ"倉庫番"と呼ばれるくらいには朝から晩までずっとこの場所に押し込められて居るのだ。
まあ倉庫番というか、給食のおばさんみたいなポジションなんだけど。

そう、この世界の子たちは皆吃驚するくらい運動神経がよくって、私が外について行っても足を引っ張ることしか出来ないのである。
というかここに引きこもり過ぎていて、多分うっかり外に出ようものなら長年居るとはいえ確実に迷子になるくらいには、擂鉢街の通路は頭から抜けていって仕舞っている。
いやむしろ、日々増幅し複雑化していくこの街に、私は取り残されている状況だ。

──ああ、頭の中がごちゃごちゃしてる。
明日のご飯、どうしよう。

食べ盛りの男の子がいっぱいいる。
女の子の身体を冷やさない食事が必要。
小さい子たちの為にも栄養価の高いものを。

でも使い切っちゃダメ。
今はいいけど、いつまた食材が手に入らなくなるかわからない。
腹持ちがよくて、量が多くて、皆をお腹いっぱいに出来て、全員がちゃんと食べれるものを─────


「なァ、姉さん」


ひくりと、身体が跳ねる。
思わず縮めた背筋のまま振り返れば、そこに居たのは中也くんだった。

空気窓から入り込む月光に当たって、明るい髪がきらきらと光っている。
負けじと明るい瞳は、けれど長い睫毛によって影になっていて。
ああ綺麗だなぁと思うと同時に、ふんわりと疑問が頭に湧き上がる。

──なんで、中也くんがここに?
今はもう外もすっかり暗くなった夜で。
何時かはわかんないけど、多分深夜を回っている頃。

ここはもう、私の部屋みたいなものでもあるのだ。
だから私はこの二階──というよりも、ロフトのような場所に、どこかからか持ってきてもらったお布団を敷き詰めて、小さい子たちと寝ていて。

──そうだ。だから、他の子たちはすぐ隣のコンテナとか、それぞれの場所で寝入ってる筈だ。
起きているのは数人の見張り番くらいで、確か中也くんは今日、見張り番じゃなかったのに。

なのになんで、と言葉に仕掛けた私に対して。
私のことを見降ろしていた中也くんは、顎をくいっと動かしたかと思うと、そのまま一言「往くぞ」とだけ言ってすたすた出入りの扉の方へと歩いて行ってしまうのだ。

対する私は、予想だにしない行動に、ぽかんと座り込んだまま。
中也くんが扉にてをかけたところで、はっと腰を上げてこう問い掛けた。

「え、えっど、どこに……?」
「外。最近ずっと缶詰状態だろ。一体いつだよ、出歩いたの」
「え……」
「散歩。"上"なら誰にも見つかんねーし、見つかったとしても届かね、、、ェだろ、、、
「……あ、それって」

──中也くんがここに来た頃。
本当に中也くんは、私以上に物事を知らなくって。
というか文字の読み方も、書き方すらも知らなくて。

あの頃は羊のメンバーも今ほどは居ない上に私にも余裕があったから。
だから私は他の子たちになるべく大きめの文字が書いてある本を拾ってきてもらって、一から読み書きを教えてあげたのだ。

中也くんは確かに空っぽだったけど、でも、その分呑み込みも凄く早かった。
だから教えれば教えるだけ、あっという間に色んな事を吸収していったのである。
それはもう、もしかしたら漢字とか言い回しとかは、私なんかよりも物知りかもしれないくらいで。
日々増えていく語彙に、多分今もまたどこかで本を拾っては知識を蓄えてるんだろうなあと、なんとなく察していて。

──そんな当初の頃。
そう、中也くんの"特技"を知った頃。
まだ練習中、、、だった時に、確か、ぽろっとこう言ったことがあった筈だ。

「……"空中散ハウル歩"?」

そう問いかければ、にっと吊り上げられる薄い唇。
それにぱっと気持ちが軽くなった気がして、私は音を立てないように、それでも確かに小走りで中也くんの元へと走った。

最初は、大雑把にしか物を浮かせたり出来なくて。
だから煤けた紙を拾って、折り紙にして鳥とか鶴とか折ってあげて、それを浮かせて思い通りに動かす練習から始めていて。

ああその時に、確かにこう言ったのだ。
いつか──いつか。上手に"異能"が使える様になったら。

"魔法使ハウルいみたいに、私を空中散歩に連れて行ってね"──って。

──覚えていて、くれたんだ。
ハウルなんて、きっと知る由もないのに。
私が言った、些細なお願いを、この子はずっと覚えていてくれたんだ。

まだ異能にかかってないのに、既に心がふわふわ軽い。
そのむずむずした心地の儘、私は導かれるように倉庫の扉の外に出て。
そうして、差し出されたその手のひらに、確かに自分の手のひらをそっと重ねたのである。

出会った頃は、あんなに柔らかくてふくふくしていた指の感触は、いつの間にか固い皮膚に代わっていて。
それが私の指にをぎゅっと握る感覚に、ああ、成長したんだなあという気持ちで胸がいっぱいになる。

だって、あんなに小さかったのに。
だって、あんなに子供だったのに。

もうすっかり、男の人になってたんだ。

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