目の前にぬっと差し出されてきたのは小さな真っ白の、おちょこだった。居酒屋ではよくありがちな、何の変哲もないそれ。

中身は当然のごとくからっぽで、私と隣の彼―――――真田弦一郎―――――結婚して一年にもなろうとする夫である―――――ちょうど彼と私の間とも言える位置に、徳利が置いてあるのは確かだ。


私の一瞬の逡巡の間。
真田は男らしい大きなごつごつとした自身の手を、彼は私を見ないままに空中で揺らし、御猪口の中に液体が注がれるのを催促する仕草をした。私はそれに呆れかえりながらも、こめかみに青筋を浮かべつつ笑顔でお酌してやった。
真田は私のことなど相変わらず見ないままで、私とは反対隣りの位置に座っている柳生君と話をしている。柳生君からは怒りの笑顔でお酌する私がよく見えるので、彼は私と目が合うと苦笑いというか、なんともいえない微妙な表情になった。私の目の前に座る幸村君や、はす向かいに座るジャッカル君なども同様で、微妙な表情で声のボリュームをやや抑えた。
真田は基本的に他人にあまり関心がないというか、人はかくあるべきという信念が強いタイプの人だ。すごく悪く言うのであれば、自分の世界に生きている。イッツマイワールド。
よって彼らのそんな表情に気付くわけもなく、若干緩んだ機嫌良さげな表情で日本酒を飲んでいる。

どうやら、この駄犬には今夜もお仕置きが必要らしい。



真田弦一郎という憧れの君で「あった」男と結婚したのは、ちょうど一年前の話になる。
私は学生の頃から真田が好きで好きで仕方なく、社会人になってからも、いつもテニスコートにいた真田を見かけなくなっても、他の男が虫に見えるという少し困った状況になっていて、いっそ振ってもらった方が外に目が行くという理由でなんとか真田に繋ぎをつくり玉砕覚悟で告白に行ったのが三年前。
二年という長いようで短い交際期間を経て、一年前に入籍。
それまでにおや?と思うことはあれど、私にとってはせっかく付き合ってくれた憧れの真田を手放すなど到底考えられることではなく、別れようなどとは露ほどにも思ったことがなかった。

幸村君が「いろいろ大変だろうけど、頑張って」と結婚前に謎の笑顔で応援の言葉をかけてくれた時、私はその笑顔の理由に全く気が付いていなかったのだ。

結婚半年頃、私の目の前からようやくベールが取れた。
私は真田に恋をしていたはずだった。
しかし、恋に恋をしていたことも確かだった。

互いに実家暮らしだった私たちは、結婚まで一緒に暮らしてはいなかった。

ともに暮らしてから分かった。
さだまさしの「関白宣言」を悪い意味で地でいく男、それが真田弦一郎という男だ。彼は地雷である。

「おれよりさきに、寝てはいけない。おれよりあとに起きてもいけない」。女の影はないので真田が浮気はしていないのが唯一の救いくらいのもので、地獄を見る結婚生活のはじまりだった。
「めしはうまくつくれ」のハードルは高い。
実家暮らしの甘い蜜を吸ってきた私がワカメやらカツオから上手く出汁をとれようもないのに、顆粒だしなどを使うことも許されず、早朝から起きて美味しい味噌汁を作ることに奔走することとなる。
おかずは必ず三品。メインは一品で、小鉢の二品。朝と夜では別のものを出すのが義務だ。同じメニューが続いてもいけない。炊き立てのご飯とお味噌汁をつける。冷凍ものなどもってのほかだった。
毎日家は綺麗に整理整頓、雑巾がけまできっちり。隅に埃でも積もろうものなら姑のごとき叱責をうけ、掃除のやり直しを命ぜられるのである。
和室が無ければ嫌というこだわりを発揮した真田に合わせ、和室ありのマンションに住んでいた私たちだが、彼の部屋であるはずの和室の掃除も勿論私がやるべきことだった。ほうきがけをして、こちらも乾いた雑巾で綺麗に拭く。
「いつもきれいでいろ」これも当然であった。ケバいメイクはNGで、すっぴんでも綺麗でいる素朴な美しさを求められた。髪もぼさぼさでいれば「きちんと綺麗にまとめんか」などと文句を言われる。
洗濯もの一つとってもきれいな管理が求められた。ワイシャツの端まで綺麗にアイロンがけすること。洗剤をものによって分けること、洗濯物は毎日処理し、翌日には持ち越さないこと。彼の好きな和服も勿論殊更丁寧な扱いを求められ、手入れの仕方を知らない私は慣れるまでがしんどかった。

落ち着くはずの家は、家とは思えなくなっていた。

彼の仕事は警察官で安定してはいるのだが、まだまだ下の立場ということもあり給料は思ったほど高くはなかった。
警察学校出身ということもありエリート街道に乗ってはいるのだが、なんにでも正義感が強く協調性に欠ける真田は上官と意見がぶつかることも多々あり、家で機嫌のいい日も多いとは言えない。静かに不機嫌なオーラを出す彼がリビングで酒を飲んでいる日々。私はいつも胃が痛かった。
セックスに関しても「女というものは乱暴に扱ってもいい」と思っている節があり、愛撫で気持ちよくなれたことはあまりなく、そもそも愛撫の時間がすごく短いので濡れない。真田のものが大きいのもあって、挿入の瞬間はいつも痛みに耐えていた。

そして極めつけは、私はこの日々をフルタイムの仕事をこなしながらしていたという点だ。彼の給料が満足のいく額であれば専業主婦になる可能性もあったかもしれないが、そうであったとしてもその選択肢はなかった。
警官の妻というのは想像より重責で、いつ夫を失ってもいいという覚悟をすることと同じである。彼を失ったときに備えがあるに越したことは無い。

結婚半年頃、私の心はぽっきりと折れた。家出をした。
ストレスから下痢が止まらず、その上円形ハゲが出来ていた。ハゲを隠すために毎日きついほどの一つ縛りをしなければならず、独身の頃に楽しんでいたヘアアレンジなどする暇もない。
実家では好きで飲んでいたイチゴのフレーバーティーは、真田が甘い匂いが嫌いだと言って嫌がるので飲めていなかった。私の苦手な納豆は冷蔵庫に常備されているのに。
私が料理をしている間、真田は和服でのんびりテレビを見ながらお茶を飲んでいる。
手伝ってくれという遠まわしな意見などわかってくれるはずもない。
何故なら彼の凝り固まった概念の中では、家事は女がするものである。


プライドの高い彼が私の両親にこっぴどく怒られに来たのは、家出から一か月後の事だった。真田の傲慢さを見抜けなかった私も私なので離婚も視野に入れていたのだが、古風すぎる思考でガチガチに固められた彼は頑として離婚を飲む気はなかった。
よって私はストレスがかかりすぎないよう、実家とマンションを往復する日々を送っている。
彼の両親や兄弟とも話し合いをしたところ、彼の両親も時代錯誤な息子を育てて申し訳ないと真摯な謝罪をしてくれ、彼の「嫁がやってくれて、我慢して当然」感覚はどこからきたものなんだろうかと首をひねったりした。

この一件以降、私たちの家庭内での立場はすっかり逆転した。

そしてこの件は真田の周囲にも言いふらせるだけ言いふらしたので、幸村君をはじめとしたテニス部の仲間は周知のことである。
それでも真田は相変わらずバカで、加えて阿呆なので、私が何がそんなに嫌で家出したのか、未だに理解できていないようなのだ。駄犬の調教は難航気味である。



「.....寧々、いるのか」

和室からくぐもった声が聞こえたのは、飲み会から帰ってきて数時間後。
睡眠薬を分からない程度にお茶に混入し、眠った真田を強引に和室に運んだ。
ちなみにこれはここ半年間の間に十何回と繰り返された行為で、私も真田の重い体を運ぶのにコツを掴んできたところだ。
真田も自衛するか家事をするかすればいいのに、私は相変わらずのお茶くみ係のままで、真田はなんの躊躇いもなく差し出されたお茶をのむ。やはりバカなんだと思う。サバンナの中でも真っ先に死ぬかもしれない。
人間でよかったね、真田。

「真田おはよう。すごく無様な絵面!私とってもうれしい」

和室の襖を開けると、ボクサーパンツ一枚に剥かれたほぼ裸体の夫が布団の上に転がされ、おもちゃの手錠で手と足を拘束されている。もちろん私がやりました。
真田は野獣のような顔立ちに憤怒の表情を浮かべている。
いつものことなのに学習能力のない真田が悪い。警察官とはとても思えない。やはり彼には常識が欠けているのだ。

「気分はどう?」
「最悪だな」
「おほほ。今度は何が悪かったかわかるかしら?」

転がる真田の前に私は仁王立ちをして、右足をあげる。そして真田のブツの上に、そぅっと足裏を乗せた。
酒が入っていると起たなくなる男も多くなると聞くが、そもそも今日の真田は酔い過ぎるほど飲んでいないのでその心配はないだろう。
喉からぐっと声にならない声を漏らした真田が刺激に耐える仕草を見せ、私はもう少し力を乗せながら足でゆっくり竿を撫でさする。

「ねえ、何が悪かったのかわからないの?」
「ぐっ.....わかるか、俺にそんなものが」
「なあに、その口の利き方」
「う、あっ」

元・鬼のテニス部副部長もチンコを人質にとられればこんなものだ。
やれやれと首を振りながら、ぐりぐりと竿を円を描くように撫でて可愛がる。

「かわいそうな夫に教えてあげるね?お酒を人についでほしい時は、ちゃんと口に出してお願いしないとだめよ?幼稚園児でもそんなこと知ってるわ。私はあなたのおもちゃじゃないの」
「そんなこと、わかっとるわッ」
「いいえ、あなたは何にも分かってない。前から言ってるでしょう?私はお茶くみの人形でも家政婦でもないの。どうしていつも私があなたにお茶を出さないといけないの?あなたが飲みたいお茶は自分で準備する、そんな簡単なこともできない?赤ちゃんなの?そして案の定真田はいつも睡眠薬を飲まされるのよ。ばかね」
「う、ぐっ」

ぎゅ、と押し潰すように先端を刺激してやる。真田は片目を盛大にゆがめて、顔を赤く染め上げた。
屈辱と快感のはざまにいるのだろう。真田をいいようにできるこの瞬間が、私はすごく好きだったりする。気分が良すぎて女王にでもなれそうだ。

「次に私が玄関をまたいだとき、逆のことをしてくれる約束をしてくれる?ちゃんと大好きなイチゴの紅茶を淹れてね?黙ってマグカップを差し出すから、執事のようにポットからおかわりを給仕してくださるのよね?」
「な......」
「ほら、壁にこの前貼った文字が見えない?あなたに筆で書いてもらったでしょ?夫婦は平等なの。何かしてほしい時には相手の意見をきいてお願いすること。あなたが私にしていることは我儘で遠慮のないことだと、自覚が足りなさすぎるのではなくて」
「は、あっ」

筋肉量の多い膝頭をぶるぶると震わせている真田は結構つらいらしい。
真田はパンツを履いていて、私も靴下を履いている。それでも足裏がぬるぬるする。我慢汁が染み出すのが早すぎる。調教の結果、我が家の駄犬はこらえ性が減るばかりだ。

「おねだりする?」
「.......ッッ....寧々....ッ寧々.....たのむ、脱がせて、くれ」
「脱がせて?それでどうしてほしいの?」
「......ッ擦って、イカせてくれ.....名前を呼んでくれ.....ッ」
「弦一郎、いかせてほしい?」
「......何度言わせれば満足するんだッ!???」
「おこらないの!すぐ怒鳴るのも本当に悪い癖ね!気持ちよくしてあげるから」

獣のような雄叫びを上げた真田を叱責しながらパンツを脱がし、私も靴下をぬぐ。
足が疲れてきたので真田を座る格好にさせ、私も向かい側に座りながら真田の竿を足裏で上下に擦ってやる。
刺激が足りないようで真田のおねだりが続くのもいつものことで、仕方ないので手に変更して竿を撫でてやる。我慢汁が擦るたびにくちゃくちゃと卑猥な音を立てて、和室に独特のにおいが満ちていく。
赤黒い先端のくびれの皮を強めに刺激してやると、真田は真っ赤な顔ではあはあと興奮しきった息をこぼした。

「寧々、ッ寧々ッ」
「ここにいるけど?」
「ぐっう....口吸い、を」
「まったくいちいち古風すぎる」

呆れながらも、荒い息を零すあつめの唇に吸い付くようにキスをしてやると、真田はくしゃくしゃに目を閉じながらすきだ、と唸りながら口にした。いつもこんな風なら可愛げがあるのにと、またすこし呆れる。
びゅるびゅると熱い白の液体が勢いよく飛び出てきて、私の部屋着―――――いつだったか真田にバカにされたジェラートピケのものである―――――や真田の胸筋あたりをべったりと汚し、私の頬のあたりにも若干かかった。
ぼうっと熱い目のまま私を見つめる真田に、一応ご褒美のつもりで精液を指ですくいとってぺろりと舐めて見せる。苦みを我慢しながら舌をべえっと見せつけると、真田は興奮したようで精液を出したばかりの竿をぶるりと大きくした。
これ以上のご褒美を与える気はないので、ティッシュであちこち拭うとボクサーパンツを履かせなおす。

「私シャワー浴びてくるから、しばらくこのままでいてね」
「寧々!」
「ここ小さくしておかないと嫌だから。寝ててもいいし。寒くないから死んだりしないよね。じゃあ一時間後くらいに」

調教に飴と鞭は大事だ。真っ白な顔をしている真田にうっとり笑って手を振って、ふすまを閉める。手錠をかけたまま放置して反省を促すのもいつもの手だった。いい加減慣れたらいいのに。



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真田はおもちゃの手錠くらいなんなく破壊する&サバンナでベストオブ生きていけるキャラだと思っているので、妻の方が弄ばれている可能性