畳の敷かれた部屋の中。先輩の顔を眺める。
真田先輩は今日もカッコいい。渋い声も好きだし、何よりやっぱり顔が好き。彫りの深いその顔立ちは、先輩のはっきりした性格をそのまま示していると思うのだ。
こんな素敵な先輩と付き合えているなんて夢みたいだとぽやぽやした頭で思った。仁王先輩に、こいつみたいなイカれとるんと付き合うなんて真田もバカじゃの、と先輩は呆れられていた。でもわたしもそう思う。真田先輩がバカでよかった。
ちゃぶ台に肘をつきながら、ほう、と先輩の顔をみる。やっぱりかっこいい。すると寄せられた彼の眉間の皺。

「何のためにここにいるんだ、お前は」
「え?先輩を見るためです」
「馬鹿か」
「バカです」
「笑ってないで課題をやらんか、たわけ!」

ピシャンと勢いよくカミナリが落ちる。全然怖くないですよー。だってこっちは先輩に盲目ですからね。そんな先輩も世界で一番すてき。
はぁい、と軽く返事をして、顔を見るのはやめたもののペンを握る先輩の指をチラチラみてしまう。その手も男らしくてカッコよくて。あの指が力強くラケットを握るのだ。
繋ぐと先輩の手の平がゴツゴツしていることももう知っている。豆だらけで、爪の形が綺麗。

「先輩」
「駄目だ」
「まだ何も言ってない!」
「お前はくだらんことしか言わん!」
「先輩の指を触りたい!」
「阿呆!課題をやれと言っている!」
「痛い!」

軽く叩かれて頭をおさえた。先輩が全力で殴ったら人が死ぬのですごく力を抑えてくれているのがよくわかる。こんなことで愛を感じるのは間違いだろうか。間違いなんだろうな。
渋々課題に取り掛かることに決め、設問を消化していくことにした。そういえば先輩に課題を手伝って貰うためにここに来たんだっけな。すっかり忘れてたわ。
ここ何ですかねえ、と分からない問題に首を傾げると先輩は低い大人っぽい声でここは、と分かりやすく説明してくれる。柳先輩ほどではないけど真田先輩も真面目で頭がいい。全部好きだなあ、なんてにやけながら説明を聞いていた。先輩に睨みつけられ慌てて顔を引き締める。

「先輩」
「今度はなんだ」
「おわりました!」

にへら、と先輩に笑いかけながらそう言うと、先輩は複雑そうな顔をした。

「斎藤はやれば出来るのだからもっと早く課題に取りかからんか。時間の無駄が多すぎる」
「先輩のそばにいないとやる気が出ないんです」

あっけらかんと悪びれもなく言い放ち、ずりずりと畳の上を這うと、先輩の胸に飛びついた。難なく受け止めてくれる分厚い体。耳同士を擦り合わせると先輩の髪の毛がふあっと一瞬持ち上がって、男の人のにおいがした。ぎゅうっと抱き着く。あったかくて、大きい。先輩、だいすき。そう囁くと奥手な真田先輩は耳の淵を赤くする。
普段は昭和の頑固おやじのようで、交際においても主導権を握りたがり女の人を後ろに置いておかないと気が済まない先輩は、わたしに何かを先導されるのをとても嫌がる。しかしこういったイチャイチャは別だ。率先して触ることに抵抗感があるらしい。でも男だもの、彼女に触りたくないなんてわけない。
先輩の性格のみならず体も大好きでベタベタ触りたいわたしは、必然的にいつも自分から触るしかないのだ。あとは丁重にお願いをするか。

「ね、先輩」
「‥‥‥‥」
「頭撫でて欲しい」

わたしのお願いを叶えるべく、ごつごつとした手が不器用に、ゆっくり頭を撫でる。触り慣れていない赤子を触るような手つきで。男の人を可愛いだなんて思うと先輩に怒られそうだけど、こんなときの先輩はとっても可愛い。
距離感をもっと縮めたくて、先輩の胡座をかいた膝の上に乗り上げる。全身ごとぎゅっと抱きついて、密着する。先輩の体温が熱くなった気がして、なんとなく嬉しくなった。
頭を撫でてくれていた先輩の手に自分の手のひらを合わせて、ゆっくりと握る。かさかさに乾いたこの指が好き。ペンを握っているときも、テニスをしているときも、どんなときだって見たくなる。
ちょっと訝しげな顔をした先輩の目を見つめて、指を見た。触るだけじゃなくて、咄嗟に舐めたくなった。

「お、まえ‥なにして」
「ん‥ー」

先輩の目の淵が真っ赤に染まる。舐めながら見たそれは熱情を孕んだ目。先輩の親指を口に含んで、すこし力を込めて爪を甘く噛む。その一瞬、先輩は目を眇めて、堪え難そうにした。わたしの体温も上がる。
指紋の淵をなぞるように、指の腹を舐める。ちょっとしょっぱいけど、先輩の知らなかったことをひとつ知ったような不思議な優越感がある。おつきあいがお互いに初めてだったわたしたち。先輩の指の味は、世界でただひとりわたししか知るまい。
先輩は深い溜息を零して、瞼をなんどか痙攣させると、わたしの舌を一瞬ぐ、と押した。ぴくり、とわたしの体が震える。そして親指を口からゆっくりと引き抜いた。銀糸が唇と先輩の指を繋ぎ、途切れる。
先輩の眉間にまた深い皺。舐められていなかった方の腕が持ち上がって、ごつり、とわたしの後頭部に拳がぶつかった。

「い、たっ!」
「不用意に婦女子がこういったことをするとは!!!けしからん!!」
「先輩だって顔赤くしてたくせに!」
「少し黙らんか!」

首を拘束されてぐえ、とカエルが潰れたような声が出た。先輩の首は真っ赤だった。ふふ、と思わず笑ってしまうと、先輩は大雑把にわたしの後ろの髪を撫で付けた。
今日のところはこれで勘弁してあげよう。