「おい、苗字。もう8時だぞ」
柳に叩き起こされ、枕元の目覚まし(音が鳴っても目覚めない)時計を見る。左側の頭皮の一部がじんわりと痛む。柳はいつも私の髪の毛を引っ張って起こすのだ。ハゲたらどうしてくれよう。
そしてその針は無情にも、朝の8時きっかりを指していた。
しかし。
「やなぎ、今日ね、やすみなの。バイトもよるからだから、寝かせて‥」
「知っている。だが苗字、お前がその布団を干すと言い続けてもう3週間経った。いい加減干さないか」
「あー、そだった‥」
ぐったりと枕に顔を埋めるように項垂れる。そろそろ布団シーツを洗わないとヤバイかなと思ってはいた。ファブリーズにも限界がある。
自分の匂いでいっぱいの布団に、それってわたしの日頃の汗皮脂を吸収しているからだよなと思うし。自分のにおいばかりというのも考えものだ。
「お前の布団がダニだらけの可能性は100%だ」
「確定的‥」
頭頂部から降ってくる冷ややかなその声にげんなりとした。グズグズと動かなければいけないなという気持ちと眠い気持ちの狭間で揺れていると、柳が呆れたように言った。
「俺がやるから、お前は寝ていろ」
「え、まじ?」
「ほら、そこの俺の布団で寝ていればいいだろう」
どうした柳が優しい。何か悪いものでも食べたんだろうか。
こうなることを想定していたかのように、彼の布団は珍しく床に敷きっぱなしだった。普段起きて真っ先に布団をあげるにも関わらず。何か企んでいるのかと訝しむと、「なにも企んでいないぞ」と鼻で笑われた。
そろそろと緩慢な動きで体を起こし、ベッドから降りてまた床にぺったりと座り込む。
「昨夜は何時まで起きていた?」
「5時です‥」
ぼそぼそと返す。だってドラクエのイベントが‥走らなければならない宿命なんだ‥。
「いつものことだが、不健康すぎるぞ」
「お母さんかよ‥」
「こんな面倒な娘を持った覚えはない」
話している間にもテキパキと柳が布団からシーツを剥がす。そのあたりでふと恥ずかしくなった。なんでだろう。
柳はわたしより洗濯をひとつするのも丁寧だ。
暮らし始めて最初の頃は多少気を使い洗濯を別に回していたものの、今となっては洗濯物を一緒に洗っている。面倒くさがりなわたしより柳のほうがマメに洗濯をしており、今やわたしの下着も柳が洗っているのだ。
干すのも畳むのも何ならアイロンをかけるの一つとってもキッチリ綺麗にやってくれているので、わたしはそれに甘え、彼におんぶにだっこ状態だった。
今もカーテンレールとベランダの物干し竿にかかる洗濯物は、昨晩柳が干したものだ。つまり昨日のわたしの下着の柄まで柳は知っているというのに、何故布団ごときでこれほど恥ずかしいのか分からない。自分でも不思議だ。
「どうした、寝ないのか」
ふと柳が横目で、未だにフローリングにあぐらをかいて項垂れたままのわたしにそう聞いた。
「寝ます寝ます」
「様子が変だぞ。俺にシーツを洗濯されるのが恥ずかしいのか」
「ここで言い当てちゃうのが柳だよね。どうした顔が赤いぞ?熱でもあるのか?とか言わないんだもんな」
「少女漫画の読みすぎだな、お前は」
「少女漫画やない、乙女ゲームや」
「唐突な関西弁はやめろ」
柳が洗濯機にシーツを突っ込むのを見ながら彼の布団に寝転がる。恥ずかしいけど布団干しは喜んでやってもらおう。動く方がいやだ。
そういえば柳は昨日自分の布団を干していた。その布団を自分の体に巻きつけ、顔を埋める。
まだ洗剤の匂いと、太陽の匂いがする。それに混じるこのかすかな匂いは、柳の匂いだ。
汗臭いスポーツをやっている割に彼はいつもいい匂いがするのだ。
ひとの体臭に関してそれなりに好みが強い方だと自分では思っているのだが、柳のこの匂いは嫌いじゃない。むしろ好きと言ってもいい。
そんなことを考えた自分にもっと恥ずかしくなる。耳が熱いのなんて、いつぶりだろう。中学生じゃああるまいに。
もう寝よう。寝不足で頭がおかしいのだ。あー。柳ムカつく。なんでそんなに有能なの。
音を立てて洗濯機が回る。カーテンからは優しい光。電線の上で雀が鳴いている。
眠りに落ちる寸前、柳のおやすみ、という優しい声が聞こえた気がした。
前 | 次
top