この部屋の住人は驚くほど起床時間が遅い。
そんな彼女との生活にも、もう、慣れてきてしまったような。そんな自分を時折客観視しては、恐ろしいと思うことがないわけではない。
苗字は完全に夜型の生活をしている。
遅くまでゲームをしていたり課題をしていたり、友人と通話をしていたりと、そこに規則性はなく、日によってやっていることは様々なのだが大体毎日深夜の二時半までは起きている。
バイトから帰ってくるのが遅いから、そのあとからやりたいこと始めるでしょ?だから遅くまで起きてるの、というのが彼女の持論だが、アルバイトをしていなかった高校生の時からこうだったようなのでそれは言い訳だろうと予想している。朝やればいいだろう、と苦言を呈したときには苦虫を噛み潰したような顔をしていた。つまりは彼女はただただ本当に朝が苦手なだけなのだ。不健康なので是非生活リズムを正して欲しいのだが、それは無理だと悟っている。彼女は極度の面倒くさがりだ。
最近の苗字は熱心にウェブ小説を読んでいるようだ。起床したときに彼女のベッドを見ると、苗字の手からは力尽きたようにスマホが滑り落ちていた。
大学から自転車で20分の狭いワンルーム。ロフトベッドの隣、フローリングに敷かれた薄い安っぽい敷き布団から身を起こし、首をひねるとパキンとクラッキング音がした。部屋の薄いピンク色のカーテンは遮光ではなく、日の光が差し込む朝の室内は十分に明るい。
起床するとまず、トイレに行き用を足す。次に狭いキッチンテーブルの上に置いてあるコーヒーメーカーに粉を入れ、規定通りの水を注ぐ。スイッチを入れ暫くすると、そこからこぽこぽと小気味いい音が聞こえコーヒーの香りが部屋中に漂う。
俺はずっと緑茶派だったのだが、コーヒーも悪くはない。と、今まで思わなかったようなことを思う。
こんなときにジワジワと、血管の一部から入り込んだ毒が少しずつ回るように、生活が変わっているのを感じるのだった。
生活感のある水垢のついたチューブのミント入り洗顔剤で顔を洗うと、いささか頭がすっきりする。持ち込んだ髭剃りで髭を剃り、ジャージに着替え、軽く朝のランニングをこなしに行く。いつもの朝のルーティーンは、崩さないよう努力している。
いい天気だった。閑静な住宅街。別段何があるわけでもない、いつもと変わらない朝。ミステリー小説にありそうな特異な出来事は近所にも身の回りにもなさそうな、いたって平凡な日常風景。
路地裏を通るとよく見かける野良猫が耳の裏をかきながら、眠そうに欠伸をした。
町内をぐるりと一周する、やや傾斜のあるいつものコース。
軽く体が温まった感触とともにアパートの扉を開けても、まだ苗字は起きていなかった。毎日のことだが、大きな音を立てても彼女は起きない。
今日は朝から講義があるため、苗字の遅い生活ペースを考えるとそろそろ起こさないとまずそうだ。
彼女はスイッチが入らないと何事もやる気がおきないらしく、急かさないと顔を洗うのも億劫な仕草さえ見せるのだ。今までどうやって暮らしていたのかと疑問に思う。彼女はどうやって朝起きていたのだろう。
しかしそれは、俺の知る由もないこと。
「苗字、起きろ」
「…………ん、んー」
「そろそろ起きないと遅刻になる」
「………ええ……代わりに行ってきて…」
「同じ講義を受けるのにそれは無理だろう」
ベッドの上、青いシーツの上に散らばる赤い髪を引っ張ると、彼女はいたい!と悲鳴をあげた。苗字は常に寝不足なせいもあり、極端に寝起きが悪いのだった。
暴力的ではあるが、少々乱暴に起こすくらいが丁度いいのだといい加減学習した。
「ひどい…」
「コーヒーは淹れてあるぞ」
「ええ、やさしい…」
感想がぐちゃぐちゃの苗字がおはようございます、と眠そうな顔で呟いたのをみて、おはよう、と思わず微笑んだ。
ずっと書き込めていないノートは見ないふりをして。
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