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「おー、柳」

フーセンガムを膨らませた丸井がひらひらと手を振っていた。
大学の部室内、車座になりながらジャッカルと丸井と仁王が話し込んでいる。

「最近あんま部活来ないのな」
「ああ、色々と忙しくてな」

丸井が微妙な表情でそう言ってきたので、無表情のまま頷いた。

ようやく出入りするようになった就職相談室。今更考えるようになったインターンや留学。

今からやるには遅すぎるそれらに焦りを感じないと言ったら嘘になる。貴重な時間を無駄にしながら過ごしていたと思いそうになるところで、毎回否定することを繰り返していた。
あの悩んだ期間があったからこそ、俺はいまこうしているのだと。今は必死に後れを取り戻そうとしている最中だ。
さほど気にしなくなっていた為疎くなっていた経済のことは、遡ってニュースを見ている。
時間はいくらあっても足りず、テニスはすっかり気晴らしになってしまっていた。

「柳に謝っとかなきゃなんねえことがあってよ」

バツが悪そうに丸井は、付け加えるようにそう口にして、ジャッカルは苦笑いを浮かべていた。

「お前の彼女、泣かせたわ」
「彼女?苗字のことか」
「ゴメン!マジおせっかいした」

パン!と顔の前で手の平を合わせた丸井。こういった事態は予測していなかったわけではない。だが自分以上に、周りの人間がむやみやたらと苗字を構い追いかけまわしているようだと勘づいていた。

ジャッカルが細々と言うには、苗字は泣いていたらしい。現状苗字についてデータが不足しすぎていた。
一緒にいた時間は長かったはずなのに、俺はあいつがどう生きてきて、どういった考えの持ち主なのか詳しく把握できていないのだ。知っているのはあいつの面倒臭がりな性格と、ほんの少しの優しさだけ。
だから彼女の行動には完全な予測はつかない。泣かせてしまうスイッチがどこにあるのかも。
データが欲しいが、それでも本人に気軽に近づくことは出来ない。

あのワンルームで泣きながら必死な顔で、苗字は俺に帰って、と言った。お願いだから、とも。

彼女に拒絶されるのは初めてだったこともあり、その一言は妙に心の一部に突き刺さった。あんな風に必死な顔をされるのも。だから黙ってあの場を立ち去った。

理解したのは、あの部屋を出ていく前に俺はきちんと苗字と話し合うべきだったのだ、ということだ。一度距離を置いて彼女との関係を整理したいというのは俺の勝手な主張であって、彼女に伝えたことは無い。
『出ていったくせに』と苗字は言っていた。俺が実家に戻ったことを、彼女がマイナスに捉えていることだけは確かだった。俺はひとりよがりで、自分の悩みが解消されたことで浮かれていたのだ。

「アイツに関しては俺もフォローしてやるよ。全く意味わかんねえ女だけどよ」
「面倒をかけてすまないな、ジャッカル」
「はは、まあ面倒事には慣れてるから気にすんな」

相変わらずの苦笑でスマホを弄るジャッカルは、十中八九苗字に連絡をしている。
歯がゆいが、俺もどうしたら苗字に近づけるかを考えなければならない。俺も拒絶されたいわけではないし、もう、苗字のことが欲しいのだ。
今やるべきことは沢山あって時間が足りない。それでも今を逃せば、苗字には話しかけられなくなる気がする。

「あ」
「あん?どうした仁王」
「どっかで見たことあると思ってたんじゃが、あいつ俺のバイト先で見たことある」
「へえ、世間ってせめえな」
「手芸サークルって滅茶苦茶変な女しかおらんから目立つんじゃ...まーくん怖かった」
「何でここでかわい子ぶるんだよ気持ちわりいな」

けたけたと笑い合っている仁王と丸井の会話が聞こえてきて、ふと着替えの手を止めた。

「手芸サークル...?」
「苗字って手芸サークルなんじゃねえの?柳どうしたノート出して。まさか知らなかったとか」

よく電話している、彼女の友人の『ユカ』。
手芸サークル。
彼女の交友関係を詳しくは知らないが、彼女のことについて知りたければ苗字の友人に話を聞けばいいのではないのか。

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