毎日見ている、人より目立つ赤い髪が揺れているのを視界の端に捉えた。
似た髪色の同じ部内の仲間より、もう少し明るいその赤を。
「…………?どうかした、蓮二」
たった一瞬の動きの静止だったにも関わらず、いやに洞察力に優れた精市が訝しげにそう聞いてくる。
そっと俺は首を振った。
「いや、なんでも」
「………ふうん、ギャラリーに知り合いでもいた?」
にやっと不敵に笑いながら面白そうに呟いた友人は、無害そうに見える端正な顔の割に案外性格が悪いのだということは周知の事実だ。
腹に一物抱えた抜け目のない男。
周囲からは俺を部内で一番気が回るだとか洞察力があるだとか言う声が挙がることがあるが、明らかに一番鋭くて気がつくのはこの男で間違いないだろう。俺は内心溜息をこぼす。
「まあ、そんなところだ」
「素直だね。よかったら紹介してくれない?」
「…………………」
「ああ、そこは黙るんだね」
今日の蓮二は面白い。そう言いながら彼は徐々な笑いが止まらなくなったようで、ツボに入ったのかストレッチ中にも関わらず腹を抱えて笑いだす。そう、この友人は笑い上戸でもあるのだった。
苦々しい思いで周囲から視線を逸らすものの、精市が笑いすぎているせいで多くの視線が集まっているのを感じた。この男は顔の良さもあってかなり人気があるのだ。ギャラリーの多くは幸村精市目当てと言っても過言ではないだろう。
苗字もここに俺がいることに気が付いたかもしれない。
改めて彼の扱いには注意が必要だとノートに書きとめようとして、もうそれが必要ないことを思い知らされる。こればかりは抜けない習慣だった。
小さなノートの入ったポケットを指先でそっとなぞる。
そこはジャージの冷たい、ざらついた温度を伝えただけだ。
精市はまだ薄らと涙を浮かべて笑いながら話を続けてくる。
「蓮二、俺と試合しようよ。折角見にきてくれてるんでしょう?その人」
へらへらといつも間抜けな顔をしている苗字を思い浮かべながら、脳は勝手に簡単な確率をはじきだしていた。
「………見にきたのが俺とは、限らないが。その確率は20%程度だ」
「へえ、案外確率が低いんだな」
「それより、何故そのような言い方をする?その人が女性だとは口にしていないが」
「今の蓮二の言い方で、見にきた人が女性であることは100%になったね」
「………………」
俺は墓穴を掘ったのだ。
精市はにこやかに、されどさわやかな風が吹くこのテニスコートにふさわしくないような異質な圧の濃い微笑みを浮かべると、さて、と呟いて立ち上がり、ストレッチの別のメニューにうつった。俺もそれに続くように、無言のままメニューを終えていく。
それからは草食動物にでもなったような気分だった。別の作業をしながらも、横目でどうにか彼女の位置を把握しようとしてしまう。
弦一郎にさえも、今日のお前は珍しく集中力に欠いていると指摘される始末だった。
苗字はどうして、テニス部の練習など眺めにきたのだろう。
先程一瞬見た際には、彼女は友人と思わしき女性と笑いながら何かを話していた。視線の向きはこちらにはなかった。一体、どうして。苗字は男子テニス部に他の知り合いでもいただろうか。そんなことはなかったはずだ。
一体、何を見に。
本当に俺だとでも言うのか。
「蓮二、約束だよ。俺と勝負しようよ」
トン、と俺の背中を、精市のラケットトップが押した。振り返ると楽しそうな笑顔が、俺を見ている。
無表情のままその顔を見つめ返した。
勝手なその約束を了承した覚えはなかったが、まあ、たまにはいいだろう。
「精市と試合するのは、久々だな」
「そうだね、高校の時以来になるから、もう暫くぶりだ」
練習の時、試合の時。中学の時からいつも側にあった背中が相手側のコートに向かう。苗字のこととは関係なく、純粋に精市に負けたくはなかった。
それでも、心のうちには負けてしまうだろうという諦念がある。そんなものを抱えてテニスと向き合うのは間違いだとは思っているものの、拭いきれないそれを、もうなかなか捨てることは出来ない。ふ、と自嘲のような、自分でも理解しがたいような笑みが一瞬こぼれた。
「がんばれ!」
耳に飛び込んできた、そんな声。
聞き覚えがありすぎる声に、思わずフェンスのある後ろを振り向く。盛り上がるギャラリーの声援の中、他の人にとっては似た声に押しつぶされるであろうそれ。何故聞き分けられたのか、その理由を今は考えたくなかった。一瞬見えた赤い髪。燃えるような冴える赤。
テニスのルールをいくら説明しても語っても全く興味を持たず、理解もしていないくせに。頑張れなんて掛け声は苗字らしくないことだと薄く笑った。今度の笑みは自嘲の意味合いを持つものではなかった。
せめてテニスの基礎くらいは覚えて帰ってほしい。その為に、いい試合をしてやろう。
赤い髪を見ないまま、諦念を振り切るように青空に手を振りかぶった。
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