「またかよ。柳は物好きだな」
すっかり定着した柳呼び。彼女の眼鏡の奥の一重の瞳は陰鬱そうな色を帯びている。自分のせいだと分かってはいるのだが、俺も必死だ。
英文科の講義のスケジュールを調べあげ、規模の大きなキャンパスを闊歩して橋本涼を捕まえた。
ここまで何度か彼女のものを訪問して、細々とではあるが苗字の情報を聞き出し続けている。
話したくて話しているというより、話しているうちに俺が橋本涼を怒らせて話させているという形ではあるが。どうも、橋本涼と俺の相性は最悪らしい。
また他にも冴島由佳という苗字と親しい同級生も最近協力的になってたため、情報は初期の頃に比べれば集まってきた。
苗字の生年月日などの基礎的な情報はもちろんのこと、その生い立ちや考え方のパターンなど。食の好みなどは共に暮らしてきてある程度把握しているベースがある。
何故彼女があのとき俺を拒絶したのか、今なら想像がつくようになった。
あとは恐らく、俺の自信だけだ。
「本当に名前と付き合えると思ってるんだ。さんざん貶してるのに、諦めようとか思わないの」
「諦めたくないからこうしている」
「めでてえ耳だな」
橋本涼が口を開きやすくなるよう、持ってきた貢物を手渡す。貢物とは言っても、ちょっとした菓子や飲み物だけだ。橋本ははあと疲れたような息を吐いた。
「もし付き合っても絶対うまくいかないよ。絶対」
「どうしてそこまで言い切れる」
「価値観が違いすぎるから」
橋本が閉ざした瞼の向こうにどんな景色を見ているのかは分からない。そこまで詳しく知りたいとは思わなかった。それは彼女が乗り越える壁であり、俺にとっての壁ではないはずだ。
もしか、詳しい話を聞いたら参考程度にはなるのかもしれないが、価値観の問題は俺と苗字が話し合い解決していくべきもので、そこに他人の影は必要としていない。少なくとも、俺は。
「なんでそんなに自信があるのか知らないけど、互いに傷つかないことだけを祈っているよ」
自信があるわけではない。むしろ自信など無かった。だからこそ外堀を埋めて、苗字の逃げ出せる理由を一欠けらでも無くせるように、全ての可能性を潰せるようにしているのだ。
「親に愛されたことがないと、『正しい愛し方』が分からなくなるんだ。
正しく愛されなかったからって、名前を否定したらそれは関係性の終わりだから。覚えておくといいよ」
苗字と家庭環境が似ていたと話した橋本は、もう話すことなどないような口ぶりでベンチから立ち上がって去っていった。
俺は頭を掻いて、構内の柱にもたれかかる。中庭の風は冷たい温度で俺の頬を撫でていく。
苗字の愛し方は想像の域を出ない。
何故なら俺の交際経験人数はたったの一人で、苗字と付き合いたいからと言ってむやみやたらに経験を増やして手練れになろうともしていない上、肝心の苗字に愛されたこともない。愛するところを目にしたこともない。
家に帰ったらもう一度情報を纏めなおそう。
そして苗字と付き合うために動き出そう。情報を集めるのではなく、彼女に色々なことを諦め、受け入れてもらうために。
諦めてもらうというのは、彼女が今している男遊びという不埒な関係性であったり、一人でいることの自由さや居心地の良さであったりする。
だからそれらを捨てる価値が俺にあるように、彼女に信じてもらうように努力を惜しむつもりはない。
そうして自宅に帰り、ノートパソコンを広げる。パワーポイントの画面やエクセル表を開いて、導入部を書き出していった。
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