「二ヶ月ぶりだな」
これはどういうことなのかわかんない。
柳の向かいの椅子にしぶしぶ座る。
頭の中は相変わらずシェイクされたままだったけれど、多少は落ち着いた。
逃げるのも彼を追い出すのも出来るかもしれないけどめんどくさいわ。バイト先だし。
「何しに来たの」
わたしは不貞腐れながらつぶやいた。
「お前がその椅子に座る可能性は63%だった」
「‥‥‥は?」
「....良かった」
柳は少しだけ安心したように口元を綻ばせる。その表情に、なんだか胸が痛くなった。.....なんでだろ.....
「今日はお前に、プレゼンをしに来たんだ。
お前のバイト分の時間を買わせてもらいたかったんだが、それは断られてな。だが店長や冴島に少し協力してもらった」
「‥プレゼン?」
この状況を作ったのは店長やユカさんだというのは理解したくないけど理解した。
ただプレゼンって何だ。
丸テーブルの下に置いていたブリーフケースから、柳は大量の紙を取り出す。
肉屋に売っている豚ロースブロックのような分厚さの紙束だ。表紙はレモンイエロー。ご丁寧に製本までなされていた。
柳の前とわたしの前、一部ずつ彼はそれを置く。
特にタイトルは明記されていなかったのだが、警戒心を抱く中、沈黙したままなんとはなしに表紙をめくると苗字との今後の方針について、と記載がされている。
これは、一体なんだ。え?企業面接?え?
「ここにあるのは、俺が考えた苗字との未来の可能性だ。
大前提として、俺はお前のことが好きで、これからも一緒にいたい。
苗字には多くの選択肢がある。お前がここで席を立ったら俺は終わりで、お前との道が今後交差することはないだろう。
チャンスがほしい。苗字が気まぐれに夜寝る男に一晩のチャンスがあるのなら、それと同様の権利を俺にも与えてもらいたい。見知らぬ他人にも与えられるものなら、それと同じくらいの時間を今、俺にくれないか。
これは俺の、賭けなんだ。」
何を言われているのか、よくわからない。ぱかっと大口をあけて、アホヅラを晒したまま頭の中でぐるぐる考える。
親がわたしを愛してなどくれなかったように、他の男たちもみんなそうだった。
きみ、かわいいね!俺と一緒にいようよ!そう言われたことがないわけじゃない。
それでも出会いがたくさんある中で、わたし程度の存在はたくさんいて。
かわいい、すきだ、そう囁いた口で別の人にすぐに愛を囁く男の人ばかりとしか出会わなかった。
でも、それはわたしもそうだったかもしれない。ひとりのひとに固執したりしなかったから。
そのことが辛かったかと聞かれればそうじゃない。
真剣に、このひとに愛されたい、愛したい、そんなことは願っていないからそんなもんかと思っていた。誰ももう好きにならないと思ってもいた。
愛されることが幻想だと知っていたから。わたしには過ぎた願いだとわかっていたか。
みんなが普通にしていることや夢見ていることを、わたしは普通だと思えなくなっていたから。
柳のことだって、無理やりキスをされたあの日わたしは家から彼を追い出した。
今まで知り合った人たちと同じで、柳にとってのわたしはいっとき腕に止まるハエのような、長い人生の中でたまたまぶつかった虫のようなものなんだと思った。好きだなんて言葉は気の迷い。言われたときは動揺もしたけど、絶対に本気じゃないと思っていた。
わたしにとっての柳もそうだと信じたかった。
あの部屋はわたしにとって城であり、海の中だ。ぐちゃぐちゃの散らかった部屋の中、ぐちゃぐちゃな心で蹲ったまま、わたしはずっと立ち上がらず立とうとしたこともない。
それでよかった。わたしにとって柔らかい、害するものも心をかきまわすものもない世界。周りには好きなものばかり。その実本当は、あそこに本当の意味で好きなものなど何1つとしてない。そんな世界だ。
柳が家の中にいたときはどうだっただろう。
そこは相変わらず要らないもので溢れていた。柳がいても、いなくても変わらない。
柳の心に触れたくても、柳のことを知りたくても、お互いあの城の中の空間にいただけの赤の他人だったはずで。
そばにいても、俺に触るなと柳は全身で主張していた。わたしはその距離を保った。
だからわたしの心はずっと平穏だった。
心の中に静かに居座っても、彼はずっと他人だったはずだった。
「俺を見ろ」
柳を見ると、とても真剣な顔をしていた。開眼した瞳の中に、わたしが映っている。
「信じてくれないか。
俺はお前に救われて、こうしてここにいる。俺が無くしたものを、お前が思い出させてくれた。
苗字には感謝してもしきれない。
だから苗字とのつながりを断ちたくない。
お前は‥真面目だと俺を褒めたな。そうだな、その通りで俺は真面目なんだ。
データを集めるのが趣味で、人の観察が趣味で、研究熱心で知識欲が強いのが俺だ。
自分のことについて、お前が教えてくれた通りだ。今ならよくわかっている。嘘はつかない。
お前が褒めた俺を、お前が評した通りの俺を、お前が信じてくれ」
柳が今度は土足で入ってくる。わたしの部屋の中に。
出て行ったくせに。
好きというたった二文字でかき回す。
あの部屋で、わたしは本当は泣いている。ずっとずっと泣いている。
愛してほしい、愛したい、愛して愛され返したい。
その相手が.....柳ならいいのに。
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