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法学部の知り合いの学生に作ってもらったという契約書をテーブルの隅に置きながら、柳はプレゼンを始めた。
わたしバイト中じゃなかったっけ。なんかもうどうでもいいや‥

まずは彼が、ずっと話さなかったことについてあっさりと喋りだす。わたしが聞きたくても聞けなかったこと。
詳細は資料の冒頭に記載されていた。

「俺は、ずっと自分が誰なのかわからなくなっていた。この柳蓮二は、自信を失っていた」
「柳ってすごくね‥もう少し自信失っててもいいと思うよ‥この柳蓮二、って、お前は一体何者なんだよ‥」
「柳蓮二だ」
「自信家かよ‥」

簡潔な言葉で言うと、柳は燃え尽き症候群に陥っていたらしい。
魂を賭けたテニスでなかなか勝てなくなり、プロの道にも進むことが出来ず。
自分の最大の特徴であるデータに自信がなくなってしまったのだ。

その折たまたまわたしに拾われ、わたしが柳を褒めることで自信を取り戻していったらしい。

柳は本当に自信をなくしていたんだなあと、黙ったままマジマジと柳を見てしまった。
薄い唇の端正な顔だち。柳は塩顔系のイケメンだ。たとえ柳がテニスをしなくとも、たとえテニスが上手くなくとも、柳を好きだという女子は結構いるだろう。話し方も卒なく、知性を感じさせる。鬱陶しいのは蘊蓄喋りのときくらい。
背もすらりと高く立ち姿は上品だ。ほどよい筋肉質の体躯は、痩せすぎず鍛えているのがわかる。
同じく声も低すぎず高すぎず、とても聞き取りやすい。
一緒に暮らしていたからよく知っている。家事も得意で細かいことを。見た目通りの生真面目な性格なことも。

ひとに嫌われることはなさそうな、好感を持たれることの方が多そうな人だ。
そんなひとが。

このド赤髪のクソ人間に。

「わたしなんかに褒められて、そんなに嬉しかったの」
「そうだ。苗字に出会えたことは俺の人生の中で、最もと言っても差し支えないほどの幸運だ」
「なにそれ」
「笑うな、俺は真剣だ」

それに、と柳は続ける。

「わたしなんか、と言うな。お前は俺にとってこれ以上ないほど魅力的な人間だ」
「な、にそれ」
「お前のクズなところも多く理解している上で、お前の長所を教えよう」

資料をさらに数枚めくると、パラメーターが出てくる。ゲームが大好きなわたしにとっては馴染みのあるものだ。攻撃力や足の速さにどれほどのステータスを振っているか確認できるもの。
なんじゃこりゃ、と頬をひくつかせる。

「これは俺が苗字と暮らしていたときに得たデータと、お前の友人から聞いた話などを総合して判断した苗字の分析表だ」
「柳やべえな‥クソ引いた‥」

就活における自己分析がどうのと最近よく言われるものの、こんな風に他人に事細かに性格分析されることがあるだろうか。いやない。
こんな仕事が向いてますよ、と企業に診断されるアンケートだってこんな風に細かく自分の傾向など色々出てこない。

柳はいやによく、色々覚えていた。こいつの記憶力こわい。
わたしの月のバイトの回数、スマホの画面を見ている時間、好きなゲームの傾向、好きなキャラクターの傾向。約束の時間に遅れる時間の長さ、また遅刻の理由、お金の使い方、食の好みの統計。
普段の喋り方から分析したわたしの考え方。
わたしの友人に聞いて回ったわたしの暮らしぶりについて。男遊びで選ぶ男の傾向。性の傾向。

「え、いや待って。その辺、性のこととか別に詳しく考えてるわけじゃないんですけど!もうやめて!」
「いやしかし」
「わたしがクズなのはよく分かってるから!もうやめてー!」

恐れおののいて耳を塞ぐと、柳はまたこれは追い追いな、とページをめくった。追い追いじゃないよ次は無いよ。もうやめてくれよ。わたしのHPはもうゼロを通り越してマイナスまで振り切っているんだよ。

「お前は一般的には、あまり出来のいい人間ではないだろう。万人ウケはしないタイプだ。約束は守れず、金遣いは荒く、ガサツだ」
「うう‥知ってますよ‥」
「だがお前は許容量が大きい。拘りのある範囲が狭いと言うのもあるだろう。部屋の中に他人を置いても気にしないし、滅多なことでは本気で怒ったりもしない。僻んでいるようでいて、その実相手を賞賛することにも長けている。
気がつかないようでいて、色んなことを気にして回っているから、人の心の変化にも敏感だ。触れてきて欲しくないところには触らない。そういった人との距離感を、苗字は弁えている。それは誰にでも出来ることじゃない。
よく見ないと見えないいいところが、お前にはたくさんある。
欲望に従順なのもいい。あまり嘘をつかないし、人をおだてない。逆にそういったことは下手だろう。

だから俺はお前の言葉を信じられたんだ。だからこうして立ち直れた。

苗字のそういうところが、俺には愛おしくてかわいいんだ」

ひ、え。

散々貶した後に、いきなり褒める目の前のひとに、わたしはどう対応したらいいのかわからない。
ただでさえ、褒められ慣れていないのだ。こういうときにどう返すのが正解なのか誰か教えて欲しい。
でも褒められて....たぶん、嬉しいのだ。

柳が、わたしをちゃんと見てくれていることがわかったから。その上でいいところを見つけて褒めてくれていることが理解できたから。たくさん考えてくれたことが、紙をめくるたび深く沁みるように分かったから。
気持ち悪くて引くような分析力だろうとなんだろうと、それだけの時間、柳はわたしのことを考えてくれたということだから。
ぐつぐつ煮えるように耳のふちが赤く染まる。恥ずかしい、嬉しい、という感情が混ぜ合わさる。

「俺は苗字が好きだ。今も、お前をかわいいと思う」

よく知らないくせに。一緒に暮らしてただけの他人のくせに。


もうそう言えない。

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