41
柳は彼が感じているというわたしの美点を、さっきまで話していたはずのわたしの欠点と同じくらい並べ立てて語った。
こういうのは卑怯だ。まるでジェットコースターだ。恥ずかしくて埋まりたい。

柳は今度こそ私の体力ゲージを正真正銘マイナスまで持って行った頃に、今後のことについて話しはじめた。

まだプレゼン資料の3分の2は残っている。多すぎる。長いよ話が。

そのころ階下は、お客さんが多く集まるランチタイムのピークの時間になっていた。それでも疲労からなのか、空腹は全く感じない。げっそりしながら椅子に埋まる。

「俺は名前と恋人になることを希望しているが、お前が何かと理由をつけて嫌がるかもしれないと考え、恋人になった場合の展開を細分化して予想している。それがこの資料だ」
「未来予想ですか‥」
「そうだ。いかなる可能性にも対応できるようになっておかねばな」

リスクマネジメントのようだ。こいつほんとに大学生か。

そしてそこには、わたしが感じる不安の殆どが記載されていたのだから恐ろしい。むしろ気づかなかったことまで書かれていた。柳の分析力は異次元だ。

わたしが柳と付き合ったとして、その時に感じるであろう格差。劣等感。愛情が一方的に重くなったり、柳を束縛したりしてしまうことへの不安。
今は好きでいてくれるかもしれない。でも柳に好かれなくなったときに、どうしたらいい?
柳に好かれる理由より、好かれない理由を自分の中に見つける方がずっとずっと簡単で。
どれだけ滾々と美点を並べられても、どれだけ嬉しくても。有頂天にはなりきれない自分がいる。付き合うとか、そういうのは現実的じゃなくて。
好きだとどれだけ並べられても、納得しきることのできない気持ちがある。それは無視できない。

わたしはわたしのことが一番可愛くて大切だ。わたしが傷ついたときに自分を守れるのはわたしだけだから。高校生の時にぽっきりと心が折れたときも、わたしのことを守ったのは他の誰でもない自分だった。
だからわたしは、他のことを大切に考えられる余裕がない。
柳のことを大切になんてできない。
彼と恋人になって幸せになる未来を考えるより、喧嘩して傷つく方が嫌だ。
別れる未来を危惧するなら最初から付き合わない方がいいから。

これ以上クズになりたくないから、恋人になりたくない。臆病で面倒でどうしようもない人間。

今柳を傷つける方が楽だから、なんて既に最低だ。

「不安は感じるなと言えない。その感情が非経済的であると言っても、不安を感じる人間に何をいってもどうしようもないことは立証済みだ。俺がそうだったからな。
だからもし何かあったときは、苗字は全部俺のせいにしたらいい」
「そんなこと出来るわけないでしょ、何言ってんの?」
「それに苗字は今までと同じで、同じように同じ空間にいるだけでいい。苗字は努力しなくとも十分俺を大切にできていた。気遣ってもらっていると感じていた。だから出来ることからしていったらいい。

好きなゲームにはすぐに課金するだろう。欲しいガチャは金が無くても回す癖に、俺に手を伸ばすのは怖いのか。言いたいこともすぐに言うお前が。


俺のことが欲しいなら、我慢するな」


何でこの人、こんなに自信満々なんだろう。なんで、そんな恥ずかしいことを恥ずかしげもなく。
唖然としながら見る。柳の顔色は変わらない。

「お前がほしいものは、お前にしか掴めないんだ。俺が差し出してお前の手の平の上に置いても、それでは意味がない。
苗字が危惧する足元の石は、出来るだけ歩きやすくなるようにしてやろう。甘やかすのは得意だ。
必要な障害は一緒に考えたらいい。怖いことは逐一俺に言ったらいい。吐き出したらいい。
今までできなかったことを、お前としたい。
だがそれは一緒にいないと出来ないことだ」
「柳にはわかんないよ....ほんとに、こわいんだよ」
「何が怖い」

彼があまりにも自信家で。非難するようにわたしの口からは本心がぼろぼろ飛び出す。柳の前でこんなに自分の話をするのは初めてだ。

「好きな人に好かれてないってわかったときって、どこにも手が伸ばせなくて...誰も助けてなんかくれないのわかってるよ。
わたし、ほんとにクズなんだよ。寂しいし、辛いし、でももう努力なんてしたくないんだよ....。たぶん柳は頑張れる人だよ、わたしとは違うよ」
「そうやって遠ざけるな。俺はお前からそう遠い人間じゃない」
「それもわかってるよ。柳は...ちょっと前までわたしに似てたもん....」
「ならお前が努力すると、さんざん褒めた俺のようになれる可能性があるな」
「いや、ねえよ!それはねえよ!もう!あんたとは元の出来が違うんだもん!頭ぐちゃぐちゃだから持って帰って考える!」
「それは駄目だ」

頭がパンクしそうで、思わず立ち上がりかけたわたしの手を柳はテーブルに縫い付けた。
いつの日か、ふと握った柳の手と同じ。少し湿っていて、厚くて、力強い手。
強い手。自分の弱さも、何もかも克服した手。

「今、名前が選ぶんだ。俺と一緒にいるか、いないか。今決めろ。そうでないとこの話は長引いてよくないことになる可能性が86%だ。
だから、今決めてくれ。俺を切り捨てたら、俺はお前の前からいなくなることを約束する。」

いなくなるのか。柳はあんな風に、また部屋の中から。
爽やかに立ち去ったあのときみたいに。
全部吹っ切れた顔で。


わたしの目の前にはふたつ道がある。


わたしはすごく我儘だ。こわくて自分からは手を伸ばしたくないくせに、こうして伸ばされた手も払うくせに、手をひっこめられるとそれはそれで嫌なんだ。
そうならどうしたらいい。

一つは今までと変わりない薄暗い道。こっちに行く方がずっと安全。何も変わらない。男遊びは激しくて、友達と遊んでバカな話をしてお酒を飲んで、いつも通りバイトに行く。眠い目をこすってバイトに行って、汚部屋に帰る。

もう一つは、わたしの目には真っ暗に見える。可能性がわからない。

「柳はしらないから....柳がいなくなってから、どれだけ柳のことを思い出したか柳には絶対わかんないよ。柳がいないのは...さみしいよ..」
「なら、俺の手をつかんだらいい」

一度縫い留められた手の平は離されて、目の前に突き出される。視界が滲む。

この手をとった先に待ち構えているのは、いったいどんな未来だろう。
きっと極限まで柳はわたしを甘やかしている。今までもそう。今もそう。
柳は真面目くさった顔でわたしを見ている。

ほしい。
毎朝のようにコーヒーを淹れてくれた柳も、鬱陶しそうにわたしを呆れ顔でみる柳も、本を真剣に読む柳も、蘊蓄を弾丸のように続けて疲弊させてくる柳も。
今までと違うのかもしれない。恋人になったら柳が変わってしまうかもしれない。恋人としての柳を知らないし、怖い。でも。

きっとずっと、泣きながら諦めたくなかった。愛して欲しい。好きな人に同じように愛されたい。
ここじゃないどこかなんてきっとどこにもない。その場所は、わたしが作らないといけない。
差し出された手を握るだけ。そんな簡単なことも難しいのか。過去のわたしがどうせダメだよって、頑張ったって無駄だよって囁いてくる。

だからこそ....今、頑張らなきゃいけない。頑張るのはきっと今なんだ。どれだけ怖くても。諦めたくないならほしいなら、頑張らないといけないんだ。

「.....一緒にいる....」
「ほら、よく頑張ったな。」

酷い甘やかしぶりだ。柳のことをまた新しく知った。手をとった瞬間細い体の中に抱きしめられて、肩に顔を埋めてグズグズ泣いてやる。汚してやる。でもきっと、柳はバカだなって言いながら許してくれるんだ。
暖かい手の平が頭の上を滑って、やさしく撫でる。
わたしが泣き終わるまで、ずっと柳はそうしていた。

|
top