頑張るってどういうことだっけ。
意識してがむしゃらに頑張って、欲しいものを求めていたときのことを思い出すのは悲しかった。
だからなのか、頑張り方がうまく思い出せない。
それでも切羽詰まって頑張ろうとしていないのは、付き合って数カ月になる彼氏があまりにも甘ったるくて、少しずつで構わないと言ってくれるからだ。付き合った柳はすごく甘いけれど、一緒に住んでいた頃と決定的に違うことは数えるくらいで。とても過ごしやすい。
こんなに甘やかされていていいのかと思う。きっと、これはすごく幸運な状況なんだろう。
でも、ワガママでクズなわたしとはこれくらい甘い人じゃないと付き合っていられないだろう。わたしにマトモな彼氏がいることは奇跡だ。
甘ったれなわたしと甘やかしたがりの柳は、意外とバランスがとれているのかもしれない。
欲しいものは、欲しいと言わないと手に入らなくて、歩き出さないと1%の可能性もなくて。
怖くてなんども失敗して、失って、足跡を振り返った時にまた絶望することもあるのかもしれないけど、それでも欲しいなら頑張らないといけない時もあるんだと思う。
怖いけど、それは仕方なくて、割り切らないといけないことなのだ。
生きていくって欲張りで難儀だ。と、卒論をだらだら書きながらどうでもいい人生観を見直した今日。
「たっだいま〜〜」
靴を蹴るように脱ぐと、綺麗に脱げと柳は怒った。はーいと間延びした返事をして、靴をそろえる。いつの間にか玄関の埃がなくなっていた。柳が綺麗にしたんだろう。
同棲しているわけでもないものの、柳はちょくちょく家に遊びに来る。付き合っている男女なのだし、大学生だし、別におかしなことでもない。多分。普通の付き合いというのをわたしは知らない。
けれど、お陰であまり寂しくはない。
柳がいなくなってからぽっかり空いた胸の穴が塞がった。
合鍵は渡し直していて、彼のキーチャームにゆらりと下がっている。
彼は相変わらず口煩い。
あとお互いなんだかんだと忙しい。そんな中付き合いは上手くやっているほうだと思う。家以外でも顔も合わせているし。喧嘩もまだない。全部柳の計算で、彼の掌の上にいるから。
わたしは無性に不安に駆られることも少なくなく、それを口にするたびに柳はグズグズわたしを撫で回して甘やかす。
わたしも変わらずクズでどうしようもない。
最近の新しい発見は、柳は飴と鞭の使い分けがとんでもなくうまいということだ。彼はわたしの我儘に振り回されていると言うが、そんなことは絶対にない。
付き合いにおいての主導権は柳が握っている。
一緒にいて安心するし、楽しいけど、いつだって柳に振り回されるのはわたしの方だ。
「今日のご飯はー?」
「おかえり。唐揚げだ」
「わあ、いいですね」
「そうだろう。自信がある出来栄えだ。手を洗ってこい」
「はーい」
「返事は短く」
「はーいママ」
「俺は彼氏だ」
洗面台に向かうわたしの腰を捕まえて、柳はわたしを背後から抱きしめた。そして砂糖をぶちまけたような甘ったるいキスを頬にかましてくる。ちう、と可愛い音が鳴る。なんだこれ、死ぬほど恥ずかしい。
こういう男女のスキンシップには慣れていたはずなのに、柳が相手だと調子が狂う。これが好きってことなんだろうか。嫌なのに嫌じゃない。
腰に当たられた大きな手のひらから伝わる愛情が大きすぎて、恥ずかしくて嬉しくて苦しくて、でもやっぱり嬉しい。
「ひぃいいっ」
「まったく、素直に大好きな彼氏と言えないのか?」
「うわわわわ、ばかくすぐったい」
「そんなに俺の声が好きか。これくらいで勘弁しておいてやろう」
柳はとんでもなく洞察力に優れているので、こんな風に色々とお見通しだ。くそ、悔しい。
声が好きってことも言わなくたってわかってるんじゃないか、それなのに耳元で囁いてくるのは卑怯だと不貞腐れながら手を洗い、テーブルの前に座る。
唐揚げはパリッと揚がっていてとても美味しそう。お米のご飯粒も立っている。
同じ炊飯ジャーで炊いても、柳が炊いた方がご飯も美味しい。何が違うのかは未だによくわかっていない。
「美味しそう、いただきます」
「今日はどうだった」
「きょうはねー」
ママというと真っ向から否定する柳だけれども、1日の中であった出来事を報告したり、自分の考えを伝えるのは家族の中で母親にするような行為だなと思う。
こういうコミュニケーションはわたしたちの中で重要視されていて、今まで知らなかった柳のことをわたしはたくさん知ることができ、柳もわたしについてより詳しくなったそうだ。
柳はこれ以上詳しくならなくてもいいのに、と恨みがましく思いながら唐揚げを食べた。滅茶苦茶美味しいし。これは家事スキルAランク‥。
会話は意識して頑張っている。
自分の考えを話すのは怖い。でも、柳に知ってほしい。
わたしが柳のことについて知れると嬉しいのと同じように、話すと柳が喜んでくれるから。
留年しかねないわたしと違い、柳は単位が足りているにも関わらず自主的に大学に行っている。今日の昼には幸村様とまたラーメンを食べに行ったらしい。彼らは本当に仲良しだ。
食べ終わった食器の片付けを手伝って、ここからは地獄の鞭タイムである。
「志望動機の書き方が下手すぎるぞ。何度言ったら理解するんだ?」
「へい‥」
就活の波に飲み込まれ、大手は全て落ち。ぐだぐだと就活の終わらないわたしに対する就活指導の鉄槌が今日も落ちた。もちろん柳は内定を数社から貰っていて、むしろ柳が選ぶ企業を選ぶ立場だ。
就職相談室に行くよりOGに話を聞くより、厳しい分柳の指導の方がよほど分かりやすくて有意義なのは十分わかっている。
柳の面接指導は逐一口煩く矯正が入り、詰めの甘さを指摘されて凹む。
「この企業について本当にきちんと調べたのか?調べた上で理解しているか?
今は情報なんていくらでも仕入れられる。もう少し時間はある。練り直しだ」
「はい、先生‥」
「今日のところはこの辺か」
へろへろと机に突っ伏したわたしの頭を柳は撫で回してくる。気持ちいい‥
そっと手が離れたと思うと、冷蔵庫から柳は何やらとってきた。
「プリン!!ラテ!!!」
「ご褒美だ」
「柳くんすばらしい‥すき‥」
「未だになかなか言ってもらえない言葉だが‥甘味があれば好きと言うのか。そうか。お前の好意の基準はわかった」
「え、おぬし何やってるの‥また?またなの?あーんさせる気か」
「そのつもりだが」
ほら、とスプーンを差し出してきて、そこに乗る黄色いものを素直に食べる。これも実は数回目になるので慣れてきた。わたしの胸の内の感情は無である。舌の上の甘いものはおいしいので諦めた。
柳のこの行為を受け入れることが彼を甘やかすことに繋がるらしい。柳はとても満足そう。
それなら仕方ない、とこちらの受け入れ態勢が整ってきたところだ。
「うまいか?」
「うまいです‥」
就活も終わらないし、一寸先は闇だ。この道は不確定なものばかり。
柳と付き合ったところで変わらずどうしようもないクズだし、甘えたで間抜けだし、バカだし。根本的なところは頑張ったって変えられないと思う。
でも少しだけ、部屋の中を片付けて、海みたいな青いシーツを干して、テニスのルールを勉強して。怖いけど、社会の中に飛び込んでいったら、もう少しだけ好きな自分には近づけるかもしれない。
そう出来るのはきっとわたしだけで、欲しいものを欲しいと言えるのも手を伸ばせるのもわたしだけで。
柳が隣で見ていてくれるらしいから、きっと‥もう少しだけ、また頑張れる。
2018.11.29
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