拍手ログ1
storyteller 水井あや
大学に入学してから、ずっと好きな人がいる。
「おはようあや、ごめんっ!手伝って」
「高藤先輩おはようございます!」
私のバイト先は大学から2駅先のコーヒースタンドだ。
コーヒーは美味しいし、先輩は優しいし、ほどほどの混雑具合で時間がゆっくりと流れている。
バイトに入るとすぐ、高藤先輩の作っていたカフェラテのフォローに入った。
ミルクをスチームして、ゆっくりとカップに注ぎ入れる。注文してくれた女性の、にっこりとした優しい笑顔に癒された。
つくづくいいバイト先を選んだなあと思う。お客さんまで優しい。
そしてここには、うちの大学のテニス部の人たちがたまにくる、という特典がある。
テニス部はイケメンが多いと有名だ。誰々くんみたいな顔がタイプだと、女子の中で話題に上がることも多い。
私もそんなテニス部に熱をあげるひとりで。
そして、そのうちの一人の男性がとりわけ好きだった。
同い年の柳蓮二君。同じ経済学部。女子で固まっていることの多い私は話しかけに行けたこともない。
多分、ひとめぼれだった。背が高くて女の人みたいに線が細くてきれいで。テニスのフォームもすごくきれいで。
頭のよさそうな仕草がまた好きだった。いつも本を持ち歩いていて、一人でいるときにはずっと本を読んでいる。
普段は表情も話し方も淡々としているのに、テニス部の仲間内でいるときだけ少し表情が崩れる。ほのかに笑ったり、呆れたり、少し怒ったり。
テニス部が大好きなのがよくわかって、あの輪の中に入りたいと思っていた。
恋人にはどんな顔をするのかな。出来れば見ているだけじゃなくて、話をしてみたい。
テニス部のジャッカル君はコーヒーが好きらしく、たまに彼はテニス部の仲間を連れて来店してくれる。
店内で彼らが座っていても、話す内容を盗み聞きすることくらいしか出来たことがない。
大学でしか会えないような人より有利な立場にいるはずなのに、臆病者の私は未だに話しかけに行くことが出来ないままだった。
そんなことを考えていたときだった。噂をすれば影だ。
「いらっしゃいま、せ」
柳君が店の前にいる。細めのスキニーパンツにグレーのパーカー、黒のジャケットを羽織っていて嫌なくらい様になっている。
彼は一瞬つい、と店内を見渡して、店の前の壁に寄りかかると本を広げだした。待ち合わせだろうか。
「ね、柳君だっけ。彼」
「あ、ひゃい」
高藤先輩が私の肩をちょいちょいとつつく。高藤先輩には好きな人がすっかりバレている。
先輩は綺麗な顔で「ねえ、彼にメニュー持って行きなさいよ」と私に笑いかけた。
「え、え、ええ」
「ずっと話したかったんでしょ!ほら、はやく!」
「わあ!」
先輩に背中を押されてつんのめる。たたらを踏んで振り返ると、先輩はいい笑顔で親指を立てた。
半泣きになりながら店の前に立つ柳君に近寄った。そう、話したいの。話してみたかったの。ごくりと唾を飲み込んだ。
「あ、の」
傍まで寄ると余計に彼の背の高さがよくわかる。さらさらの髪。整った眉毛。顎のラインも鋭利で、本当に綺麗。
男の人じゃないみたい。毛も薄いし、顎髭なんて生えるのかな。
そんなどうでもいいことを考えていると、柳君は無表情のまま私のほうを向く。
「何か?」
「あ、あの!メニューです、よければご覧くだひゃいっ!」
噛んだ。恥ずかしくて顔を赤くすると、柳君はふ、と笑ってメニューを受け取ってくれた。
「ありがとう、水井」
「あ、いえ....」
水井、水井...??
レジの前まで戻って呆然とする。柳君、私の名前知ってた。
「ね、どうだった」
「ど、どうもこうも」
やばい、嬉しすぎて涙出そうだ。好きな人が、私の名前を。店内に入ってきたら、もっと話しかけてもいいかな。
もしかしたら、もしかするんじゃないかな。だって、話したこともないのに、名前知っててくれた。
期待感といろんな感情で頭の中がごちゃごちゃになり、体を震わせながら先輩に口を開こうとすると、店の前にいる柳君に近寄る影が見えた。
女の子だった。名前は知らないけれど、顔は知っている。だって彼女の髪色は、マンモス大学の構内でも浮いている。
同じ文系だと思うその子はたまに見る子で、髪色が真っ赤だった。ペンで塗りつぶしたような真っ赤な髪。
服装もちょっと個性的で、今日は白に黄緑のストライプが入っている少女めいたワンピースを着ていた。
柳君と並んでいるとかなりデコボコ感があるというか、とても面識がありそうには見えない組み合わせに面食らう。
柳君は呆れた顔で彼女に何事かを言っていて、彼女はへらりと気の抜けた笑みを浮かべると赤い頭をわしゃわしゃと掻いた。ぺこりとその頭をさげる。
そして柳君が持っているメニューを覗きこむ。距離感が、すごく近い。
若干の動揺を隠せないまま見ていると、二人は店内に入りこちらへ向かってきた。そうか、ここレジだった。
「柳ブラックでいいんだよね」
「今日は俺が支払う」
「やった〜!じゃあ、ブラック一つと、カフェラテで!」
嬉しそうに声をあげた赤髪の彼女に、はい、と機械的に返事をして。柳君からメニューと現金を受け取った。
彼の指も凄くきれいで、ちょっと指先が触れ合って。嬉しいはずなのに、なんだか落ち着かない。
「ねえ、あの派手なコ彼女なんかな...」
「さ、さあ...」
高藤先輩にあいまいな返事をした。
カフェラテのミルクをスチームしながら会話を必死に耳が追う。
「お前がいつも遅刻するのはどうしてなんだ?」
「なんでだろうね」
「悪い癖だな」
「しってる!だからお詫びにここの支払いするって言ったのに」
「まず釈明をしろ」
「ウンコでなくてトイレにいたん」
「少しは恥じらいを持て」
それはまるでテニス部の仲間との距離だった。柳君の単調な声が呆れた色を帯びている。
お待たせしました、と震えながらも笑みを浮かべて彼女にマグを手渡すと、ありがとう、と彼女は優しく笑った。
丸テーブルに向かい合って座った二人が続ける会話も、聞きたくないのに聞いてしまう。
こういう時に限ってお客さんが途絶えるのだ。
手持無沙汰に機械周りの掃除をする。いつもは話しかけてくる高藤先輩も、隣で作業しながら黙っていた。
「ジャッカル君のお勧めだからコーヒー美味しいね」
「ここには何度か来たことがあるが、そうだな」
「あ、ねえねえ、さっき駅前でね、本買ったの」
「ほう、お前が?」
「うん、レシピブック」
「....俺に作れと」
「お前は言う、でしょ!知ってる知ってる。その通りです柳くん」
「たまには自分で作ったらどうだ」
「えーやだ。柳が作ったほうが美味しいし」
「お前のその甘えたな精神はどこから来ているんだ」
「これ美味しそうじゃない?どう思う?」
「無視するな」
呆れた声の中に、嬉しそうな。そんな。
柳君が好きでずっと彼を目で追ってきた。だからこそ分かってしまう。
柳君はあの人が好きなんだ。
それに多分、あの二人は同棲している。
じゃなきゃレシピブックを置いてこれを作ってなんて甘えられない。
私が恋人ならという妄想はしたことがあった。でも、私はあんな風に素直に甘えられるだろうか。
特に料理なんて、私が彼女なんだしおいしいものを作らなきゃって張り切ってしまいそうな気がする。
気の抜けるような笑みを浮かべる赤い髪の人。可愛い恰好に真っ赤な髪にほぼすっぴんの顔はちょっとちぐはぐで。
それでも、そんな彼女に柳君は優しく笑いかけていた。
柳君は思っていたような人じゃなかった。もっと淡々としていて、賢くて、仲間には優しい、そんなスマートな人だと思ってた。
だからこれは恋じゃなかった、そう思おうとして、やっぱり涙が出た。
あんな風に甘やかされてみたかった。あんなに甘い人だったなんて、知らなかった。あんな軽口を叩ける関係になりたかった。
そっと見ているだけでいいから、好きでいることは許してほしい。
バイト中にも関わらず、静かに泣いてしまった私のとなりで高藤先輩はゆっくりと背中をさすってくれていた。
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