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他クラスと合同で体育の授業をする日は、試合形式になるためどうしても空き時間が出来る。白いバレーボールが体育館の床でバウンドしている。
休憩中に校庭の花壇の方につい目が行くと、屋外で美術の授業をしているクラスがあった。スケッチブックを手に動き回る生徒たちの姿の中に、同じテニス部の柳の姿がある。彼がこちらに気がついたので手を振ると、柳は淡々と手を振り返した。

特に理由もなく他の生徒の姿も見ていたのだが、女子のグループから一人の生徒が立ちあがると、その輪を外れて動き始めたのが見えた。
その生徒の顔にはぼんやりと見覚えがある。どこで見たのかは思い出せない。しかし、一度話をしたことがある気がする。
自分の試合までにはまだ時間がありそうだった。ひっそり体育館から抜け出し、靴を履き替えると花壇を目指した。
校庭に陽の光が柔らかくぶつかって反射している。眩しく感じて目を眇めた。

あの子はどこだろうか。

少し見渡すだけでその姿は見つかった。茶がかった髪が、俯くことで顔を隠している。
彼女はひとり、体育座りでスケッチブックに鉛筆を走らせ、熱心に何かを描いていた。

「何を描いてるの?」

後ろから突然話しかけるとその体はびくりと動く。驚いたように振り返った顔にはやはり見覚えがあった、ような気がした。こんな風に彼女に話しかけたことがあったと思う。

「花を、描いてる」
ぽつりと、何故か呆然としながら彼女はつぶやいた。
「うん、そうだろうけど」

隣にしゃがみこんで、見せて、と乞うと彼女の顔は強張った。女子にこんな風に嫌がられるのは新鮮だ。にっこり笑いかけると、彼女は何かを諦めたように首を振ると、スケッチブックを一枚古い方にめくって、それを手渡してくる。
一番新しいものは線がうっすらとしか書かれていなかったらしく、完成していたものを見せてくれるらしい。手の中にスケッチブックの重みが落ちてきた。

「う、わ」

見た絵の精緻な線に思わず溜息がこぼれた。驚きと感嘆だった。同級生が描いた絵と思えないほどの完成度だった。
昔の図鑑や新聞の絵のように書き込みが細かく線の強弱が付いていて、雑さが一切ない丁寧な模写。
たまたま花壇に生えていたままになっていたのだろう、雑草とも言えるカタバミ。そんなに大きな特徴もないはずの花と草は、スケッチブックの中で大きな存在感を放っている。
こんな上手い絵が見られるとは思っていなかった。ただちょっと、思い出せない澱のような記憶が引っかかって興味をひかれただけ。こんな収穫があるつもりで話しかけたわけではなかった。

「ね、すごく絵が上手いね、きみ」
「そんなこと、ないよ」
「謙遜しないでくれよ。この絵が授業の提出物じゃなかったら欲しがってた。ねえ、きみ名前はなんて言うの」

自室にひっそりこの絵が飾ってあったら、自分は大層満足そうな笑みを浮かべることだろう。それくらい完成度が高く、かつ自分好みだった。
栗色のボブを揺らした彼女は少し逡巡したような仕草を見せた後、苗字です、と小さい声で名前を教えてくれた。目は伏せられたまま。
青っぽい白目がこちらに向かないことを、少し残念に思う。

「そうか、ありがとう。俺は幸村。幸村精市」
「うん」
「幸村くん!探した!外出るなら教えてくれよなぁ!」

慌てた様子で声をかけてきたのは丸井だった。彼の額にはうっすら汗が滲んでいて、探してくれていたことが伺える。
体育の授業中だったことをすっかり忘れていた。

「ごめん、絵を見せてくれてありがとう。またね」

立ち上がり笑って手を振ると、彼女は何故か悲しそうな顔で会釈をしただけだった。